第16話

 橋を渡り、キール領に入って歩き続けること1時間ほど。 アルベルト郷の追っ手はなく、私達が歩く靴の音と風に揺れる草木の静かな音だけが耳に届く。 この付近はアルベルト領よりも森林が少なく平坦な草原が続く。 道こそ整地されて歩きやすいものの、一度誰かに見つかれば身を隠せる場所はどこにもなかった。


「…… 誰もすれ違わないね…… 」


 先程の逃げていった行商人が触れ回ったんだろうか。 アルベルト領では馬車や旅人がそれなりに行き交っていた外円道は、今は誰一人として姿を見ることがなくなっていた。 緩やかに左にカーブする道の先に微かに建物の影が見えるが、それもまだ遠く、何キロも歩くのだろう。


「このままあの町に入るのか? 」


 光ちゃんも建物の存在に気付いたようだ。


「うん、そのつもりだったけど…… 」


「…… 顔見た途端、またいきなり斧振り回されたりしないよな? 」


「うーん、狩人は服装で光奴だって分かるって言ってた。 制服って、この世界じゃ珍しいんだね 」


「ってことは、制服着てる光奴が多いってことだ。 中学生、高校生ばっかりなのかもな 」


 考えたことがなかった。 パッと見で私達を区別出来るのだとしたら、珍しいデザインよりもそのデザインに見慣れてる事が前提になってくる。 中高生が行方不明になったというニュースをたまに見るが、もしかしたらこのイシュタルに飛ばされていたのかもしれない。


「それじゃ私達も、狙われてここに飛ばされたってことになる? 」


「かもしれないってだけだけどな。 なんで中高生ばかりを狙うのかは分からんけど 」


 制服ってことは、それなりに高度な学校制度がある国。 日本だけに限る訳じゃないのだから相当な光奴がいるのかもしれない。


「故意的に制服を着た中高生を狙ってるんだとしたら…… 」


「何か目的があるんだろうな 」


 光ちゃんも、異世界転移には犯人がいると思ってるようだ。 となれば、私達を包んだあの強烈な光も人為的に作ってることになる。 そいつの所に行けば現実世界に…… 


「翔子、馬車だ 」


 考えながら歩いていると、ツンツンと光ちゃんに肘でつつかれた。 路肩に寄せられた馬車は大きく傾き、4つある大きな車輪の1つが外れてしまっているようだった。 小学校高学年くらいの女の子が2頭の馬の前に立ち、母親らしき綺麗な女性が外れた車輪を直そうとしている。 だが荷台に掛かっている幌の隙間から見える荷物は重たそうで、女手ではどうにもならなそうな雰囲気だ。


「………… 」


 女の子と2頭の馬にガン見されながらも、また騒がれるのを恐れて、私達は無言でその横を通り過ぎる。 


「すいません! 車輪を直すのを手伝って貰えませんか? 」


 背中に掛けられる声にピクッと体が反応してしまう。 立ち止まってしまいそうになるが、私は振り向かずにそのまま歩き続けた。


「何か言われたのか? 」


 そうだった、光ちゃんは言葉が分からないんだっけ。


「手伝って欲しいって 」


「…… いいのか? 」


 手伝ってあげるのが本当なんだろうけど、あの人も私達を見たらきっと光奴だと騒ぐだろう。 ここでまた危険な目に合うのは避けたい…… 光ちゃんの問いには答えず、私は黙々と足を進めた。




「らしくないな、翔子 」


 しばらく無言で歩いた後、後ろを歩いていた光ちゃんがボソッと呟いた。 私は立ち止まって光ちゃんに振り向く。


「…… だよね。 あの人困ってるんだもん、私もずっと気になってた 」


 自分達の身の安全も大事だけど、困ってる人は助けるべきだ。 誰かが助けてあげるだろうと思っていたけど、しばらく歩いてもすれ違う人は一人もいなかった。 若めのお母さんと小さな女の子じゃきっと今も困っている…… もしかしたら、ここから人を遠ざけてしまったのは私達のせいかもしれないし。 私は踵を返し、光ちゃんの手を引いて歩いてきた道を引き返した。




 見えてきた馬車はまだ大きく傾いたまま。 2頭の馬の視線を感じながら、私達は壊れた馬車に駆け寄る。


「何をすればいいですか? 」

 

