第14話 推しを慕う姫の騎士
部屋の外に出ると、目の前にはまさに断崖絶壁といえる崖が広がっていた。
恐怖から咄嗟に一歩下がりると、背後には地球でいうところのログハウスに似た建物があるのが見える。今まであの中にいたのかと驚くこともあるが、目の前にある崖にもあり、感情がグチャグチャになってしまう。
「崖!? ログハウス!? どういうこと!?」
頭を両手で抑えて目に入る状況を飲み込めないでいると、ユーリが「これが現実です」と淡々と話かけてきた。
「今この場にいる現状を飲み込んでください。ここはパラトピアで、地球でいう異世界です。洞窟を抜けた先にある森の中で、天使の秘宝を見つけましょう」
「お、おう……そうだな。ていうか、本当に異世界なんだな」
周囲を見渡すと、澄んでいる空気で肺が満たされ、崖からは海が見える。
どう見ても異世界には見えないが、空を見上げると月が二つ見えた。地球では月が一つだが、ここでは二つだ。明らかに違うことを見せられ、異世界であることを強制的に認識させられる。
「左側に洞窟があるのが見えますか?」
ユーリが指差す先を見ると、崖を進んだ先に人が一人分入れる程度の大きさの穴が見えた。どうやらそこに入るようだが、本当にルナが入ったのか疑問だ。
「ここにあのルナが入ったの?」
「そうですよ。何を思ったのか急に洞窟に入りたいって言い始めまして、近くにあるこの洞窟に入ったんです」
説明をしつつ森へと続く洞窟に案内される。
ユーリは「良い匂いだ」と大きく深呼吸をしながら言葉を発し、洞窟を進んでいく。
「なんか甘い匂いがするな。洞窟ってこんな匂いしたっけ?」
頭上から水が滴り落ち、湿度が高い。
それなのにどこか甘い香水のような匂いが漂っている。一体どういうことだろうか。隣を歩くユーリは疑問に感じていないようで「良い匂いだ」と何度も恍惚の表情を浮かべている。
「この匂いはルナ様の体臭ですよ」
「は?」
こいつは何を言っているんだ。
いくら洞窟だからといっても、こんなに甘い匂いがするはずがない。それに人の体臭がこれほど残るとは思えないが。
「だからルナ様の体臭ですよ。あ、言い間違えていました。残り香ですね」
「どっちにしても、そんなの嗅ぎ分けられるお前が気持ち悪いわ!」
「すみません。でもあの時のルナ様は一ケ月間も身体を清めていませんでしたからね。結構なキツイ体臭が――残り香がしていましたよ」
「だとしても残り香で甘い匂いが強すぎる。甘くて助かったけどさ……」
残り香の甘い匂いを嗅いでいるユーリに引きつつ、洞窟を進んでいく。
静かな空間に水滴が落ちる音が響き渡るが、それと共にカツンという足音も響き渡る。洞窟と聞いてすぐに抜けられると思ったが、どうやら違ったようだ。
「この洞窟は入り組んで、横道が多いので逆にルナ様の匂いで助かっているんですよ? この匂いがなければ既に迷っています」
「そうなの? 薄暗いから後を付けているだけで、道は一つしかないと思っていたけど」
そう言うと、ユーリがあっちを見てくださいと左側を指差した。
「左に行くと崖に急に現れて海に落下します。あっち側には凶暴な鮫などがいますので、喰われて死んでしまうでしょう」
「そうなの!? でも、どうして道が分かるの? 匂いだけってわけじゃないでしょ?」
「いえ、匂いだけですよ。今よりもルナ様はお命を狙われていたことがあります。夜も寝られない日々が続いていた際に、暗殺者に襲われる幻覚を見たルナ様は、慌ててこの洞窟に入ったんです」
あのルナがそんなことになっていたとは思っていなかった。
気が強く、我儘だと思っていたあの姿はただの虚勢には思えない。暗殺者に恐れて洞窟に逃げた姿や、ミオの前や出雲に対する態度もルナなのだろう。
「洞窟に入って、逃げていく際に頭の中に声が響いてきたと言っていました」
「声?」
「そうです。心が落ち着くような、神秘的な声だと言っていました。その声に導かれるように洞窟を進むと、目の前に森が現れたようです」
「それで、森の中心部に行ったら天使の秘宝があったということか」
「そうです。しかしルナ様は手に入れることができませんでした。なぜなら適合しなかったからです」
適合というのは何なのだろうか。
天使の秘宝に認められるという意味なのか、分からないことだらけだ。だが、それよりも知りたいことが沢山ある。
「俺さ、天使の秘宝のことよりもこの世界のことを知りたいんだよ。パラトピアとかヘリスって言われてもピンとこないんだ」
「あ、そうですよね。地球とは成り立ちも違うんですよね」
そう言ったユーリは考える素振りを取った後、静かに立ち止まった。
「少し休憩がてら話しましょうか。ここなら水滴もありませんし」
平べったい岩の上に座ったユーリは、横に座れとジェスチャーをしてくる。出雲の座る岩は少し湿っている気がするが、そこは我慢をするとしよう。
「教えてくれるのか?」
「教えられる範囲ですがね」
クスクスと小さくユーリが笑う。
「さて、どこから話しましょうか。この世界は魔法が主体となっています。地球での科学技術はこちらでは魔科学となっています」
「魔科学って格好いい名前だな」
「名前だけですよ。科学も突き詰めれば魔法と言われるように、魔法も突き詰めれば科学になります。自身の魔力を流せば、義手や義足が生身であったとき以上に機能します。義手や義足で能力向上させるために、自ら斬り落とす人もいるくらいです」
地球もだったが、パラトピアも狂っている。万能すぎる魔法だからこそ、義手や義足が機能しすぎてしまう。そのため、四肢を切り落とすだなんて出雲にとっては考えれないことだ。何もかもが狂っている世界としか思えない。
しかしこの世界に推しが生まれ、生きている。だとすれば推す出雲自身もこの世界を愛さなければならないし、良い世界に救世主としてしなければならない。
「魔法事情で言えることはこれくらいですかね。あとは一般人も魔法が使えて、生活に根付いていることですかね」
「それだけでも凄すぎるし、生活に根付いていることだけ教えてくれよ」
「ははは、良い部分だけ教えても駄目だと思いましてね」
「ありがたいね! ありがとうよ!」
睨みつけながら感謝の言葉を述べると、そろそろ行きましょうかと立ち上がって言ってくる。もう少し話しを聞きたいが、仕方ない。手に入れて戻ったら再度聞くしかない。
「天使の秘宝を手に入れたら、もっと教えてくれよな」
「そこは、ミオ様にお聞きした方がより詳しく教えてくれると思いますが」
「そうだけど、聞きづらい」
「そう言わずに、ちゃんと聞けば教えてくれますよ。この世界のことを知っておかないと、後々苦労しますよ」
ユーリの言うことは正しい。
パラトピアのことを知らないと、何かあった時に必ず困ってしまう。ここは意を決してミオに詳細に聞くしかないが、向こうから切り出してくれるとありがたい。
しかし、そうはいかないだろう。ルナに邪魔されたりするかもしれないから、戻ったら教えてくれるように話しかけるしかない。そんなことを考えながら、森を目指してさらに洞窟を進んで行く。
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