大陸暦1526年――ねむり姫


 昏倒した男の服をまさぐって、胸ポケットから小瓶を見つけた。

 ラウネはそれを取り出すと小瓶の栓を抜き、黒い手袋に一滴たらしてから舐める。


「これだこれだー」


 軽い調子でラウネはそう言うと、レイチェルのそばに膝をついた。

 それから横向けに寝ているレイチェルを仰向けにする。先ほどは薄らと開いていた瞼が、今は完全に閉じている。

 ラウネはレイチェルの首筋に二本指を押しつけた。そうして脈を測る。

 まだ正常ではあるが――そう思いながら今度は胸のほうへと目を向ける。胸には目立った動きがない。呼吸が弱いのだ。

 毒薬がどれぐらいで効くかは人によって個人差がある。

 彼女は少し早いほうかもしれない。あのうるさい男で遊ばなくて正解だった。


「レイレイお薬だよー」


 小瓶を口許に近づけて薬をたらす。しかし口端からその液体が流れ出た。

 それを見てラウネが口を尖らす。


「もーだから言ったでしょー? 眠ってたりー意識を失ってる人間に飲み物を飲ませるのは難しいんだよーてー」


 そう文句を言うが、もちろんレイチェルから反応はない。


「全くもー世話が焼けるなぁ」


 ラウネは小瓶から薬を口に含むと、レイチェルの顎を持って口づけた。

 解毒剤を流し込みながら、喉元が動いているかを指の腹で確認する。それが止まると口を離して、レイチェルの口端からこぼれた薬も綺麗に舐め取った。


「これでよしとー。おーい起きろー」


 ペシペシと頬を叩く。


「起きないとーいたずらしちゃうぞー」


 頬もつねってみる。


「寝てるのをいいことに嫌がることいっぱいしちゃうぞー」


 少しでも意識が戻っていたら、まず起き上がらずにはいられない言葉を投げかけてみるが、一向に反応はない。

 この解毒剤はわりと即効性があるのだが、どうやら思った以上に毒が回っていたらしい。こうなると目覚めるのに数十分はかかるだろう。

 ラウネはつまらなそうに口を尖らせると、レイチェルのそばにぺたんと座りこんだ。

 それから左手を見る。黒革の手袋が横に二センチほど切れている。周囲に血は付着しているが、出血は止まっている。血が固まって傷口を塞いだのだろう。


「痛くない」


 そう。痛くない。これは大した傷じゃない。それよりも平常より呼吸が早くなっている。先ほど受けた毒の影響だ。あの短剣には四肢を麻痺させる強い毒が塗ってあった。そんなものは効かないが、それでも少しぐらいは影響が出る。気持ち体もだるい。

 早くこないかなぁ、とラウネは思った。

 ここに入る前に短距離で転移魔法を使ってきた。

 転移魔法は都市内では基本的に使用が禁止されている魔法だ。宮殿魔道士や軍属が使うにしても、事前に使用許可書を観測棟に提出しなければならない。

 その規則を犯してまで使ったのは、ここに守備隊を呼ぶためだ。

 転移魔法は高位の魔法であり、観測棟は必ず強い粒子の流れに気づく。すると調査のために守備隊と共に必ずここに訪れる。そのときに事情を話して犯人を連行してもらうという寸法だ。身分を証明して、地下室の死体でも見せれば信じてはくれるだろう。

 ラウネはレイチェルを見た。

 解毒剤により呼吸が平常に戻ったようで、彼女はすうすうと寝息を立てている。

 その寝顔があまりにも呑気なものだから、ついラウネはレイチェルの頬を強めにつねった。それでもやはり反応はない。

 ラウネは再度、口を尖らすと、つねった手でレイチェルの顔にかかっていた横髪を手でのけた。


「早く起きないかなぁ」


 寝顔を見ながら、ラウネはぽつりと呟く。


「起きてないと意味がないんだよ――お姫さま」


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