第10話 推しと料理と襲撃者

「駅前にですね、美味しくておしゃれなスパゲティ料理屋があるんですよ!」

「それはさっきにも聞きましたよ。他には何か情報はないんですか?」

「あ、それでですね! なんとジェノベーゼが絶品なんです!」

「聞いたことがないわ。どんなスパゲティなの?」


 前を歩く瑠璃があんなに楽しく話すところ、俺以外にもいたんだな。

 なんか悔しいけど、日下さんなら仕方ない。きっと姉みたいな存在で、話しを聞いてくれて嬉しいんだな。あの笑顔を独占できなくなるのは悲しいけど、瑠璃にも頼れる人ができたのは嬉しい限りだ。


「あの二人楽しそうね。本当に沙羅さんはあの子の力を借りるつもりなんだ」


 横を歩くミオが何やら呟いている声が耳に入る。

 力を借りるということは、パラトピアを救うために戦うということだ。いくら魔力を使えるとはいえ、出雲は戦ってほしくないと考えている。瑠璃には笑って日々を過ごしてほしい、苦痛などなく戦いを知らずに。

 だが、世界がそうさせない。パラトピアや日下達と関わってしまったからには、逃れられない運命が襲ってきているのだ。


「瑠璃には正直、戦ってほしくありません。俺が戦いますから、日下さんにそう言ってください」

「そうね。瑠璃ちゃんには戦いは向かないと思うわ。戦場は生半可な気持ちじゃ歩けないし、常に隣に死神がいるわ。出雲君はそれでも瑠璃ちゃんの分まで戦えるの?」


 常に死がある。その言葉が怖いはずがない。誰だって死は怖いし、俺だって死にたくない。死ぬまで推しを推して楽しく自堕落に生きたい。

 だけど、瑠璃は違う。あいつには笑顔でいてほしいし、死ぬまで怒られたい。守りたい存在だ。推しとは違う推しだ。だから――初めから答えは決まっている。


「俺が戦います。瑠璃の笑顔のために、そして推しの笑顔のために。正直怖いですが、やってみせますよ」

「そう。ならちゃんと私も支えるわね。出雲君には私の力が宿っているから、魔法の使い方を教えないとダメだし」

「使い方の前に何て言いました?」

「私の力が宿っているって言ったわよ。あの時、パラトピアで出雲君に私の力を全部上げたの。だから、今の私は魔法が使えないわ」


 なんてことだ。

 推しの力が宿っているなんて最高だけど、ミオさんが魔法を使えなくなるなんて最悪だ。奪ったのと同義だし、申し訳ない気持ちで一杯だ。


「ど、どうして俺に力を!」


 叫ぶとミオが数歩先を歩き始め、後ろを向いた。


「出雲君は救世主でしょ? だから、パラトピアを救ってもらえるために力を上げたの。まだ出雲君自身が扱える魔法が分からないから、私の力をあげたのよ」

「そうだったんですね……パラトピアやミオさんのために頑張ります!」


 その言葉の先にいるミオは花が咲くような綺麗な笑顔をしていた。


「よろしく頼むわね。私の救世主」

「はい!」


 言葉だけ聞くと重い話しだが、出雲は違った。

 守るための戦いであり、自身の想い次第で軽くなるからだ。前を歩くミオと瑠璃の二人を目で追うと、少しずつ駅に近づいていることに気が付いた。


「あ、そろそろ駅みたいね。瑠璃ちゃん達のところに行ってくるねー!」


 後ろ歩きをしながら手を振って二人のところに、ミオは小走りで行ってしまう。

 もらった力を有効活用し、パラトピアを救う偉大な使命を瑠璃には絶対にさせない。出雲は楽しく会話をしている姿を見つつ、自身も会話に混ざるために小走りで駆け寄った。


「出雲! もうすぐ着くよ! ジェノベーゼが凄く美味しいから、絶対食べて!」

「ほぉ、そんなに美味しいんだね」

「うん! 沙羅さんやミオさんにも勧めたから、四人で食べよ!」


 そう言いながら沙羅の腕を掴んで店に向かう。

 瑠璃が言う店は駅の側に建てられており、既に十名以上並んでいるようだ。店名は『スパゲティ王国』と書かれている。前面がガラス張りな店の入り口前に立てられている看板には“絶品スパゲティの祭り王国„と書かれている文字が目に入る。

