第14話

 トゥーランの街は五万人の人々が暮らすファーランド王国で二番目に大きい街だ。 大陸の中心地ファーランドから西に位置し、森の北西部一角を切り拓いて作られたこの街は、肥沃な土地に恵まれ農業が盛んに行われている。 そのトゥーランの街の中央に位置する時計塔のある大きな屋敷に、領主のアルベルト卿の姿があった。


「光奴? 」


 机で書類整理をしていたアルベルトのペンが止まる。


「はい。 ギルドからの報告なのですが、ただならぬ怪力を持つ男と、言葉を理解できる女がいたと。 セリウスの村の狩人がこちらへ連行していたようですが、外円道でエルンストの方角へ逃げたそうです 」


「フム…… 」


 秘書のアーティアからの報告に、アルベルトは顎ヒゲを擦りながら机の上をじっと見て考える。


「至急捜索隊を編成して現地へ向かわせろ。 なんとしても我が領で保護するのだ。 キール領に行かせてはならん! 」


「了解しました 」


「私も同行する。 馬を用意してくれ 」


 アーティアはアルベルトに一礼すると、足早に部屋を出ていった。 アルベルトもまた、乱暴に椅子から立ち上がって壁に掛けてあった愛用のサーベルを手にする。


「ミナミ…… 貴女なのか? 」


 昔を懐かしむようなアルベルトの表情は、嬉しくも悲しくも取れる複雑な色をしていた。





 翌朝、翔子は馬の蹄の音で目が覚めた。 夜も明けきらないまだ暗い時間。 上体を起こして木の上から見る外円道には、松明を持った兵士や騎士が右往左往していた。 翔子は慌てて光を揺すって起こす。


「光ちゃん、ヤバいかも 」


「うーん…… 」


 まだ夢の中の光は寝返りを打って翔子に覆い被さる。


「ば、ばか! どこ触ってるのよ! 」


 光は翔子の腰に手を回し、感触を確かめるようにお腹廻りをサワサワと揉み始める。 翔子は声を殺して懸命に光の手を振りほどき、光の頬をグイっとつねった。


「いひゃいいひゃい…… 」


 発音もままならず、光は寝惚けた顔で起き上がる。


「なんだよ、まだ暗いじゃないか 」


「シーっ! 」


 翔子は自分の唇に人差し指を立て、外円道の方を何回も指差した。 光はゴシゴシと目を擦って目を凝らす。


「なんだあれ…… 」


「私達を探しに来たんだと思う。 きっとアルベルトの配下の者なのよ 」


「…… しつこい奴らだな。 よほど俺らが邪魔なんだな 」


「逃げなきゃ…… 」


 翔子が起き上がろうと枝の上に膝を付いた時だった。


  パキッ  ガサガサ……


 重ねていた枝が折れて真下の茂みに落ちる。 何人かの兵士が振り向き、お互い顔を見合わせて森の中に入ってきた。


「ヤバ…… 」


 青ざめて逃げ出そうとする翔子を、光は強引に抱き寄せて口を覆う。


「大丈夫、じっとしてれば松明の明かりはここまで届かないから 」


 そうは言ったが、翔子の耳元で囁く光も肩に力が入っていた。 翔子もコクコクと何回も頷いて唾を飲み込む。


「この辺で音がしたんだが…… 」


 森に入ってきた一人の兵士は、茂みを見た後に二人が身を潜める木に向かって松明を掲げた。


「猿じゃないのか? こんなところ人間が登れる筈ないだろ 」


 兵士達はしばらく木の上に目を凝らしていたが、何も見つけられずに森を出ていく。


「キール卿のエルンストに行くには、どのみちこの先の一本橋を抜けなきゃ行けないんだ。 夜が明ければすぐに見つかるさ 」


 捨て台詞のような兵士達の会話に二人はじっと耳を澄ませていた。


「…… だってさ。 どうする? 」


「どうするって…… どうするよ? 」


「う…… ん、どうしよ 」


 アルベルト領のシエスタ地方とキール領のエルンスト地方は、一筋の深い崖で隔てられている事を翔子は知っていた。 迂回路は他になく、二人がエルンスト地方に渡る手段は外円道に掛かる大きな吊り橋を渡るしかない。


「強行突破するか? 」


「危ないけど…… それしかないよね 」


 二人は頷き、強行突破の作戦を練り始めた。 空は徐々に明るくなり、外円道にも馬車が行き交い始める。


「結構人通りがあるんだな、この道って 」


「外円道って物流の大動脈だからね。 キール領とアルベルト領を結んでるのってこの道しかないみたいだから、余計に人通りが多いんだと思う 」


 木の上からじっと観察をしていると、日が高くなるに連れて馬車の数も増えていた。 人目に付くことを考えて、二人は日が暮れるまでこの場所で待ち、暗闇に乗じて吊り橋を正面突破しようという作戦に至った。


「それで早速なんだけど…… あのね…… 」


 翔子は顔を赤くして光を上目遣いで見る。


「…… どうしたんだよ? モジモジして 」


「あのね…… おしっこしたくなっちゃって…… 」




 光の目の前で木の上からする訳にもいかず、やむ無く場所を移動する。 翔子は相当我慢していたらしく、光の背中で衝撃がある度に呻き声を上げていた。 光は少し離れた茂みに翔子を降ろしてその場を離れる。 光はそのまま静かに木を登り、食糧になりそうなものを探しに行ってしまった。


「…… ふぅ 」


 尿意の危機を退けた翔子はポケットティッシュを探す。


「最後の一枚…… 」


 ティッシュを使いきり、後はハンカチを洗って繰り返し使うしかない。


「お風呂、入りたいなぁ…… 」


 イシュタルに転移されてから今日で5日。 髪はゴワゴワになり、服は泥だらけで汗臭い。 顔や腕は光が崖の上を探索中に池の水で流したが、いつ戻ってくるか分からない状態で制服を脱ぐ気にはなれなかった。


  カサッ


 パンツを上げていた翔子の後ろで葉が擦れる音。


「っ!! 」


 翔子が反射的に振り向くと、そこには胸当てを着けた二人の兵士が剣を構えて翔子に向けていたのだった。

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