彗星が落ちる時

霜月 偲雨

彗星が落ちる時


 昼間の電車はいつもとは少し違う顔をしている


 外からみえる景色はもちろん乗っている人も温かな雰囲気を纏っているようにみえる。のんびりとした空間が絶えず続いていた。永遠というものを形容するにふさわしいと思った。


 ほのかな田園風景の中にも自然では無いものが移りゆく。自然では無いものに乗りながら、何故か自然のみの移り変わりを願ってしまうのは傲慢な願いだろうか。春の香りがした。今はまだ秋の香りの残る冬だというのに。心地いい甘い香りがしたのだ。いつもなら噎せるようなその香りを肺いっぱいに詰め込んでは現実に背を向けた。

 緊張なんてものはもう、昨日の歌に、夜の星に、燃え盛る炎に、流れゆく雲に消えていった。

 明日を愛することは、現実をみることの裏返しだと信じたい。

 絶えず明日が来ることに打ちひしがれては、それと同じぐらい、それよりももっと明日に夢みるのは私の身勝手さゆえなのだろうか。

 いつも通りの気持ち悪さも頭痛も心地よく思えてきて、揺れが眠気を連れてきた。何もかもに疲れていた。

 全てを消し去るという想像に取り憑かれていた。その想像が脳に染み渡っては、私のどこに分類できないような感情を掻き立てた。想像によって行動は創造される。私は全てを消し去ることが不可能だと悟って、全てを捨て去ることにした。

 明日はもう来ない。彗星が落ちてくるからだ。

 希望はもうない。人は絶望に浸るからだ。

 願いはなんだ。

 何も無い。願いすらも燃え尽きる。

 明日はきっと快晴だ。きっと、今までにないような青で満ちる。

 今夜はふたご座流星群だって一緒にみるような人は私にはいない。


 親も友も恋人すらもわたしにはなんとなく必要のないものに思えてしまう。きれいな星のカケラの勇気ある最期を見届けるのに、私の横には誰も居ないことが最善で、よく言うミーハーなんてものに、空間を汚されてしまう気が勝手にしたのだ。


 好んで一人でいるなんて表現は誰が言い出したのだろう。その人はきっと傲慢で自分勝手で気が強い人を演じてたんだなと私なら分かる。この世はどことなく正常じゃない。誰もが何かを偽らなければ気が済まない。現代社会は仮想現実の美しさに満ち溢れて、元来の人間の欲求で残っているのはもはや性欲だけのようだ。食欲も睡眠欲も何もかも娯楽欲(とでも仮定しておこう。)によって抑圧され見て見ぬふりされている。きっと、機械的な世の中に愛やら希望やらを信じきっているんだ。


 そろそろ思考がおかしくなってきた。纏まらない思考はいつか身を滅ぼすことは分かっている。それでも、こうやって世間を批判しながら私の中でキレイだなと思う言葉を並べると、私の中にも世間一般と同じような思春期の才があるような気になれて、埋まらない孤独感を見て見ぬふりできる気がして、形を保てないほどの速さに打って変わってしまった乗り物に溶け始めた身体をなんとか寄りかからせた。


 夢をみた。


 私が何もかも普通に埋もれて、普通の幸せを謳歌してる夢だった。


 私の周りには偽りじゃない友達がいて、毎日普通の日々が続くと本気で信じている、なんとも気の抜けた、平和ボケした顔をしていた。


 違う。


 真実はもっと感動的で、事実はもっと、残酷なものだ。


 誰もが私を隣れんでいた。誰もが私を羨んでもいた。

 私は特別だった。

 その特別は私にはいらない特別だった。

 気持ち悪かった。最初、何に対しての感情かはわからなかった。ただただ、とめどなく押し寄せてくる気持ち悪さを笑顔の奥に押し殺すだけで何日もがすぎた。何も口にしたくなかった。それでも、母が心配しないように、怒らないように食べた。全部吐き出してしまったけれど。好きな音楽さえ、怖くなった。何も考えずありきたりな希望を歌っているようにしか感じ無くなっていた。どこかに感情が消えていく感覚だけが鮮明に身体に残っている。理由がなかった。特別に思われることなんて慣れていたはずだ。友達に笑顔の仮面で接するのも、私は幸せな空間を生きてるのだから。


