04

大陸暦1526年――翌日


 今朝、自宅のベッドで上体を起こすと、全身に倦怠感があった。

 加えて頭も重く、目の奥も痛い。そして気分も悪い。

 一言で表わすと最悪。つまりは体調不良だ。明らかに昨夜の後遺症だろう。


 昨夜、目を覚ましてまず、視界に飛び込んできたのは見知らぬ天井だった。

 そして横には、床に座り込んでなにやら本を読んでいるラウネの姿。私が起きたことに気づいた彼女は「はよー」とこちらを見ることもなく軽く挨拶をしてきた。

 それが本当に自然だったので、私は見知らぬ天井ということも忘れて、ラウネと話しているうちに寝てしまったのかと錯覚した。学生時代にも、たまにそういうことがあったから。

 だが、すぐに直前の記憶が蘇り飛び起きた。そして全身に違和感を覚えながら辺りを見回す。そこは一般家庭よりは明らかに広い、邸宅の居間のような部屋だった。しかし部屋は妙に殺風景であり、室内にはソファや机などの家具が一つもない。あるとすれば春期で火が入れられていない暖炉と天井の魔灯まとうのみだ。意識が落ちる前は視界がぼやけていたので、こういう部屋だとは分からなかった。

 その部屋には私たち以外にも二人の人間がいた。

 一人は部屋の隅で両膝を抱えるようにうずくまっている男。

 足に顔を埋めているので顔は見えないが、背格好だけでも薬品店で薬を買っていた男性だと分かった。

 そしてもう一人は仰向けに倒れて四肢に剣身が黒い短剣が刺さった男。

 その明らかに量産型ではない短剣の意匠には見覚えがあった。ラウネのものだ。あいつが特注で作らせた獲物だ。

 それだけでなにがあったのかは容易に想像ができた。

 それでも詳しい話をラウネに聞こうと思ったら、丁度、玄関を叩く音が聞こえてきた。

 それを聞いたラウネは「やった来たかー」とぼやくように言うと、立ち上がって部屋を出て行った。それから間もなくして守備隊を引き連れて戻ったラウネは、守備隊に事情を説明し――頭がぼんやりとしていた所為か、その会話の内容はほとんど覚えていない――それが終わったら私は用意してもらった馬車で、ラウネは転移魔法で帰っていった。

 都内で転移魔法は使用禁止なのだが、まあ、守備隊に同行していた流粒るりゅう観測官に許可は取ったのだろう。


 自宅に帰った私は、なんとか風呂に入ってそのままベッドに倒れ込んだ。

 そして、朝起きたらこの体調不良である。

 学生ならば完全に休んでいるところだが、一隊の長がこれぐらいで寝込むわけにはいかない。私は気合いを入れてベッドから降りると、身支度をしてそのまま自宅を出た。

 朝食は食べなかった。体調不良の今日ばかりは、申し訳ないがと食事をする気にはなれなかった。

 第五軍営に着いてからは隊長室にこもって残った書類整理をしていた。

 いつもなら途中途中で体を動かしたくて仕方がなくなるのに、今日は一度もその衝動に襲われなかった。椅子に座っておくほうが楽だなんて感じたのは、人生で初めてかもしれない。


 そうして大人しくしていたお陰で、朝よりも大分気分がマシになってきた昼過ぎ、昨夜のことでリビアが訪ねてきた。

 おそらく顔色がよくないであろう私に、彼女はわずかに眉を寄せると「無茶しないでって言わなかったかしら」と少しだけたしなめるように言ってきた。全く面目ない話である。

 それから先にラウネの元に行っていたリビアから、ラウネがどうやってあそこを突き止めたのか、なぜ守備隊が来たのか、だいたいの事情は聞いた。

 許可なく星音しょうおんを持ち出したことについては、守備隊が来る前にラウネが回収していたこともあり、ここだけの話として片付けてくれるとリビアは言った。近衛隊長と相談してそのように計らってくれたらしい。私としては罰を受けても構わなかったのだが、そう言ったら人の厚意は素直に受け取りなさいとまたたしなめられた。

