大陸暦1526年――小さな悪魔2


「キミはー彼女とーどういう遊びをするのー?」


 少女は不思議そうに首を傾げた。まるで大人に分からないことを訊ねる子供のような仕草で。


「は? せっかくの灰目なんだから、おもちゃにするに決まってるだろ。見たところ顔も悪くないし、気の強そうな女も好みだ」

「へぇーーーそれはぁーーー」


 少女の目が、すっ、と細くなる。


「困るなぁ」


 その声に悪寒が走った。

 これまでのおどけたような声音とはまるで違う、冷たくて……禍々しい声。


「レイレイが嫌がることをするのはー千歩譲って見逃してあげるよぉ? それを横で見ているのはとーても楽しいからねぇ」


 口許を吊り上げたままの少女が一歩前に出る。


「なのにキミはー調子にのって彼女を殺そうとしちゃったー」

「こ、ろすなんて、言ってないだろ」


 兄の声が震えている。それは僕も同じだ。その声を聞いていたら、その血のように赤い目を見ていたら怖ろしくて、得たいの知れないものを目の当たりにしている気がして、体の震えが止まらない。


「言ってるんだよねぇ。ここに来る前にー離れの地下室で五人分の遺体を見つけたんだけどーあれさぁ? キミが壊したおもちゃだよねぇ?」


 後ずさる僕たちに、一歩一歩と少女が近づいてくる。


「あー誤解しないでー? わたしは別にぃ? 壊したことを責めているわけじゃないんだー。どんなに大事に遊んでてもーおもちゃって壊れちゃうことってあるしー。うんあるあるー。それはあるよー。分かるー。でもねーキミの場合は遊んでて壊れたっていうよりはー壊すために遊んでるって感じがするんだよねー。それって本末転倒っていうかーちょーと違うなーてわたしは思うわけー。ましてやぁ? 彼女はーわけでぇ」


 そこで初めて少女の吊り上げられた口許が下がった。

 そして細められていた目が開かれる。


「なに、勝手に人のものを壊そうとしてくれてるの?」


 殺気、とでも言うのだろうか。僕はそれに当てられたように腰が砕けて、その場に尻餅をついた。そのまま後ろへと後ずさる。

 兄はまだ立っている。足は震えているがなんとか立っている。


「うぉぉ!」


 兄は恐怖を振り払うかのように雄叫びを上げると、手に持っていた短剣で少女に襲いかかった。でも、それをいとも簡単にかわした少女はどこから出したのか、逆手で持っていた黒い短剣で兄の右太股を突き刺した。


「あぁぁ!」


 痛みに気を取られて兄が短剣を落としてしまう。それでも兄は挫けず少女に掴みかかった。しかし、その手が届く前に少女に腕を掴まれてしまう。


「こん、のやろっ!」


 兄は空いた手で殴りかかるが、それも少女は手のひらで受け止めると、そのままこぶしを掴んだ。


「なん……で」


 掴まれた兄の両腕が震えている。


「不思議だよねぇ」少女が言った。「こんなーか弱い女の子に掴まれてーなんで振り払えないのか不思議でたまらないよねぇ? それとー短剣に塗っていた毒が効かないのも不思議に思ってるよねぇ? 解毒剤でも飲んだのかなぁ? 打ったのかなぁ? でもーそんな素振りは見せてないなぁってー」


 図星だと言うように兄の顔が強張る。

 それは僕も同じだった。少女は心が、読めるのだろうか。


「わたしは優しいからー毒に関しては教えてあげよー。人間にはねー抗体って機能があるんだけど知ってるぅ? 知らないかなぁ? キミー頭悪そうだしー。ならー簡単に教えてあげるよー」


 少女は掴んだ兄のこぶしを押すように突き離すと、後ろに手を回して黒い短剣を手にした。そして流れるように兄の左太股に突き刺す。


「ああぁ!」


 後ろへと倒れ込んだ兄が、それでも腕を支えに上体を起こそうとする。でも、その前に少女が兄のお腹を踏みつけるように足を乗せた。


「がぁ」

「抗体っていうのはねぇ、体の中に悪いものが入るとーそれを倒すために体の中に作られる物質のことなんだー。それはねー悪いものが一度や二度ほど入り込むぐらいではー多く作られることはないんだけどーそれを何度も繰り返すとーその悪いものが効かないぐらいに作られるようになることもあるんだー」