 帰り道に自称友達が言った。私にとっては名前すらも覚える価値のない人間だった。ただ、一人でいると他者の視線が痛いし、そいつらの心の内が手に取るようにわかってこれまた気持ち悪かったので、ただそいつの帰ってるだけだった。

 そいつが私に向かっていった。何もかも見透かしたように

「大丈夫?無理してない?頼っていいんだからね。友達でしょ?」

 笑えない冗談だった。そいつは自分に酔ってたのだと思う。でなければ、全身から哀れみを発してる目の前にいる奴は私の何なのだろうか。私は他者を自分のパーソナルスペースに入れることは無い。他人が入る隙間なんてないからだ。だから、自分から友達とかいう、都合のいい言葉を発することなんてない。友達という盾を使って私のシールドを無理やりこじ開けようとする奴がいるからだ。そいつはいとも簡単に超えては行けないラインを超えた。

 それだけだと思えばよかったのかもしれない。

 突き放せばよかったのかもしれない。お決まりの笑顔に暗い感情を押し込めて、なんともないとでも言えばよかったのかもしれない。そんな言葉を吐く余裕すらなかったんだと今ならわかる。


ぐるぐる もやもや

吐き出したいけど 吐き出したくない

頭がどんどん劣化していく

何も生み出せない

何も感じない

何も得られない

明日はどこだ 未来はどこだ

怖い

何もかもが怖い

明日なんて見たくない

ぐるぐる もやもや

溜め込みすぎた?

ぐるぐる もやもや

気持ち悪い

ぐるぐる もやもや

頭が痛い

ぐるぐる もやもや

息が苦しい


 闇に沈んでいく、飲み込まれていく。全てが黒くドロドロになっていく。身体は今にも、内側から消化されて、溶けだして、崩れ落ちていくようだった。腐った脂肪と化す前の脳で最後に思ったのは目の前にいる奴が気持ち悪いということだった。


 足元に木の棒が落ちていた。なんてことない棒だった。

 それでも、危険な感情に支配されてる人間が手に入れれば凶器になれる。何度も何度も人を殴ったその感触はむず痒かったけど、何だかホッとした。やっと、人間になれた気がした。

 私は人間じゃなかったのか。そんな当たり前のことにも今更気づいた。今気づいたところで遅いというのに。

 何だか笑えてきた。

 優等生の私。

 人殺しの私。

 逃げてる私。

 小説のなかだとしたら、悲劇のヒロイン間違いなしだが、現実はそういいものじゃない。愛すべき憎む世界へ、私はどうしたら良かったのでしょうか。そして、これからどこに向かえばいいのでしょうか。


 好きなところまで行ってみようとふと思った。生まれた時から生まれたことへの罪悪感にまみれていた私はずっと行きたくて仕方がなかったが、無駄だと怒られそうで言い出せなかった場所をいくつも思い描いては、不可能だなと、候補から消していく。

 最後に残ったひとつへの計画を立てて、心の底から笑った。


 そこからは走って家まで帰った。ご近所さんは私の顔を見るなり、ギョッとした顔をして見て見ぬふりをした。返り血は黒い制服で目立たなかったので大丈夫のはずだと、わたしも特に気にしなかった。


「お年玉、まだ銀行に持っていってないって言ってたね。やっぱり、ここにあった。お金に血がつくのは良くないからちゃんと手を洗って、血はなかなか落ちないっていうのはどうやら、本当みたいだね。なら、ちょっと早いけど手袋もつけて、ほら、完璧。