 若いお母さんは目を丸くして驚いていた。 額には大粒の汗が滲み、悪戦苦闘していたのだとすぐに分かる。 


「ありがとうござ…… 」


 私の顔を見た女性の笑顔が曇る。 やっぱり止めておけば良かったかな…… いや、そうじゃない。 私達が光奴だと知って騒がれるのなら、それから逃げればいい。


「あなた、私の言葉が分かるのね。 ありがとう 」


 フッと女性の笑顔が戻った。 話し声を聞いたのか、馬車の影から女の子が顔を出した。


「エミリア、その人光奴さん? 悪い人? 」


「こら! アリア! 助けてくれる人にいい人も悪い人もないの! 」


 エミリアと呼ばれた女性はアリアという女の子を優しく叱りつける。 『ごめんなさい』と頭を下げるエミリアさんに私は苦笑いをして見せた。


「やっぱり分かるんですね。 光奴って悪い人なんですか? 」


「世間的にはね。 私はそうは思ってないのだけど 」


 世間的には…… か。


「この馬車の荷物を降ろしたいの。 重くて私達だけじゃ降ろせなくて 」


 馬車の荷台を見るとドラム缶のような大きな樽が4つ。 大きめの石に乗り上げた際に、車輪の抜け防止のストッパーが壊れて軸から抜けてしまったのだそうだ。


「片輪を浮かせないと修理出来なくて 」


 そういうことなら……


「光ちゃん、この馬車を少し持ち上げてくれる? 」


「ん? あぁ 」


 光ちゃんは馬車の荷台に手をかけて腰を落とす。 それを見ていたエミリアさんが『イヤイヤ』と首と手を振った。


「いくら男手でも持ち上がるわけ…… 」


  ガゴン!


 馬車は難なく持ち上がって水平になる。 ポカンと口を開けて絶句するエミリアさんとアリアちゃんを横目に、私は転がっていた木製の車輪を持ち上げた。


「重た…… 」


「あ…… ゴメンゴメン 」


 ハッと我にかえったエミリアさんと一緒に車輪を軸に嵌めて、折れてしまったストッパー代わりの棒を軸に差し込む。


「ありがとう光ちゃん 」


 光ちゃんは一つ頷いて馬車を静かに地面に降ろした。 アリアちゃんが少し馬車を進めてみたが、取り付けが甘くグラグラと揺れる。 修理が必要だが、とりあえず動けるようになって良かったとエミリアさんは喜んだ。


「ありがとう! えっと…… 名前を聞いていなかったね 」


「あ、はい。 藤井翔子です。 こっちが前原光 」


 光ちゃんも自己紹介してるのだと気付いて頭を軽く下げる。


「私はエミリア。 この子が娘のアリア。 この馬車で運び屋をしているの 」


「ありがとー、光奴のお姉さん! こっちがアルトでこっちがアヴィだよ 」


 アリアちゃんが2頭の馬の紹介をしてくれる。 アルトとアヴィは、ばん馬に近い大型の馬で、ずっと大人しくしていた所をみると気性は穏やかな馬みたいだ。


「それにしても彼、凄い力の持ち主だね。 びっくりしたよ 」


「まぁ、あなた方が言う光奴ってヤツですから…… 」


 ケラケラ笑っていたエミリアさんが突然真顔になる。


「光奴だからといって、何かずば抜けた力を持っているって訳じゃないのよ。 逆にそういう力を持っている方が珍しいくらい 」


 そうなんだ…… じゃあ私達二人がお互い特殊能力があるのは恵まれてる方なのね。 


「翔子、ちょっとマズイ 」


 肩にポンと手を乗せてきた光ちゃんが顎で道の先を差す。 見ると、遠くの方から3頭の馬に乗った兵士らしき人達がこちらに向かって走ってきていた。 多分逃げていった行商人が兵士を呼んできたんだ。


「それじゃ私達はこれで 」


 エミリアさんに頭を下げて、私は光ちゃんの背中に手を掛けた。 それに合わせて光ちゃんも屈んで私を背負う体勢になってくれる。 あれくらいの追っ手なら、光ちゃんならすぐに振り切れるだろう。


「追われてるの? 」


 エミリアさんの緊張した声が私達の背中にかかる。 振り向くとエミリアさんは険しい顔で私達と近づいてくる兵士を見比べ、アリアちゃんと顔を見合わせて頷いたのだった。

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