第3話

 暗闇からこちらをにらみつけるような光に射すくめられていると、「にゅーん」と聞き覚えのある声がして、イチハラは胸をなでおろした。


「まァ、びっくりした。猫……ん? あら、あの赤い首輪。ね、あなた、ハルミちゃんじゃないの?」

「にゅーん」

「あんまり遅くまでうろうろしていると、ノムラさんが心配しちゃうわよ。ほら、おいで。ハルミちゃん」


 イチハラが近づいて抱え上げると、ハルミちゃんは大人しくされるがままに腕の中におさまった。

 イチハラはハルミちゃんを抱え上げるときに、その場所が他の場所よりも温かいことに気づいた。目を凝らしてみると、そこは側溝の羽目板の上で、猫型ロボットは下を流れる圧縮エアとごみが放つ排熱で暖をとっていたのだと理解し、地球でも似たようなことをしていた野良猫がいたことを思い出した。


「地球も火星ここも、変わらないのねぇ。猫も、人間も……。少しはいい暮らしができるかと思って、思い切って来たのに……」

「にゅーん」


 イチハラの独り言に応えるかのように鳴くハルミちゃんに、イチハラは思わず笑顔がこぼれる。


「ノムラさんが言うように、本物みたい……あら? お前、怪我したの?」


 ハルミちゃんの首元としっぽに、人工毛がむしり取られたような跡が見えた。たまたま何かが擦れたにしては、毛の抜け方が尋常ではない。


「天然猫と喧嘩でもしたのかしら。あんまりおイタしちゃあ、ダメよ~」

「にゅーん」


 ハルミちゃんという連れ合いができたことは、とりもなおさずイチハラの心にすこぶる温かいものをもたらした。先ほどよりも関節痛が軽減された脚で、イチハラは猫を抱えて再び西へと歩き始めた。


 そうしてイチハラがオザワ火星婦紹介所に着いた時、時刻は十時を回っていた。


  *   *   *


「まぁ~、こんな遅くまで残業だったの?」


 所長のノムラが勤務先で起きたことをビタイチ把握していないことに、逆にイチハラの方が驚かされたが、手短かに死体を発見したこと、警察で事情聴取を受けたことを話すと、奥からわらわらと同輩と思しき女性たちが出て来た。

「死体? そんなモン発見したの?」

「どこの現場?」

「警察て、あんた、目ェとか付けられてないやろうね?」

「ちょっと、イシカワさん止めなさいよ。感じ悪いよ、その言い方」


 総勢八名の、いかにも噂話の好きそうな女性たちが、気づけばイチハラを取り囲むように立っている。

 ノムラが、コホン、と咳ばらいをして皆をイチハラに、イチハラを皆に紹介した。


「えー、イチハラさんの先輩にあたるわね。みんなね、うちの紹介所の登録火星婦として働いてくれてて、こっちから順にイシイさん、ノナカさん、ニシカワさん、イマイさん、ヤマダさん、シライシさん、ミヤザキさん、マツイさん。

 えーみなさん、今日からウチの登録火星婦として働くことになったイチハラさん」


「ねぇ、晩ご飯とか、ちゃんと食べた?」という誰かの問いに、「警察って、やっぱカツ丼とか出してくれんの?」という地球の古いテレビドラマそのままの新たな質問が飛び出す。


 言われて、イチハラは自身の空腹に気づいた。と同時にぐぅ~っと切ない音がイチハラの胃の腑から放たれた。


「……食べそびれたん?」

「所長さん、晩御飯の残り、何か出してあげたら?」

「残りって、今日もおひたしと干物と味噌汁とご飯だけだったし、味噌汁はイマイさんがおかわりして食べちゃったし、少し残っていたご飯はシライシさんが干物と一緒にさらっちゃったじゃない」

「……」

 名前を上げられたイマイとシライシが気まずそうに顔を伏せるなか、イチハラの絶望的な声が響き渡る。


「何も……残ってないんですか」


 打ちひしがれたイチハラに、シライシが名誉挽回とばかりに助け船を出した。


「あ、あたし、部屋にカップ麺ならあるけど。所長さん、お湯沸かしてくれる?」


 そう言って、パタパタと部屋へと戻った。そのシライシの言葉をきっかけに、銘々が部屋からお菓子や珍味を持ってきて、さらにはノムラがとっておきの焼酎の瓶を出してきて、食堂にて即席のイチハラ歓迎パーティが開かれた。


 シライシが持ってきたカップ麺を見たニシカワは「あら、具なしラーメンじゃない」と声を上げ、チャーシュー替わりにとおつまみ用のポークジャーキーをラーメンの上に載せてくれた。その心遣いともてなしに、イチハラは体だけでなく心までほかほかと温まる心持ちがするのだった。


  *   *   *


 そして、数時間後――。


 酔い潰れた10名の女たちが、銘々に自分の身の上と職場の愚痴をいい、くだを巻き、つまみを口に放り込み、空になった一升瓶を未練たらしく抱きかかえていた。


「まぁ、こうして同じ火星くんだりまで来て同じ紹介所で働くことになったんだから、みんな、ヒクゥ、仲良く、ヒクッ……」

「所長さん、飲み過ぎたんじゃないのォ~」


 お開きの挨拶もなかなか閉まらない中、ノナカが泣き上戸を発揮する。


「どうせ、あたしなんて長生きしたって何になれるでもないし、どうでもいいんだよ。今までだって大していいことなんてなかったし、これからだって、どうせ」


 と、若年性のミッドライフ・クライシスをこじらせたような態度に、イチハラが喝を入れる。


「何言ってんの! アンタ、まだ若いでしょ。これからじゃない。あたしなんてね、五十過ぎても、まだまだこれから、ひとはたあげてやるって気持ちで火星まで来たんだから。弱音吐いてんじゃないわよ!」


「そうそう!」

「イチハラさん、ええこと言う!」


 イチハラの強気発言に、みなが盛り上がる。


「そんなこと言っても、結局、みんな地球で喰い詰めたり、嫌なことがあって、火星こっちに逃げてきたんでしょ? そんなあたしらが、どんなに頑張ったって、結果なんか知れてる。結局、こっちに来たって、センターマーズの中央部分にいるような人らとの溝は埋まらないのよ」


 その現実を直截に表現した言葉に、みな、意気消沈する。

 しかし、イシイが反論した。


「そんなことないで。あっちにいる人らも、あたしたちも、そんなに変わらなん。あの死んだ人だって、ある意味、逃げてきたようなもんだしな」


「え? そうなの?」

「何から?」

「逃げてる風な感じしないけど。だって、ハイパーマーズの中心部に寝泊まりしているのに……」


 実はITに強いイシイが、タブレットを起動して皆に画面を見せる。


 そして、火星婦は見た!


 自分が発見した死体の、生前の驚くべき姿を。


(続く)

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