大陸暦1526年――悪魔の囁き2


「お兄さんは自分の遊びに夢中になり、それを機会に君は薬を処分した。もう女性に薬を飲ますのは止めようと思った」


 そのころにはもう、僕はを定期的に聞くことで精神を保っていた。

 メアがいないことで、どうしようもなく襲ってくる寂しさや不安を、心に空いた隙間をそれで埋めていた。

 でも、それができなくなった。

 兄が協力してくれなくなったからだ。

 僕はそれに落胆しながらも、いい機会だとも思った。

 僕がやっていることはどう考えても正気じゃない。

 性癖なんて言葉で片付けられるものでもない。

 死んだ人間の最後の声を求めるなんて、異常者のやることだ。

 こんなことを続けていたら、僕は本当に戻れなくなってしまう。

 それに兄が人を殺してしまったのも、僕がそれを頼んだ所為だ。

 僕が一人でそれを行なう勇気がなかったがために、兄は一線を越えてしまった。僕が兄に切っ掛けを与えてしまったのだ。

 だから僕は、全ての始まりでもある薬を全て処分した。

 そして兄が捕まったときは、僕も共犯者として一緒に罰を受けようと考えていた。

 だというのに僕は……僕は……。


「けれど次第に君は我慢ができなくなった。その声が聞きたくて聞きたくてどうしようもなくなってしまった。だからまたお兄さんにお願いをしたんだ。以前のように協力して欲しいと。しかしお兄さんはそれを断った。そのときにおそらくこう言われたんじゃないかな? そんなことをせずとも、俺が同じことをしてやってるんだからそれを聞けばいいだろうと」


 ……その通りだ。まさに兄はそう言った。そしてこうも言われた。

 どうしても自分のやりかたにこだわるのならば、自分で女を捕まえてこいと。

 そんなことできないと僕は思った。できるはずがないと。

 それなのに、兄に断られて途方に暮れるように家を出た僕の足は自然と薬品店へと向いていた。そして薬を買い揃えたあと、女性を拘束するための拘束具までをも買っていた。


「お兄さんが人を殺すところを見たくなかった君は、自分だけの力でそれを実行することにした。君のような顔は女性受けもいいだろうから、女性はすぐに捕まったんじゃないかな」


 少女の言う通り、僕の顔は兄の行きつけの場所でも受けがよかった。でも、あそこらはもう顔見知りが多く、そこから女性を選ぶことはできなかった。だから夜に中央区に出て、男性から声がけ待ちをしているような女性を捜した。年齢はなるべくメアに近くて、容姿は無理でも目の色はメアと同じ緑系統の女性を選んだ。

 女性は一時間ぐらいで見つかった。僕は勇気を出して一緒に飲まないかと女性に声をかけた。女性はすんなりと付いてきてくれた。それからお店で飲んだりしたあと、僕は家に誘った。事前に家が商家だということを話していたお陰か、女性は警戒せずに誘いに乗ってくれた。

 拾った馬車で家に着いてからはまた一緒にお酒を飲み、女性が大分酔ったのを見はからってからお酒の中に睡眠薬を入れた。そうして眠りに落ちた女性を自室に運び、衣服を脱がしてから手足を拘束し、口輪をした。衣類と拘束は逃亡防止に、口輪は目覚めてすぐは騒ぐことが想定できたのでしたことだった。

 ここまでしたらもう、女性を帰すことはできなくなるけれど、僕は最初からそのつもりだった。女性を帰すつもりはなかった。彼女には僕が捕まるそのときまで一緒に住んでもらうつもりだった。

 兄には事前にそのことを話していた。最終的に捕まるつもりだということは隠して。兄は流石、俺の弟だと感心していた。

 使用人は夜にはいないし、普段からも自室には勝手に入らないよう言い付けていたので問題はなかった。


「それで君は女性を自宅に連れ込んで、鎖に繋いで監禁した。食は与えて、そして薬を飲ませて、その声を聞いた」


 ……最初は飲ませようとしても吐き出して無理だった。それでも僕は乱暴をしたくなかったので、まず数日、水分をたった。そうすると女性は喉が渇く。飲み物を欲しがる。そのときに喉乾きの薬を飲ませた。するともっと喉が渇くので、残りの薬を飲ませるのは簡単だった。


「でも君はその声を聞いてて思ったんだ。なにか足らないなって」


 心臓が掴まれたかのように痛くなる。

 ……この少女はやはり、全てを見透かしている。


「お兄さんが初めて行為をしながら首を絞めて人を殺したときの声と」


 ……あぁ、そうだ。その通りだ。

 僕はあのとき、兄が女性を殺したあのとき、恐怖しながらもこれまでになく満たされていたのだ。そんなことを思った自分が……今でも怖ろしい。


「だから試しに、軽く首を絞めてみた。するとどうだろう。お姉さんと同じ声が聞こえてくる」


 そのときのことが脳裏に浮かぶ。苦しむ女性の顔が、鮮明に思い起こされる。

 歯の根が合わず、かちかちと音が鳴っている。


「それが聞きたくて、聞きたくて、締め付けているうちに、その女性は死んでしまった」


 僕は……あいつらがメアにしたことと同じことを、してしまったのだ……。


「君が遺体を綺麗にしたのも、危険を冒してまで深夜、酔っ払いを装って遺体をおぶって運んでから遺棄したのも、そして遺体の手を組ませたのも、殺した女性へのせめてもの罪滅ぼしだ」

「っ……うっ」


 口から嗚咽が漏れる。目から涙がこぼれてくる。


「君は人を殺してしまったことが随分とこたえた。だから止めようと思った。一件目と二件目の犯行に間が空いているのがその証拠だ。もしくは守備隊が犯人を突き止めて自分を捕まえてくれることを期待していたのかな」


 泣きながら小さく頷いた。

 あのとき、僕は自分がしてしまったことに動揺して、頭に自首するという考えが全く浮かばなかった。それは僕が無意識に罪から逃げていたからにほかならない。僕は自分がしてしまった怖ろしい行為を、世間に知られてしまうのが恥ずかしかったのだ。

 それに気づいたのは、犯行から二日後のことだった。

 気持ちが大分、落ち着いてきた僕は、その日から何度も守備隊に行こうと考えた。詰所の前まで行ったことさえもある。だけど僕にはどうしても、自分の口で人を殺したなんて言う勇気が持てなかった。家族の死を憐れんでくれていた人たちの前で、犯人が捕まるまで何度も様子を見に来て励ましてくれていた人たちの前で、メアの殺されかたと同じようなことを自分がしてしまったなんて、とても言えなかった。

 だからそれから毎日、守備隊のほうから捕まえに来てくれることを願っていた。

 部屋の中にこもり続けて、それを待っていた。

 ……だけど、いつになっても守備隊は現れなかった。

 そのことを僕は残念に思いながらも正直、安堵も覚えていた。

 だからだと思う。

 僕の空いた心の隙間が、またそれを渇望するようになったのは。

 あの声が聞きたいと。

 もう一度だけでもいい、聞きたいと。

 それはなによりも、あのときのメアの声に近かったから――。


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