 少女は兄に乗せた足に腕を乗せると。


「つまりぃ」


 兄に顔を近づけてから、嘲笑うかのように笑った。


「今更そんな毒、効くわけがない」


 それから両手を後ろに回してから振り上げると、それを振り下ろした。


「がぁあ!」


 兄の両腕に黒い短剣が刺さる。


「はいー」少女は両腕を左右に開いてから、肩をすくめた。「これでもうキミは動けなーい」


 そして兄のお腹から足をのけると、兄の上にまたがって腰を下ろす。


「やめ、殺さな、でくれ」


 兄は完全に戦意喪失をしていた。誰かに命乞いをするような兄を見るのは……始めてだ。


「殺さないよー。わたしはーというより彼女はーキミを捕えにきただけだからー」そこで少女が、にやりと笑う。「あ、今、ほっとしたでしょー? ねーしたでしょー? そんなキミにーいいことを教えてあげよー。まずーキミは捕まるとー城下守備隊北区画の詰所に連れていかれますー。そこでー軽い聞き取りをされながら牢屋で数日過ごしたのちー中央監獄棟へ移送されますー。そこのお偉いさんはなんとこのわたしー。キミを尋問してー事件の概要を聞き出すのはこのわたしなんだー」


 監獄棟の人間……? にんげん……なの。


「さてーキミは全部喋ってくれるかなぁ。どうかなぁ」

「喋るから……!」


 いつも不遜な兄が情けない声を出している。


「そっかぁ。喋っちゃうんだー。でもわたしはーそれを全部だとは思わないかも知れないねぇ。まだなにか隠してるかもぉ? て思っちゃうかもしれないねぇ。その場合はどうなると思うー? ねぇねぇどうなると思うー?」


 少女は前のめりになって兄に顔を近づける。


「そうだね、拷問だね」


 兄の体がびくりと震えた。


「この国ではねー尋問官が拷問官も兼ねておりますー。まぁ? 拷問することは滅多にないからねぇ、そうなっちゃたんだねぇ。そしてその拷問はーわたしの一存ですることができますー。だってわたしー偉い人だからー。そして拷問ではねーなんとーうっかり対象が死んでしまっても大丈夫なんだよねー。戦時中の捕虜は大陸法に引っかかるから駄目なんだけどー犯罪者は大丈夫なんだよぉ。不慮の事故として片付けることができるんだよぉ。つまりーなにが言いたいかキミに分かるかなぁ? その足りないおつむで分かるかなぁ?」


 少女は兄の首根っこを掴んで持ち上げると、言った。


「叫んで、喚いて、この世の地獄をみたあげく――君は死ぬよ」


 三日月の、笑顔を浮かべて。


「……あく、ま」


 兄の言葉に彼女は笑っている。くくくと楽しげに笑っている。

 のとは違う悪魔が、ここにいる。


「お願いだ……! 喋るから! 拷問だけは!」

「はいはいーうるさいからちょっと寝ててねー」


 悪魔は立ち上がると、兄の頭を思い切り蹴り上げた。兄が動かなくなる。


「さてー」


 赤い目が僕を見る。もう背には壁があって逃げ道はない。

 悪魔は僕の前までくると、屈んだ。


「彼は彼でー殺人犯ではあるけれどー女性に薬を飲ませて首を絞めて殺したのはーキミだねぇ」


 それは兄に向けていたのものとは違う、最初のおどけた感じとも違う、どこか優しげな声だった。

 でも、騙されてはいけない。

 目の前にいるのは悪魔なのだ。

 悪魔は平気で人を騙すとは言っていた。

 その声に耳を傾けてはいけないと。

 ……だけど、あのとき、僕を助けてくれたのも悪魔だった。

 堕落した人間に手を差し伸べるのもまた、悪魔なのだ。


「どうしてそんなことをしたのかなぁ? とーても興味あるなぁ?」


 僕は怖くてなにも答えられない。


「まぁ? それはあとにしますかー。レイレイ死んじゃうしー」


 悪魔はそう言って立ち上がると、また兄のほうへと歩いていった。

 僕は膝を抱え込む。

 目を閉じる。

 だけどやはり

 僕が悲しんでいても、それは聞こえてこない。

 もうどんなに呼んだって、応えてはくれないのだ――。


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