 ノートを持っていこうかと思ったけど、やめよ。もし、捕まるか、死ぬかして、ノートが誰かの手に渡ったら嫌だしな。誰かに知ったかぶられて、ニュースに出てる専門家に分析とかされるんでしょ。また私が踏みにじられてしまう。誰の記憶にも記録にも残りたくない。透明人間にでもなれたらきっと楽なのに。行方不明だったとしても、今まで散々私のことを陥れた人間たちはこぞって哀れみを顔にうかべて嬉々としてインタビューに向かうんだろうな。どうすれば、偽善者たちを喜ばせずにいなくなれるんだろう。」

 考えていることが、全部口から出てしまうぐらい、その時の私はおかしかった。それでもこれ以上ないほど満たされていた。

 そこでふと、思い出した。落ちれば願い事が叶うと言われている、自殺の名所。

「ふふふ、消え方が決まったね。私の行きたがっていた街からちょうど行けるみたい。いい時間にバスもある。誰もいない海の底に沈んでみるのも悪くないかな。」


 あの子が見つかるまでどれぐらいかかるのだろうか。現在時刻午後四時。お母さんが家に帰ってくるまであと五時間もあった。お母さんが気づいた時には私はもう海の泡になっているはずだ。私の存在を忘れて、きっと仕事人間になるのだろう。私の部屋を見て、何も無いのをいいことに、仕事部屋でも作るのだろう。再婚もするかもしれない。子供がいなくなれば、きっとすぐにできる、なんせ、お母さんは美しいキャリアウーマンなのだから。


このまま、行ってしまうのも、なんだか忍びない。そこで、一回やってみたかったことをやることにした。いつも脳内で想像してたことだ。もう、わたしの脳に危険や善悪を判断できるという期待は一ミリもする価値がなかった。


 マッチは探せば直ぐに見つかった。冬だから、学校には灯油があった。今日はたまたま、先生たちが留守の日だったので、侵入も実行も容易かった。窓を割って、学校に入る。建物は下から燃やすに限る。一階の教室にどんどん灯油をまいていく。最後の最後入ってきた窓から外に出て、外から火をつけたマッチを投げ入れる。火は直ぐに燃え広がった。なんだか、楽しくなってきて、木も燃やしてしまおうと考えた時、ふと人の気配を感じた。

 そこには、学校から一番近いところに住む、同級生の女の子だった。侵入者を見て、走ってきたのか、肩で息をしてる。その子の手には包丁があり、私を忌々しそうに見つめていた。

 何やら、言葉を発していたが、何も聞こえなかった。火の手も迫ってきたので逃げることにする。どうせ、ただの学生に人なんか刺せやしないのだから。

私の鼠径部に何やら冷たいものが入り込んできたのを感じた。願望の一つに人の狂気を味わってみたいというものもあった。実際はとても苦くて、喰らえたもんじゃなかったが。痛みは最初からなかった。体温が冷たくなっていく感覚だけが意識の奥底で少しだけあったように思うが、もう分からなかった。


 駅まで歩いた。人は本当に自分のことしか見ていないことを思い知った。いつ廃線になってもおかしくない、地元の電車に乗る。誰も私の顔色の悪さに気づかない。その状況がいつもと変わらなくて、なんだかおかしかった。


 目的地に着いた。レトロな雰囲気の駅前の商店街には一つだけ目に引くものがあった。ただの学生には手が出せない金額だが、今の私からしたら、五つ買ってもお釣りが出る程度のものだった。それを手に入れた私は、雰囲気のある喫茶店でクリームソーダを飲んだ。傷口にチクチク響いて心地よかった。ここは祖父の家があった街だ。祖父はもう私のことがわからなくなってしまった。会いに行っても何かを求めるように手を伸ばして唸るだけ。縁側で猫に膝を貸してうたた寝していた祖父はもうどこにもいなかった。

