大陸暦1526年――小さな悪魔1


「あー落とさないでよぉ? それとーても貴重なんだからー」


 それは女の子の、どこかおどけたような声だった。


「誰だ!」


 兄が声がした方向へと顔を向ける。僕も遅れてそれに続く。

 部屋の出入口には、いつからそこにいたのか小柄な少女が立っていた。

 見るからに生地がよさそうな黒いローブのようなものを身にまとった彼女は、両手を衣類のポケットに入れて、薄墨色の癖毛な前髪の隙間からこちらを見ている。

 容姿だけを見たらお人形みたいに綺麗な子なのに、前髪から除く臙脂色の変わった瞳と、楽しそうに吊り上げられた口許が、少女をどこか不気味な存在へと変えていた。

 これは……どういう状況なのだろうか。

 ここに女の子がいることも、その彼女が笑っているのも、なんだか現実離れしていて、理解が追いつかない。


「どうもこんばんわー。勝手にお邪魔してますー」


 少女はポケットから手を出すと、芝居がかった礼をした。その手には黒色の手袋がはめられている。首から上以外は、ほぼ真っ黒だ。


「どうやって入った。いや、その前にどうしてここが」


 兄の声が困惑している。いつも強気である兄には珍しいことだ。

 でも、その気持ちは分かる。鍵は全部かけていたし、家にも外に音が漏れないように全体に防音結界が張ってある。ここでなにが行なわれているかなんて、近隣の人間は誰も知らない。……あのときみたいに、なにも知らないはずなんだ。


「鍵についてはーこれー」


 女の子はポケットから小さな針金を取り出した。


強制解錠ピッキング」兄が言った。

「そうー。でねー場所が分かったのはーこれー」


 ポケットに針金をしまうと、今度は耳からなにかを摘まんだ。

 それはここにいる女性が身に付けていたものと同じものだ。今は兄の手にある。


「これはねー星音しょうおんっていう魔道具でねーキミの持っているそれとーわたしのそれでー二つで一つなんだー。この二つはー常に微少の粒子で繋がっててーそれを追ってきたんだよー」


 それを聞いた兄がこちらを見た。思い当たる節があったからだろう。

 兄が手元のそれを見ると、そのまま腕を振り上げた。


「あーまってまってー本当に貴重なんだってそれー」


 少女の静止に、振り上げた手が止まる。


「国指定の特位魔道具だよぉ? 私のを奪って裏商人にでも売ったらがっぽがっぽだよー」


 そんなものをどうして彼女が持っているのだろうか。そんな疑問が湧くが、兄はそこのところ気にしていないようだった。


「別に金には困ってねぇ」

「そうなんだー。それなら持っておいたらどうー? 離れて話せるから便利だよー。もったいないよー」


 兄は一瞬、迷いを見せたあと、そばにいた僕にそれを渡してきた。


「どうするか考えるのはあとだ。それでお前もこいつと同じく騎士なのか」

「さぁどうだろうー?」

「なんで事件を調べてた? 一人か? 誰かに連絡したのか?」

「そこが気になるってことはーある意味ー自分にやましいことがあるって言ってるようなものだと思うけどー」

「うるせぇ……! なんでだ!」


 身内の僕でも縮み上がりそうな兄の怒声を、少女は平然とした様子で受け止めている。しかも、ここに来たときと変わらない笑顔を浮かべたままで。


「聞いてんのか!?」


 さらに怒鳴る兄を尻目に、少女は倒れている女性の元へと歩き出した。


「この部屋ってさー居間だよねぇ? なのにー暖炉以外ー家具がなにもないんだねー。不思議だねー。あまり使われてないのかなー? それともとりあえず監禁する場所なのかなー?」

「答えろよ……!」


 兄が少女の肩に掴みかかろうと手を伸ばした。だけど彼女はそれをひらりとけると、その流れのまま床に倒れている女性の近くに屈んだ。


「それにしても油断したねぇレイレイー? 協力者がいるって教えてあげていたのにぃ、どーしてその場で確認せずに相手の言うことを素直に聞いちゃったかなぁ? 迂闊なのかなぁ? 馬鹿なのかなぁ? んー?」


 微かに瞼が開いている女性の頬を少女が軽く叩く。兄はその様子を黙って見ている。けられたことに動揺しているようだ。


「ただでさえキミはー人間の気配を読むのが苦手なんだからー周囲には常に気を配らないといけないでしょうー……レイレイ?」


 少女の顔が固まった、気がした。

 彼女は女性の後頭部や首筋を触診でもするかのようにさわると、まるで人形の関節のように頭をぐるりと後ろに捻った。


「なにか打ったー?」


 聞かれて兄が、はっとして笑った。それは動揺を紛らわすためのようにも見えた。


「毒を打ったんだよ。眠りに落ちながら死ねる毒を」

「へぇ、珍しいもの持ってるんだねぇ。それ普通には売ってないでしょー?」

「よく知ってんじゃねえか。そうだよ。密売人から買ったんだよ。値は張るけど、解毒剤もあるし眠り薬よりも即効性があるから便利なんだ……!」


 言い終わる前に兄が屈んでいた少女を短剣で斬りつけた。彼女は咄嗟に立ち上がってそれをけたけど、短剣の切っ先が左手をかする。切れた黒い手袋の隙間から、血が滴るのが見えた。

 あぁこれで彼女も……。僕は少女の末路に胸が痛んだ。


「その毒ーここに連れて来る前に打ったんだよねぇ?」


 斬りつけられたというのに、少女はそんなことなど意に介していない様子で言った。


「そうだよ。それがどうした」

「連絡が取れなくなってから四十分だからーあと三十分かぁ」


 どうやら少女は毒の特性を知っているらしい。

 普通の女の子はそんなことを知らない。知るはずがない。

 こんな状況にも全く怯えを見せないし、いったい彼女は何者なんだ……?

 やっぱり倒れている女性と同じ、騎士、なのだろうか。


「まぁ、そのまま死なすつもりはないけどな。折角転がり込んできた貴重品だ。せいぜい遊ばせてもらうさ」


 それでも兄は余裕を見せていた。短剣が当たったからだろう。これでもう女の子がなんであっても問題にはならないと分かっているから。


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