02

大陸暦1526年――いつもの日常


 目が覚めて上体を起こすと、少し頭が重く感じた。

 昨夜、日付が変わるまで書類仕事をしていたお陰で、いつもより寝床に入るのが三時間ほど遅れた所為だろう。

 私は大きく息をはいて、窓に目を向けた。窓の外の景色は白んでいる。夜が明けている最中だ。いつもなら夜明け前に起きていることから、今日は少し寝坊したらしい。それでも自然と夜明け前後に目を覚ましてしまうのは、子供のころ村に住んでいたときに身についた生活習慣によるものだった。

 私はベッドから降りて身支度を始める。昨夜は兵舎の自室に泊まったので、今日は通勤時間も朝食の用意もする必要がない。だからこんなに早く動き出さなくてもいいのだが、これもやはり習慣というものだろう。考えるよりも先に自然と体は動いていた。

 洗面所で顔を洗い歯を磨き、寝間着から着替える。半袖の黒い肌着を身に付け、ズボンとブーツを履いたところで、扉が叩かれる音がした。


「イルスミル隊長。朝食をお持ちしました」


 私は入口に向かい扉を開ける。そこにはワゴンを手に女性の給仕が立っている。


「おはようございます」

「おはよう」


 給仕は礼をすると、部屋に入り窓際近くの円形テーブルにワゴンを押していった。そして食事を並べていく。

 それを見ながら大層なご身分だなと私は内心、苦笑した。

 本当ならば普通に兵舎の食堂で食事を摂りたいのだが、自分の立場上、気軽にそれもできない。非常時や任務中でもない限り、食事とはくつろぎの時間だ。そんな中で指揮官の目があっては、休まる気持ちも休まらない。それは隊長実習で教わる前から流石に分かっていたことだ。

 だから食堂に行くのは月二回ぐらいで我慢していた。そのときにはわりとみんな気軽に話しかけてくるので、あまり気にすることもないような気もするが、これも指揮官の役目だと思って守るようにしている。


「準備終わりました」給仕が言った。

「ありがとう」


 礼を言うと給仕は小さく頭を下げた。そしてそれを上げようとした彼女の視線が一瞬、私の左腕を見る。だが、給仕は何事もない様子を装うと部屋を出て行った。

 そういえば半袖だったな、と私は苦笑すると左腕を見た。

 そこには手首から肘にかけて、半楕円に噛まれたような傷跡がついている。

 古傷だ。あまり人が見てもいい気分のものではない。これまでここで寝坊したことがなかったので、朝食のときはいつも着替え終わったあとだった。だから給仕は初めて傷跡を見て気まずく思ったのだろう。知識ある人は私の灰目と傷跡を結びつけるだろうから。

 それに関してはなにを思われようと構わないのだが、優しい人に気を遣わせてしまうのだけは申し訳ない。だから今後は気をつけよう――そう思いながら私は食事の席についた。

 テーブルには目玉焼きにパン、ウインナー三本に豆を煎ったもの。そしてサラダが並んでいる。

 私はそれらを見てから目の前で手を組んだ。


「母なる緑の大地の恵みと、父なる青き海原の恵みに感謝を。その命を我が身の糧とし、いずれ星へと還りて新たな命となろう。いただきます」


 食前の祈りを口にしてから、ナイフとフォークを手にする。

 まずは一本のウィンナーを手頃な大きさに切ると、フォークに刺して口に運んだ。それを咀嚼すると口内に肉の味が広がる。

 ウィンナーを食べると、いつも生家のことを思い出す。

 小さな村の中で、小さな牧場をしていた生家では毎年、自家製のウィンナーを作って街に卸していた。父によるとうちのウィンナーは街で人気だったらしい。

 実際、私もこれまで色んなウィンナーを口にしてきたが自家製が一番、美味しかったように思う。その理由が肉質の違いによるものなのか、作りかたにコツがあるのか、もしくはもう食べられないという思い出の補正が味にかかっているのかは分からない。家畜の世話は手伝いとしてやっていたが、ウィンナー作りはまだ子供だからという理由で手伝わせてもらえなかったから。

