第9話 推しに迫る代償

「あの、ミオさんは何をしているんですか?」


 頭を掻きむしりながら唸っているので声が届かない。

 さらに何度か声量を上げて名前を呼ぶとミオが「痴漢さんが何の用なの」とベットから勢いよく手に取った毛布で身体を隠しながら返答してくる。どれだけ根に持っているのかと思うが、勘違いをしたままなのでは心が砕け散りそうだ。

 すぐにこの場で解決をしなければ推しに嫌われたままになってしまう。それは心が持たない。早急に“痴漢„の汚名を返上しなければならない。


「痴漢さんに言う言葉はありませーん」


 取り付く島もない。

 すぐに出て行けと言われないだけマシかもしれないが、それじゃ駄目だ。嘘をついて後々揉めるよりは、今真実を話した方がいいはずだ。


「あの……ちなみになんですけど、ミオさんが入っていたトイレは、俺専用の一階トイレだったんです……」

「そんなはずはないわ! ちゃんと階段を――」


 言葉の途中で口を大きく開けながら停止してしまった。

 口の中を見つつ綺麗な歯だなと観察していると、ミオが「ごめん!」と言いながら頭を下げてきた。


「きゅ、急にどうしたんですか!? 頭を上げてください!」

「上げられないわ! 今思い出したけど、玄関があったの思い出したの! 私が入っていたトイレは一階だったわ! 殴りかかったり、“変態„って言ってごめんね!」

「思い出してくれれば大丈夫です! 嫌われたかと思いましたよ」


 頬を掻きながら言うとミオが「沙羅さんは誤解したままよ」と教えてくれた。


「それはまずいですよ! どうにかしないと!」

「私から説明をするから、大丈夫だよ! 沙羅さんならちゃんと分かってくれるから!」

「そ、そうだといいですけど……」


 出雲は沙羅に対して堅物で生真面目なイメージを持っている。

 下着を見てしまった時でさえ落ち着いて対処していた。推しの上司だけど、未だに距離感が分からないままの状態が続いている。いつか普通に話せるようにしたいが、瑠璃を通して当分は話すことにしようと決めた。


「日下さんのことよろしくお願いします。それで、机で何をしていたんですか?」

「あ、配信の準備をしていたのよ。前はパラトピアからインターネット空間に分身を作ってやっていたんだけど、地球に来たのならちゃんとした機材を整えてやりたいと思ってね」


 ふふんと言いながら胸を張って強調されている二つの双丘に目を奪われるが、すぐさま目を逸らす。これ以上“痴漢„や“変態„などと思われたら死ぬしか選択肢が無くなるからだ。


「なら買い物に行きませんか? 駅の方に家電量販店があるので、そこなら良いモノがあるかもしれません」

「パソコン本体やディスプレイはもう注文しているから大丈夫だけど、マイクや周辺機器を買いたいかなー」

「えっ!? パソコンは注文したんですか!?」

「うん。スマートフォン持っているから、インターネットで注文したわよ。住所は勝手にここにしたけどいいわよね?」


 ドヤ顔をしながらピンク色のスマートフォンを見せてくる。

 近頃テレビCMで力強く宣伝をしている最新機種だ。いつの間に持っていたのだろうか。連絡先を教えてくれるとありがたいけど、絶対むりだろうな。

 いや、粉砕覚悟で聞いてみるのもいいかもしれないな。推しの連絡先を知っているだなんて本来は駄目だが、事情が事情だから言い逃れられるはずだ。ファン達に自慢したいくらいだが、実際にしたら瑠璃達に殺されるからやめておこう。


