大陸暦1526年――双子1


「オーリ」


 聞き慣れたその声に瞼を開けて、両膝に埋めていた顔を上げた。

 明るくなった視界には自宅の裏庭と、両膝に手を置いて僕の顔をのぞき込んでいる女の子が見える。


「メア」 


 名前を呼ぶと、僕と同じ顔の女の子は緑の瞳を細めて、お花のように笑った。


「やっと見つけた」


 メアはそう言うと、僕にくっつくように隣に腰を下ろした。密着した体の半分からは彼女の体温が伝わってくる。それだけでも落ち込んでいた気分が和らぎ、そして安心も覚えた。


「僕を捜してたの?」

「うん」

「訊いてくれればよかったのに」


 僕とメアは一卵性の双子だ。

 先に生まれたのがメアで、あとに生まれたのが僕。

 だからメアがお姉さんで、僕は弟。

 そんな僕たちには生まれつき星粒子伝達能力セリュムス・インビリティーションという双子特有の通信魔法が備わっていて、離れていても会話が可能だった。

 僕の言葉にメアは拗ねるように可愛い口を尖らせる。


「ずっと呼びかけていましたー」


 言われて気づく。扉を閉めていたことに。

 星粒子伝達能力セリュムス・インビリティーションは会話ができるだけでなく、お互いの思考や感情までもが自然と相手に流れ込んでしまう。それを止めるためには、双子の用語で言う、精神の扉を閉めなくてはならない。

 この時間メアは勉強中だったので、彼女の邪魔にならないように僕は扉を閉めていたのだ。


「あぁ、ごめん」

「閉じてても少しは聞こえるでしょう?」


 精神の扉はお互いの中に存在しており、片方が閉じたぐらいでは完全に干渉を遮断することはできない。相手の声も少しは届くし、こちらの思考や感情も少しは漏れ出てしまう。

 それを完全に遮断するためには、お互いの扉を閉めるしかないのだ。


「気づかなかった。ごめん」

「そんなに気づかないぐらいに落ち込んでたの?」


 メアが少しだけ意地悪げに訊いてくる。


「……漏れてた?」

「うん。泣いてるなって」


 僕の目から涙は流れていない。でも、泣きそうな気持ちに――ううん、心の中で泣いていたことには違いなかった。


「またテリ兄さんになにか言われたのね」


 僕は答えない。それを口にするのは彼女に泣きつくようで恥ずかしく、情けなかった。

 でも、口には出さなくとも、そのときにはもう扉を開けてしまっていたから、彼女には全て筒抜けだった。


「貴方は私のお荷物なんかじゃない」


 メアの優しい言葉に目の奥が熱くなる。

 兄のテリはなにかある度に、僕をメアの腰巾着だとか双子の出来損ないだとののしってきた。

 僕はいつもそれになにも言い返すことができなかった。そうしなかったのは兄が怖かったこともあるけれど、なによりも兄の言うことが事実だということもあった。

 メアは健康的で頭もよく、性格も明るかった。

 それに比べて僕は体も気も弱く、物覚えだって普通だった。

 だから父は商家であるアポス家の跡取りにメアを選んだ。

 それは当然のことだと思うし僕にはなんの不満もなかった。

 むしろ嬉しかった。

 メアが褒められれば、認められれば、自分のことのように嬉しかった。

 だけど兄はそれが気にくわないようだった。

 それも当然なのかもしれない。僕たちが生まれるまでは跡取りとして育てられていたのに、突然、その座を妹に奪われたのだから。

 でも、兄にはメアを言い負かすほどの頭がなかった。だからその矛先は僕に向いた。

 それは別によかった。そのことで少しでも彼女の力になれている気がしたし、彼女のためならなにを言われても僕は耐えられた。

 だけど、メアにとって僕は邪魔で必要のないものみたいに言われるのだけは……悲しかった。

 だからメアがそう言ってくれて、僕は嬉しくて涙を流してしまっていた。

 メアは仕方がないな、とでもいうように優しく微笑むと、涙を拭ってくれる。


「テリ兄さんの言うことなんて気にしないの」

「……でも」

「オリは私よりテリ兄さんの言うことを信じるの?」


 僕は必死に頭を振る。そんなわけない。僕は世界で誰よりもメアのことを信じている。

 それが伝わったのかメアは頬を綻ばせた。


「それならもう泣かないの。貴方が泣くと私まで悲しくなっちゃうわ」


 それは比喩でもなんでもなく本当だった。

 星粒子伝達能力セリュムス・インビリティーションにより、僕たちは人が五感で感じるよりも感情が直接、伝わってしまう。幼いころはもっと泣き虫だった僕の所為で、メアまで泣き出してしまうことがよくあった。僕は彼女の泣き顔なんて見たくない。だからもうテリに言われたことは考えないようにした。

 僕は頷くと、残った涙を袖で拭った。そして訊く。


「もしかして勉強を抜けだしてきてくれたの?」

「うん。休憩にしてもらってね」

「ごめん。邪魔をして」

「邪魔だなんて思ってない。それに」


 メアが僕の顔をのぞき込んでくる。


「勉強よりも、オリのほうが大事だわ」


 そう言われて僕はまた目の奥が熱くなった。

 それが嘘ではないことは分かっていたから、伝わっていたから、嬉しくて泣きそうになってしまう。

 でも、今はそれよりも勉強を邪魔したことへの、メアの足手まといになっていることへの罪悪感のほうがまさってしまった。


「僕なんて……」


 だから俯いて、自分を卑下するようなことを口にしてしまう。


「すぐ卑屈になる」


 メアが優しくたしなめてくる。


「だって……」

「もう。オリは私が勉強でもなんでも、どうしてこんなに頑張れてるのか分かっていないでしょう?」


 メアが頑張れている理由――そんなこと、僕は考えたこともなかったし、思いつきもしなかった。

 僕がなにも答えられないでいると、地面の草の上に置かれた僕の手に、メアが手を重ねてきた。その手を見てから、僕は顔を上げる。

 目の前にはメアの顔があった。

 僕と同じ顔をした、僕と同じ緑の瞳が、僕を真っ直ぐ見つめている。


「オリがいるからよ。オリといつも繋がってるから、いつも存在を感じられるから、私はどんなときでも頑張れるのよ」

「……メア」


 メアは僕の頬に触れて微笑む。


「私たちは二人で一人。私にとって貴方は何物にも代えられない唯一の存在。だから自信を持って。私の半身さん?」


 ――メア。

 メア姉さん。

 生まれる前から一緒の、僕の半身。

 僕の唯一の存在。

 僕たちはいつも一緒だった。

 離れていても、傍にいなくても。

 それでもいつも繋がっていたんだ。

 命になったそのときから、ずっと。

 ……それなのに。

 その繋がりは断たれてしまった。

 三年前の、あの夜に――。


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