 それでも私は、これがどのように作られているのかは知っている。

 加工場ののぞき穴からそれを見たことがある。

 豚をどのように処理し、このようになっていくのかを。

 命が途絶える声を、この耳で聞いている。

 だからウィンナーを――命をいただくときは厳かな気持ちになる。

 人は多くの命を喰らって生きているのだと、実感する。

 それは人だけではない。どんな生きものでもそうだ。

 生物というものは、なにかしらの命を喰らって生きている。

 ある生物にとって喰う側でも、違う生物から見れば喰われる側になる。

 そう。食物連鎖だ。

 そして人は決して、その連鎖の頂点にいるわけではない。

 ウィンナーを見ていた視線を上げる。


 食卓の周りにはが広がっている。


 暗雲に覆われた空。

 見慣れた村の建物。

 舗装されてない土の道。

 雨でぬかるんだ大地と、瘴気しょうきで枯れてしまった草花。

 その上には、多くの人が倒れている。

 骨と肉に成り変わった人たちが散らばっている。

 かじられた骨付き肉のように、肉片が付いた人骨が転がっている。

 その肉のどれもが、褪せた赤色をしている。

 色が失われた風景に馴染むかのように、色味を失っている。

 だが、その褪せた世界にも、色彩をはなっているものがあった。

 肉がそげ落ちてきている顔に、骨が見えかけている眼窩がんかにはめられた二つの球体。


 目玉だ。


 それまで目玉はそれぞれ思い思いの方向を向いていたが、私がそれを認識した途端、一斉にこちらを見た。

 見覚えのある様々な色をした目玉が。

 幼いころから私を見守ってくれていた目玉が。

 それが今でも変わらず、命を喰らう私を見守ってくれている。

 道を違えることがないように。

 自惚れることがないように。

 奢ることがないように。

 みんなで監視してくれている。


 私もみんなと同じく、に過ぎないのだと。


 姿で食事の度に教えてくれる。


 みんなに見守られながら、私は食事を進める。

 耳に届くのは食器の接触音と、口内から伝わる咀嚼音のみ。

 ほかにはなにも聞こえない。なにも耳に入ってこない。

 時間が止まったかのように静かだ。

 一人で食事をするといつもこうだ。

 それも当り前だ。

 みんなにはもう声を発する器官がないのだから、喋ろうにも喋ることができない。

 昔のように声を聞くことも、私と話すこともできない。

 だから私は黙って食べ進めるしかない。

 やがて最後に残しておいたウィンナーを食べきると、私はナイフとフォークを置いた。

 私が食事を終えると、役目を果たしたみんなの姿は薄れていく。

 徐々に外界の音が耳に戻ってくる中で、一人、また一人と消えていく。


 そうして最後まで残ったのは、正面にいる二つの青い目玉だった。


 それはいつものようにじっと私を見つめたあと、名残惜しそうに消えていった。

 そうなっても変わらないに私は一人苦笑すると、手のひらを合わせた。


「ごちそうさまでした」


 それから紅茶を飲み、一息入れながら昨日のことを頭で整理する。

 整理しようとして、自然とため息をついていた。

 後悔が襲ってきたからだ。

 やはり、安請け合いをしてしまった気がする。

 いくらなんでも、なんでもしてもいい権利は不味かったかも知れない。

 学生時代にも私にたしなめられた腹いせのように発散対象にされることはあったが、そのときはせいぜい軽く言葉でチクチクとつつかれるぐらいだった。それは、ラウネがほかの生徒から向けられた悪意をやり返すほどのものではなかったことからするに、そこは流石に友人として抑えてくれていたのではないかと思う。多分。

 しかし、なんでもしてもいい権利となると、その必要がなくなる。

 むしろ、そのための権利と言えるのではないだろうか。

 私で心置きなく遊ぶための口実として。

 控える必要がないとなったら、あいつがいったいなにをしてくるのか……想像できるようで、できない。というかしたくない。

 ある意味、生殺与奪せいさつよだつの権利をあいつに握られたと言っても過言ではないかもしれない。

 まさに後悔、先に立たずとはこのことだ。

 それから私は憂鬱な気分で食後の休憩をし、身支度を終わらせてから早々に隊長室へと向かった。そして昨夜の仕事の残りに手をつけ、途中、挨拶にやってきた副長に書類整理を手伝わないことへの皮肉をこぼし、それからまた集中して机に向かっていると時刻はいつの間にか十時前になっていた。

 私は凝り固まった体をほぐそうと、手を組み上へと伸ばす。

 続いて左右に頭を動かして首筋を伸ばしていると、扉が叩かれた。


「イルスミル隊長。エルデーン・シャルテです」

「どうぞ」

「失礼します」エルデーンが敬礼をする。「午前の訓練、終わりました」

「ご苦労さま。またお前を使わして、副長はどうした」

「喉が渇いたと仰って、休憩に行かれました」

「自由なやつだ」


 そう言ってから、そういえば私も喉が渇いたなと思った。集中していたこともあり、気づけば朝食からこのかたなにも飲んでいない。

 時計を見やって、そろそろ休憩にでもするかと思っていると。


「お飲み物をお持ちしましょうか」


 エルデーンがそう言ってきた。

 思ったことを見透かされたような発言に、私は驚きを感じながらも平常を保ち答える。


「なぜだ」

「時計を見られたのでそろそろ休憩をお考えかと思いまして」


 時計を見たのは一瞬、視線だけを動かしてのことなのだが、よく見ている。そして大した洞察力だなと私は思わず笑みを漏らした。


「それなら付き合ってくれないか」


 エルデーンは少し目を見開いたあと、表情を緩めて微笑んだ。


「喜んで」


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