 マスターのご主人はどことなく祖父に似ている気がした。彼は私の全てを悟っている気がしたが、不思議と居心地は悪くなかった。

「彗星のあんドーナツでもいかがですか。」

 急に尋ねられた。不快ではなかった。

 私は答える代わりにこくりと頷いてみる。彼の人柄のような優しい味がした。心が温かくなると同時に覚悟が決まった。涙は出てこなかった。もう、後戻りはできない。

 マスターは目を細めて、微笑んでいた。人の温もりに触れた気がした。きっと気のせいだ。


 最後の目的地のバス停に立つ。古びた昔ながらの壊れかけの小屋の中に、ベンチがあった。そこに、さっき商店街で買った、ガラスの猫を二匹置いた。猫も寂しくないように。私はこの逃避行の間に少しずつ感情を思い出していたようだったけど、なんとなく見て見ぬ振りをした。ここに、もし同じような人が来たら、これを見つけて、少しでも楽しい気持ちになればいい。少しでも、自殺願望が無くなればいい。

 死に際になって初めて、明日に希望をもつなんて、思いもよらなかった。明日を救うヒーローになる。それは、子供ながらに描いた初めての夢だった。某アニメの可愛い女の子達ではなく、男のヒーローだったのは彼らの方が強そうで、そして、絶対になれないものだったからだと思う。人はきっと不可能に引き寄せられのものだから。

 スマホを取り出す。母からの連絡はない。乾いた笑い声が二回ほど小屋の中に溢れた。最後の瞬間まで私は誰にも気づかれない。

 空が綺麗だった。

 初めて見る形の雲になんだかわくわくした。

 海が綺麗だった。

 最初で最後の海でこんな綺麗な夕陽がみられるなんて。

 もし私が小説家だったら、この景色をどんなふうに描いただろう。

 もし私が音楽家だったら、この景色の下で何を弾いただろう。

 もし私が私じゃなかったら、この景色を見ることもなかったんだろう。

 もし私が私じゃなかったとしても、世界はきっと美しいんだろう。

「綺麗な世界は汚い私には息苦しい。私は死にたくない。死んでまた、こんな綺麗な世界にまた生まれ変わるぐらいなら、透明な人間にでもなって、孤独の中で生きていたい。そんな願いでも叶えてくれるのかな。」

 口にすれば誰かが聞いてくれてるかのような不思議な空間だった。

 歌いたくなった。ふと思った歌の歌詞を口ずさもうとして、やめた。もう、生きれなんかしないのに、大好きだった歌たちはどれもこれも生きたいと歌っていたから。今の私には歌えなんかしなかった。

 日が沈み切るまで、私は永遠と地平線を眺め続けた。

 限界が来た。包帯でぐるぐる巻きにしてても、所詮素人の巻き方、全く止血なんかできてなくて、押さえても私の感情が溢れるように、赤黒い血がとくとくと流れた。ここまで頑張ったんだ。あと三歩も歩けば、願いが叶う。

 不思議と怖くも嬉しくもなかった。ただ、満足だった。最後の瞬間こんなにも穏やかな気持ちなのだから。


 いち

 に

 さん



 喫茶店のマスターのような光に満ちた温かさに包み込まれた気がした。


 ある星が降る夜に、一人の少女が身を投げた。

 少女は獣のごとく人を殺めた。

 少女は獣のごとく夜の闇に紛れて、火を放った。

 少女は透明なまま子どもらしく無邪気に笑っていた。

 ある子は刺すつもりはなかったんだと、虚空に向かって話し続けてた。

 少女はある子を優しく包み込んでキスをした。

 ある子の瞳から涙が溢れた。

 少女の部屋は朝になると、教科書も本も服も家具も全部無くなっていた。

 少女が生きた記録はどこにもない。

 唯一透明な猫だけがいまの少女を知っている。

 少女は幸せだった。それだけは紛れもない真実だっだ。

 写真からは少女だけが消えて、いつしか、記憶からも消えてしまう。

 そう、あの日の流星群のように。


 彗星は地球にぶつかって、燃え尽きる。

 美しい尾を描きながら。

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