第5話
火星婦たちの眼前には、懐中電灯の丸い光に照らしだされて、羽目板が踏み抜かれた流路が見えた。ぽっかりと穴が開いた奥には、高速で流れるゴミが見え、時々何かのはずみで中で互いに、あるいは流路の壁に衝突したゴミがぴょんぴょん飛び出してくる。
「これ……」
「たぶん、ここが現場なのよ。ほら」
イチハラが指さしたところには、血の跡があった。
「ああっ!」
「あー、あたしこういうのダメ」
火星婦たちが数歩、後ずさる。しかしイチハラは冷静に説明を続ける。
「きっとあの男、また猫に悪さをして動画を撮ろうとしたのよ。猫って、温かいところに留まるでしょう? 天然猫も、猫型ロボットも。だから、廃棄熱で温かいここで休んでいた猫を襲おうとして……」
「で、足で古い羽目板を踏み抜いて……」
「転んで頭を打って……」
「そのままゴミと一緒に……」
しばしの沈黙の後、ノムラが「バチが当たったんだわ」と言うと、ほかの面々も口々に「天罰やね」「クズに相応しい最後だわ……」「ざまぁないね」と追随する。
「……これ、警察に知らせたりしたほうがいいのかな?」
誰かがポツリと言う。
猫が原因だとすると、猫型ロボットも捜査対象になるだろう。
イチハラは、先ほど見たハルミちゃんの身体にあった、毛がむしられた跡と、「にゆーん」という鳴き声を思い返した。
「通報したら、金一封とか、貰えるのかな?」
「え?」
「まじ?」
火星婦たちの頭に、中央部にあるセレブホテルでのスパ、高級焼き肉、高級ファッションブティックのシルクのブラウス、プレミアものの焼酎、ブランドハンドバッグ、特上天丼など各種贅沢品が浮かんだ。
「ちょっと待って!」
イチハラは、イシイに聞いた。
「ねぇ、もし、猫型ロボットが原因で起きた事故ってことになったら、その猫型ロボットは、どうなる?」
「初期化……になるのかしらん? それか、メーカーによる回収?」
「もし……もしかして、それがハルミちゃんだったら……?」
一同、顔を見合わせた。
「ノムラさん、ハルミちゃん、今日の午前中、外に出ていませんでした? さっき、帰り道にハルミちゃんを見かけた時、毛をむしられたような跡を見つけたのよ」
「まさか……そんな」
ノムラが真っ青になって叫ぶ。
「いやよ! あたし、いやよ。ハルミちゃんが回収されちゃうなんて!」
みな、互いに顔を見合わせて押し黙る。やがて、ぽつりと誰かが言いだす。
「……帰ろっか」
「そうそう。何も見なかったし。わたしら」
「なー」
「なーんも見つからなかったし」
こうして、ハルミちゃんのために火星婦たちは、何も見なかったことにして、家路につくことにした。
再びぎゅうぎゅうと自動運転車に乗り込んだ火星婦たちは、一度は手に届きそうになった贅沢品が頭から離れず、みな口が重かった。誰かの腹がぐぅ~と鳴った。別な誰かが溜め息をつく。
ノムラがぽつりと言う。
「ごめんね。みんな。金一封、欲しかったよね」
イチハラが、凛とした調子で答えた。
「ハルミちゃん、しっかりやり返したんだねぇ。あたしも見習わないと」
イチハラの言葉に、みな銘々に応える。
「そうねぇ、帰ったら褒めてやらないと」
「あたしも、勤務先の意地悪なクソ女にやり返してやる」
「あたしも、今の職場の嫌なボスにこの前の怪我の件、労災だって訴えてやる」
みな、口々にハルミちゃんのファイトを称え、みずからも戦うことを宣言した。
そして、「所長さん、何かあったら、あたしらのことをしっかり守ってよね。所長なんだから」と締めくくった。
火星婦たちの朗らかな顔を、火星の朝日が明々と照らしていた。
(終わり)
火星婦は見た! 黒井真(くろいまこと) @kakuyomist
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