 それに伴って私が浚われたことも無かったことになった。そうしないと星音しょうおんもなしにラウネが私の場所を突き止めた説明がつかなくなるからだ。

 筋書きとしては私が囮になり、ラウネがそれを尾行したということになっているらしい。

 ラウネが場所を知らせるために使った転移魔法も、事情が事情なので事後報告で通ったようだ。

 なにはともあれ、私たちのお陰で事件が解決したと感謝はされた。

 そして話が終わると、去り際にリビアは言った。


「貴女は昔から、なにも変わらないわね」と。


 それは呆れるというよりは、どこか寂しげな感じだった。

 それには流石の私も少しばかり骨身に応えた。まだ、子供のころのように叱ってくれたほうが気が楽だった。行動と考えかたを改めるように説教されたほうが――。

 それから私は溜めに溜まっていた書類仕事をついに全て片付け、十五時過ぎに中央監獄棟に顔を出した。


「レイチェル様!」


 獄吏官長室に入るなり、マルルが声をあげた。


「なんだか大変だったみたいですね。お顔色が悪いですが大丈夫ですか? なにか飲まれます?」

「いや、おかまいなく。今日は朝からなにも通らないんだ」


 そう返すと、ソファに横向きに寝転んでいたラウネがケラケラと笑った。


「キミが食事を摂らないなんてーそりゃー重傷だー」


 それからソファの上にある皿からクッキーを一つ取ると、それを頬張る。どうやら丁度、休憩時間だったらしい。行儀の悪さについては今日ばかりはもう、眉を寄せる気力すらもなかった。

 私はラウネの向かいのソファに腰を下ろす。


「というかこれ、ほうっておいても治るんだろうな。ずっと残るということはないだろうな」


 リビアがラウネに聞いた話によると、私は強力な睡眠剤を打たれていたらしい。だが、その薬がどんなものか、そしてこの後遺症がいつまで続くかは彼女も知らなかった。


「心配しなくてもそのうち治るよー。強制的に人を眠らす薬はー後に来るだけだからー。因みに眠り魔法もー同じ理由であんまり使われないんだよー。それが身を持って体験できてよかったねぇ? レイレイー」


 よかったのかどうかは分からないが、今後どんなに不眠症になっても眠り魔法にだけは頼らないでおこうとは思った。


「それにしてもー」ラウネが上体を起こしてあぐらをかく。「近衛副長殿がキミと同じ孤児院出身だとは知らなかったよー」


 言われて気づく。そういえば話したことなかったなと。


「彼女が話したのか?」

「うんー」

「そうか。まあ、歳も離れているから一緒に育ったわけでもないんだが……て、お前。リビアにもあれこれ探りを入れたのか」


 こいつは初対面の人間に対して、その人がどういう人間なのかを見極めるためにあれこれ質問する悪い癖がある。それが常識的な内容ならまだしも、こいつの場合は平然と相手にとって失礼なことや意味の分からないことを訊くことが多く、その所為で学生時代にも生徒のみならず教師にも気味悪がられたり、反感を買うことがあった。


「世間話しただけだよー」

「世間話って例えば」

「えーっとー孤児で平民が副長に選ばれるなんてすごい出世だねーとかー、どうやって副長に選ばれたのー前近衛隊長に色仕掛けでも使ったのーとかー」


 その時点でもう突っ込みたかったが、話が続きそうだったので私はこらえた。 


「そしたらさー近衛副長殿なんて言ったと思うー? 『男性が好まれる愛嬌と体型でもあればそうしていましたが、ご覧の通り生憎、どちらも持ち合わせておりませんので』だってー」


 ケラケラとラウネが笑う。

 リビアらしいというかなんというか、皮肉を冗談で返せるのは流石だなと思った。


「彼女なかなかに面白いねぇ」

「面白いねぇ、じゃない。普通に失礼なこと訊いてるじゃないか……全く」


 リビアにはまた今度、会ったときに詫びでもいれておこう。とはいえ、彼女は大人なのでこれぐらいで怒ったりはしていないとは思うが。先ほど会ったときもラウネのことを『確かに噂通り、変わり者ではあるわね』ぐらいにしか言ってなかったし、悪い印象はいだいていないだろう。


「それで、尋問は済んだのか」

「食べたらするよー。あーホルホル―そろそろ準備しといてー」

「了解です」


 敬礼してマルルが部屋を出て行く。どうやら丁度いい頃合いだったらしい。

 私はここに来た一番の目的を口にした。


「その尋問、立ち会ってもいいか」

「えーーー」


 ラウネはあからさまに嫌そうな反応を見せた。


「事件の関係者ではあるのだから、同席する権利はあるだろ」

「あるにはあるけどーでもなぁ」

「なんだ」

「キミすぐ同情するしー」

「しない、とも言い切れないが」


 確証はないので素直にそう言うと、嫌そうな顔を一変、ラウネはケラケラと笑った。やはりこいつの笑いのツボは分からない。


「そもそも、六人も殺している人間に同情の余地があるのか?」

「それはー受け取る人間次第じゃないのぉ?」


 それは、まあ、そうだが。

 ラウネは最後のクッキーを口にほうると立ち上がった。それから黒手袋に付着していたクッキーの屑をはたいて落とすと、座っている私を見下ろしてくる。

 大人しく見られていると、やがてラウネは息をはいた。


「まぁいいかー。でも邪魔しないでよー」

「ああ」

「んじゃいこー」


 ラウネが出入口へと向かう。

 私もソファから立ち上がると、ラウネの後ろに付いて部屋を出た。


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