「持ってたんですね。連絡先とか教えてもらってもいいですか?」

「急ね……どうしようかなー。出雲君毎秒でメールとかしてきそう。推しがーとかいいながらさ」

「そ、そんなことしませんよ! 推しに迷惑をかけないのは常識ですから!」


 まさか、しようとしていたことがバレていただなんて。

 ミオさんは変なところで勘が鋭すぎるから、気を付けないとな。

 何度か一人で頷いて考えを纏めると、自身のスマートフォンをミオの前に差し出した。


「これはなに?」

「俺のスマートフォンです。連絡先を教えてください!」


 鼻息を荒くしながら血走った眼を見開いて迫ると、ミオが悲鳴を上げてしまった。


「こ、来ない! 目が血走り過ぎだよ!」

「れ、連絡先を! 連絡先を教えてください!」


 来ないでと言われても迫り続けると、ミオの悲鳴を聞いた瑠璃と沙羅が慌てて部屋に入って来てしまう。


「悲鳴が聞こえたけど――て、何してるの出雲!」


 瑠璃の拳が出雲の脳天に炸裂し、部屋中に重低音を響かせた。


「ありがとぉ瑠璃ちゃぁぁん……」

「一体何があったんですか?」

「出雲君が連絡先を教えてと言いながら迫って来て、少し怖かったよぉ」

「暴走したんですね……後で叱っておきますから、許してあげてください。すみません。多分出雲も悪気があったわけじゃないんです」


 床で悶絶していると瑠璃が謝る姿が見える。

 どうして代わりに謝るのか不思議だが、昔から悪さをして怒られると瑠璃が謝ってその場を収めるのが定番だ。

 損ばかりしてないかと昔に聞いた時は、出雲を守るのは当然だよと教えてくれたことがある。当時も今も意味が分からないが、それでいいなら今も何も言わずにいるしかない。


「それは分かっているわ。だけど、たまに怖いところがあるわね」

「推しのためっていいますけど、絶対どこかに欲望がありますよね」

「そうそう! 絶対ある!」


 瑠璃は凄いや。もう場の空気を変えたよ。おかげで助かったけど、ミオさんに謝らないと駄目だな。推しに嫌われないように気を付けないと。

 頭頂部を擦りながら立ち上がると、背後から「ほどほどにしてくださいね」と言う沙羅の声が聞こえた。


「くだらないことで不和を生み出すことは許しません。次はないと思ってください」

「は、はい! 肝に銘じます!」


 冷たく身体の奥底に重くのしかかるような言葉だ。

 やはり沙羅は怒らせてはいけないらしく、ミオのもとに行く途中で脇腹に拳を入れらてしまう。


「ぐぅ!? がぁ……」


 次はないとか言いながら攻撃をするだなんて、かなり怒ってるじゃん。静かな人だと思っていたけど、実際は静かに怒る怖い人だな。もう絶対に怒らせないようにしよう。絶対だ。

 痛む脇腹お抑えつつ立ち上がると、女子三人で何やら昼食のことを話している声が聞こえてくる。


「駅前に、美味しいスパゲティ料理が食べられる場所があるんですよ! みんなで行きませんか?」

「本当!? それいいわね! 沙羅さんも行きませんか?」


 ミオに話かけられた沙羅は考える素振りをすると、横目で出雲をちらりと見て小さく不敵に笑っていた。

 その姿を見ると身体中を悪寒が走り、何か嫌な予感が脳裏をよぎってしまう。


「そうしたら、あそこでポカンとしている痴漢さんに払ってもらいましょうよ。なにやら奢ってあげたいという顔をしているわよ」


 どれだけ怒っているんだ。

 ここは日下さんの言葉に従っていた方が安全かもしれないな。これ以上逆らっても良いことはないし、早く許してもらわないとミオさんと離れてしまうかもしれない。それだけは駄目だ。ここは奢って許してもらう道を進むしかない。


「日下さんの言う通りです! 俺が昼食を奢りますから、早く行きましょう!」


 背中を冷や汗が大量に流れ落ちる感覚がある。

 早く終わってくれとしか思えないし、いつもは味方の瑠璃が口パクで“奢れ„と言っている。さすがに奢るしか言えなかったが、いつか何かしら買ってもらおうと心に決めた瞬間だ。ギリギリ買える範囲の品物を考えつつ、着替えて外に出ることにした。

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