大陸暦1526年――悪魔の囁き1
「僕はただ……メアの声が、聞きたかっただけなんだ」
涙を流しながら、僕は本心を吐露していた。
「だけどお姉さんと同じ声をした女性はいなかった」目の前の少女が、僕の話を継ぐ。「捜しても捜してもいなかった」
そうだ。メアと同じ声をした女性なんていなかった。たとえ声質が似てたとしても、中身や喋りかたが違えばそれはメアにはなり得なかった。
「だから君は考えたんだ。どうすればお姉さんの声が聞けるかと。そして行き着いたのが、彼女の最後の声だった」
僕は息を飲んだ。
この少女は……知っている。
全てを見通している。
僕の中を……あの悪魔のように――。
「当時の捜査資料によると、君のお姉さんは殴られ犯され、最後には首を絞められて殺されたとなっている。それはさぞかし苦しんだだろうね――そう」
一間、開けて少女は言った。
「お姉さんのものとは思えないような声を上げて」
……そう。あのときのメアの声は、彼女のものとは思えない声だった。
これまで一度も聞いたことがない、喘ぎ苦しむ声――。
だから、思ってしまったのだ。
誰でもああなれば、同じ声を上げるのではないかと。
それは、怖ろしい考えだった。
だってそれは、誰かをメアと同じ目に合わせるという意味だ。
そんなこと、できない。
できるはずがない。
メアと同じ女性を、あんな目に遭わせるなんて、僕にはできない。
――ならば、手を出さずその声を出させる状況を作ればいいんですよ。
そのときだった。
悪魔の囁きを聞いたのは――。
「でも君には女性をお姉さんと同じ目に合わせることなど到底、できなかった。だから殴らず犯さず首を絞めず、女性にその声を出させようとした。三つの薬はそのためのものだ」
「そうです……。色々試して、それが一番近かった」
本当はあの人が教えてくれたのだけれど、それは言わなかった。
「試したのは、お兄さんが連れ込んだ女性だね」
「……そうです」
「お兄さんは随分と協力的だったんだね」
「……はい。なぜか分かりませんが、このことを打ち明けたら凄く喜んで……」
女性に薬を飲ませるのには、女性の扱いに慣れている兄の協力が必要だと僕は考えた。だから僕は罵られたり軽蔑されるのを覚悟で最後のメアの声が聞きたいと兄に打ち明けた。すると意外にも兄は今までに見たことがないぐらいに喜んでいた。快く協力を受け入れてくれた。
「それは、弟が普通じゃなかったことが嬉しかったんだよ」
……そうか。あのとき、どうして兄があんなに喜んでいたのか今の今まで分からなかったけれど、少女の言葉に僕は腑に落ちた気がした。
僕たち兄弟は父にそれぞれこう評価されていた。
優秀なメア、普通の僕、そして普通ではない兄だ。
兄の知能が遅れていたとは僕は思わないけれど、少し物覚えは悪かった。それだけならまだしも、兄は時折、癇癪を起こしては物を壊したり、小動物を殺したりすることがあった。その所為で父だけでなく、母や使用人からも気味悪がられていた。
きっと兄はそれをずっと気にしていたのだ。普通ではない自分のことを。
「それで、当分は上手くいっていたんだね」
……そう。上手くいっていた。
僕が頼んだ翌日の夜に兄は早速、女性を自宅へ連れ込んだ。そして女性に行為の前に少し弟の性癖に付き合ってほしいと言った。僕は最初、断られるだろうなと思っていた。毒性がないとはいえ、薬物を飲まされるなんて女性は嫌がるだろうと。でも、意外にも女性は断らなかった。それどころか二つ返事で快く了承してくれた。
女性は薬を飲んで、僕はその声を聞いた。そして薬が切れかけたら退室して、そのあとは兄がその女性と行為に及んだ。僕たちはそれを何人かの女性で何度も繰り返した。
それにより完全ではないけれど、少しは僕の心に空いた隙間は満たされた。それは女性も同意の上だったので犯罪沙汰になることはなかった。でも……。
「けれど次第に、お兄さんがその状況を楽しむようになった」
少女が口にしたその言葉に自然と体が強張った。
「あるとき、お兄さんはこう言ったんじゃないかな? 薬を飲ませなくとも、実際にやりながら首を絞めれば早いんじゃないかって」
「僕は、反対したんです。そこまでしなくてもいいからと、言ったんです」
それなのに兄は『そういう遊びだよ。殺すわけないだろ』と笑っていた。それでも僕は女性をメアのような目に合わせたくはなかったから食い下がった。
「だけど、そう言ったら兄は顔色を変えて、お前は俺の言うことを聞いていればいいんだよって、殴ってきて……」
兄があんなに怒ったのは、家族が亡くなってからはそのときが初めてだった。
「それで君は仕方なく、お兄さんのお遊びを鑑賞させられることになったわけだ」
僕は頷く。兄を怒らせるのが怖くて、従うしかなかった。
「そして、その最中に事件は起こった」
僕は思わず自分の胸ぐらを掴んだ。あのときの光景と、女性の悲鳴が脳裏に思い起こされたからだ。
「兄は……女性に同意を求めていなかったんです。だから、首を絞めたときに抵抗されて、女性に殴られた兄は……」
「そのまま首を絞めて殺してしまったと。それが地下室にあった遺体だね」
僕は頷く。
「最初は……自首を勧めたんです」
行為の最中の事故だと言えば、重い罪にはならないからと――女性には申し訳ないけれど、動揺する兄をなだめるために僕はそう説得しようとした。
「でも、兄はまた激怒して、殴ってきて……それならせめて遺体を人が見つけられる場所に置きたいと言ったら、それも駄目だって殴られて……。だから、送ってあげることもできなかった……」
遺体の処分に困った兄はとりあえず、それを地下室に置いた。
悲鳴は周辺の住宅には聞こえていなかった。僕が兄にそれを頼むようになってから、念のために自宅中に防音結界を張らせていたからだ。
「それが一人ではなかったところを見るに、お兄さんは味を占めたみたいだね」
数日経って兄は気持ちが落ち着いたのか、また女性を家に呼ぶようになった。そして、何人目かでまた、女性を、締め殺してしまった。
そのときの兄はもう、動揺などしていなかった。むしろ、あんな女、死んで当り前だと罵って笑っていた。そして兄はそれからというもの、同じことを繰り返すようになった。もう僕の頼みなど関係なく、女性を組み伏せて……殴って犯して締め殺した。
「君はそれを見て見ぬ振りをした」
通報するべきなのは分かっていた。
兄が行なっていることは、メアが強盗にされたことと同じだ。
決して許されない行為だ。
こんなこと見逃してはいけない。
守備隊に通報してでも兄を止めなければいけないと、分かっていた。
……でも、兄は僕に残された唯一の家族だ。
たった一人の肉親なのだ。
その兄がいなくなるのが……僕は寂しかった。
殴られても、殺人犯でも、それでも僕は兄にいてほしかった。
両親が、メアが殺されたあの家で一人になるのだけは……嫌だった。
だから僕は、部屋に閉じこもって目と耳を塞いだ。
それが人として最低の行為だと分かりながらも、階下で女性が兄に殺されているのを……見て見ぬ振りをした。
メアのときと同じことを……僕はしたのだ。
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