 一体どんな王国なのだろうかと出雲が考えていると、突然ガラスが波打つように激しく揺れ始めた。


「きゅ、急にガラスが!?」


 波打つガラスに出雲は恐怖を感じている。

 ガラスが波打つなど想像をしたことがないし、目の前で起きている不可思議な現象に腰を抜かしてしまいそうになる。しかし、現実は出雲にそんな暇を与えない。


「見つけた」

 

 店内や周囲から逃げる人々の悲鳴と同時に、ガラスから声が聞こえてきた。

 心の底から憎悪を溢れ出しているかのような、身体の芯に響く少女の声だ。


「ガラスから声が!? 一体何が起きてるの沙羅さん!?」


 瑠璃が声を震わせて沙羅の腕に抱き着いている。

 怯えるのも無理はない。不可思議な現象を目の当たりにした普通の反応だ。しかし沙羅とミオは違う。


「パラトピアからの刺客ですか?」

「分かりません。ですが、油断をしないことです」


 沙羅の忠告虚しく激しく波打つガラスから、肩を超すピンク色の髪を持つ少女が現れたと同時にミオの右腕を力強く掴む。

 黒一色の軍服に見える服の威圧感が凄まじいが、身長は瑠璃と同じくらいで体格は小柄だ。まさしく可愛らしい少女だが、軍服がミスマッチ過ぎる。


「裏切り者のお姉様――見つけましたよ」


 左右に揺れる髪から覗く目元は、少女の持つ愛らしい顔からは想像ができない恨みや憎悪すら感じる。その姿を見た出雲は本能が逃げろと告げているのを全身で感じていたが、逃げることはできない。

 既にミオが腕を掴まれているので、助けなければならないからだ。逃げたら後悔をするし、逃げろと告げる本能を殴ってやりたいと出雲は考えていた。


「どうしてあなたがいるの!?」

「どうしてって、決まっていますよ。あなた達――主にお姉様に復讐をするためです。私を置いて、自分だけ幸せになろうだなんて……許せるはずがない!」

「許してもらおうだなんて思ってないわ。ただ助けたかっただけで、犠牲になるのは私だけでよかったの!」


 犠牲や助けたいという言葉を聞いた少女は眼を見開いて「嘘つき!」と声を上げ、勢いよく手を引いてガラスの中に入れようとしている。


「お姉様はこっちに来るの! パラトピアで私の奴隷として生涯をかけて償うの!」


 急に子供のように駄々をこね始める少女の様子を見ていた沙羅が、溜息を吐きながら腕を掴んで引き止めた。


「これだから子供は嫌いなんですよ。そこまでにしなさい」

「そこまでにするのはお前だ、日下沙織」


 ガラスから若い男性の声が周囲に響き渡る。

その声にただならぬ気配を感じた沙羅が腕を未だに掴んでいる瑠璃を突き飛ばしたと同時に、後方に勢いよく吹き飛ばされてしまう。


「沙羅さん!」


 地面に身体を強く打った沙羅に駆け寄った瑠璃は、涙を流しながら名前を叫んでいる。


「そろそろ空間が切れるので。お早くお戻りください」

「分かっているわ! 一緒に来てもらうわよお姉様」


 パラトピアでミオが何をされるか分からない。

 辛いことをされるのか、はたまた人質になるのか。出雲には想像がつかないが、やることは一つ。推しであるミオを救うことだけだ。


「行かせるものか! ミオさんを守るのは俺の使命だ!」


 波打つガラスに引き込まれたミオを追うように、出雲は飛び込んだ。

 全身が入る瞬間、後方から自身の名を呼ぶ瑠璃の声が聞こえたが心の中で謝っておくことにする。瑠璃も大切だが、今はミオの方が重要だからだ。

 無事に戻れたら、好きなチョコレートケーキをプレゼントしようと心に決めた。

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