大陸暦1526年――報告


 執務机に向かって文書を読んでいる男性の眉根が寄った。

 中央監獄棟を出た私は、そのままの足で星城せいじょうの宮殿近衛隊の隊長室へと訪れた。そして先ほどラウネが書いてくれた文書を近衛隊長に渡し、それを読み終えるのを休めの姿勢で待っている。近衛隊長の傍らにはリビア近衛副長が控えており、その様子を静かに見守っていた。

 しかし、ラウネが書いた文書を人に読ますというだけで、悪いことをして立たされている気分になるのはなぜだろうか。

 もちろん、文書の内容はここまでの道中、馬車内で確認している。普段の言動を微塵も感じさせない至極真っ当な文章だった。あいつは学生時代から文章だけはまともなのだ。なのでそこは問題ない。問題あるとすれば、内容のほうだ。

 文書には薬の種類のほかに、犯人の人物像を含めたラウネのこれまでの推測、そして先ほどマルルが説明してくれた媚薬殺人のことや、ほかの薬を用いた殺人についても詳細に記されている。正直、普通の感性の人間が見たら気分のいいものではない。近衛隊長の眉根が寄っているのがその証拠だろう。

 やがて近衛隊長は執務机に文書を置くと顔を上げた。柔和な顔立ちをした青年がこちらを見る。

 宮殿近衛隊隊長、ストラスト・ニル・ルーベ。

 聞いた話によると年齢は私の一つ上。去年、近衛隊長の座に就いた若き長だ。

 彼は剣を持たない騎士であり、なんでも魔法と少数民族鳴賀椰ナルカヤ族に伝わる柔術を交えた体術を扱うのだとか。柔術の名は聞いたことはあるが、どのようなものかは全く知らない。武術を嗜むものとして、いつか機会があればお目に掛かりたいものだ。


「イルスミル第五騎士隊長殿」ルーベ近衛隊長が呼んだ。

「はっ」

「ご協力、感謝します。すみません。管轄外ですのに」

「いえ、民を守る職務は騎士団も同じですから」

「そう言ってもらえると助かります。薬の販売店はすぐに調べさせます。しかし」


 ルーベ近衛隊長は言いづらそうにしながらも続けた。


「このようなことを聞くのはサーミル獄吏官長に失礼かもしれませんが、この見解はどこまで信用していいものなのでしょうか」


 どうやらラウネの推測を捜査に取り入れるかどうか迷っているようだ。

 その気持ちは分からないでもない。ラウネの推測にはそれなりの根拠はあるが、それでも彼女の経験則に基づく部分が多く、なんの確証もない。

 それを確実のものとして捜査に取り入れて見当違いだった場合、その間にさらなる犠牲者が出てしまう可能性がある。もしそうなってしまえば必ず、今以上に国民の不満が城下守備隊へと向くことになるし、最悪、治安部隊そのものに対しての不信に繋がることにもなりかねない。それはあまり望ましくない事態だ。

 治安部隊は国民を守る立場ではあるが、決して国民より上の立場にいるわけではない。

 そもそも軍隊というものは国民の税金によって成り立っているものだ。国民が税金を納めてくれているからこそ、軍隊は装備を整えて任務に赴けるのだし、それで損害を受けた備品を整備したり新調することもできる。そしてその働きの報酬として住まいや食事だって得ることができる。危険な役目に見合った対価を軍人は貰っているのだ。

 だからこそ国民は期待している。治安部隊が国内の治安を保ち、安全な生活が送れるよう努めることを――瘴魔しょうまや犯罪者などの脅威から自分たちを守ってくれることを。

 それに治安部隊は応えなければならない。たとえ現実的に見て国民全員を守ることが難しくとも、努力は怠ってはならない。それが軍人になることを選んだ者の務めだ。

 だから私も事件解決にはできるだけ尽力したいと思っている。

 そのためにはここでなにを言うべきかは、決まっている。


「私が申し上げられることは、サーミル獄吏官長が物事を推測した場合、これまで一度も大きく外したことがないということです。もちろん私が知り得る限りで、ですが」


 ルーベ近衛隊長が驚くように目を見張った。私がここまで言い切るとは思わなかったからだろう。


「それでは、貴殿はサーミル獄吏官長の見解のみで捜査を絞るべきだと」


 肯定しかけて、私は寸前でそれを思い留まった。


「――いえ。それでもあくまで可能性の一つにとどめられたほうがいいかとは思います」


 私は――私自身はラウネの能力を信頼している。

 あいつの言うことは正しいと信じている。

 だが、あいつも人間だ。

 今までが完璧でも、今回が、そして今後がずっとそうだとは限らない。

 ここで確実だと言い切ってもし間違いがあったら、責任の所在を問われるのは私ではない。推測したラウネだ。あいつがここで自ら間違いないと宣言するならまだしも、他人の私がそれを無責任に代弁することはできない。

 だからたとえ、あいつのことを信じていても、それが事件を解決する近道だとしても、捜査の一本化を推奨することはできなかった。


「そうですね」


 納得するようにルーベ近衛隊長は頷いた。


「ありがとうございました。お陰で進展できそうです」


 彼は私に礼を言うと、横に顔を向けた。


「副長。お見送りを」

「はい」


 横に控えていたリビア近衛副長が小さく礼をした。


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