大陸暦1526年――捜査協力依頼1
「宮殿近衛隊から捜査協力依頼の書面ー?」
獄吏官長室へと入るなり、ラウネは飛び込むようにソファに寝転んだ。自由か。
私は彼女が寝転んだ向かいのソファへと勝手に腰を下ろす。目の前の人間が自由すぎて、座るよう勧められるのを待ったり、座ってもいいかと断りを入れる気にもならない。
ラウネはうつ伏せに寝転んだまま両足をバタバタさせると、顔だけをこちらに向けてきた。
「あぁーそういえば届いてたねぇ。でもーそれとーキミがここに来たのにはーどういう関係があるのかなぁ?」
どことなく芝居がかった物言いが引っかかったが、私はここに来るまでのことの経緯を話すことにした。
「リビア――テルン近衛副隊長殿」
リビア近衛副長は無表情で私をみとめると、小さく礼をした。
そんな彼女にナルドック団長は隣を勧める。リビア近衛副長はこちらに近づき再度、小さく礼をすると、ナルドック団長の隣に腰を下ろした。
「実は今日、貴女に話があるのは私ではなく彼女でね」
ナルドック団長はティーポットを手に持ち、リビア近衛副長の前に置かれたカップに紅茶を注ぎながら言った。
「はあ」
私はつい気の抜けた返事をしてしまう。わざわざ騎士団長を介してまで近衛隊の副隊長が私になんの用だろうか。全く想像がつかない。
「申し訳ありません。お忙しいところお呼び立てしてしまって」
そう言ったリビア近衛副長の顔には微塵も申し訳なさが浮かんでいない。言うなれば全くの無表情だ。それでも、そのことに関してなにも感じないのは声音に真摯さが表われているのと、彼女がどんな人間かを私が知っているからだろう。彼女はあまり感情を表に出さない人なのだ。その影響で近衛隊では氷の副長だなんて呼ばれている。
「いえ。なんのご用でしょうか」
「イルスミル騎士隊長殿は今、巷で起こっている毒薬連続殺人事件と呼ばれている事件のことをご存じですか?」
確か、毒薬により女性が五人も犠牲になっている事件だ。
「はい。新聞で知れる程度には、ですが」
「こちらが事件の捜査資料となります」
リビア近衛副長は膝に置いていた書類を応接机に置いて差し出してきた。
「拝見します」
どうにも話の流れが読めないが、とりあえず勧められるがままにそれを手に取る。そして二人の視線を感じながら資料を流し見た。
気になったのは、いずれも被害者は毒殺ではなく絞殺されているということと、五人目の被害者から検出された薬物が薬事官――
「毒殺ではないのですね」
新聞には、未知の毒物による連続殺人か、的なことが書かれていたのだが。
「はい。記事に毒殺と書かれてしまったのは、被害者が飲まされた薬が特定できないという情報だけがどこからか漏れてしまった所為だと思われます」
そういえば、つい最近までこの事件の見出しは少女連続殺人事件になっていた気がする。
「薬事官が分からないということは新種の薬ですか」
「薬事官はそうだと言っています。これらの成分を全て含んでいる薬は見たことがないと。一応、魔道検査官にも調べてもらっていますが、今のところ成果は出ていません」
魔道検査官は
犯罪に魔法が使用された場合には調査をし、魔法の特定を行なっている。それには魔法を施して作られた魔法薬の分析も含まれている。
リビア近衛副長が一応と言ったのは、最初から魔法薬である可能性が低かったという意味だろう。それでも検査に出したのは、きっとほかに手がかりがないからだ。
「それで、なぜこの話を私に?」
普通に考えるならば捜査協力依頼なのだろうが……。
基本、
城下守備隊は
それらを指揮するのがそれぞれの区画隊長であり、その区画隊長を取りまとめているのが宮殿近衛隊長だ。
そう。城下守備隊は宮殿近衛隊の指揮下にあるということになる。
これはこのフルテスタ大陸でも
なぜ、
当時はまだ
それは初代
なぜなら初代
我々が住まうこのフルテスタ大陸は大昔の大戦で
その人類に自由を与えたのが、大陸浄化計画の立役者の一人である初代
大陸の
しかし、
幸い、暗殺者は王女が返り討ちにしたことで大事には至らなかったが、それでも事態を重く受け止めた臣下は、今後のためにと近衛隊の設立を決めた。
そのとき、守備隊から人員を選出して作られたのが近衛隊の始まりだ。
そして、初代近衛隊長には守備隊長が選ばれた。人格者で部下に慕われていたと記録に残っている初代近衛隊長は近衛隊任務の傍ら、前任地である守備隊への協力も惜しまなかった。それを続けていた結果、最終的に守備隊は近衛隊の指揮下に入ることになったのだ。
そういう歴史もあり、近衛隊長の補佐である近衛副長が守備隊の
しかし、その場合は任務と同じく、ナルドック団長から守備隊に協力するよう通達が届いたあと、守備隊区画隊長が直接、説明をしに軍営にやって来ていた。このように呼び出されたことは一度もない。
もしかして捜査協力依頼ではないのだろうか、と思っているとリビア近衛副長が私の疑問に答えるように言った。
「実は薬を特定するために、捜査協力をお願いしたい御方がいるのです」
やはり捜査協力か、と納得しながらも私は内心、首を傾げた。
捜査協力をお願いしたい御方……?
「それは誰ですか」
「中央監獄棟のサーミル獄吏官長です」
意外、というわけでもなかったのだが、ここでラウネの名前が出るとは思いもしなかった私は少しばかり面を食らった。
「サーミル獄吏官長、ですか」
「はい。なんでも彼女は薬物に精通しているとか」
それは間違いではない。
ラウネは昔から薬物――特に毒薬――が好きなようで、士官学校では薬学を専攻していた。卒業後の進路にしても薬事官を考えていたし、実際、研究棟からも早いうちから誘いが来ていた。だが、彼女は最終的にそれを蹴って監獄棟に入ったのだ。
おそらくラウネが薬物に精通しているという情報は研究棟から聞いたのだろう。そういうことならば、この場でラウネの名前が出たことにも納得ができる。
しかし、だとしてもだ。
「それでしたら、ご本人に依頼を出されては」
そう。私を通す意味が分からない。
ここでリビア近衛副長は初めて、ほんのわずかに戸惑いのような表情を浮かばせた。
「そうさせていただいたのですが、こちらが返ってきまして」
そう言うと懐から一枚の手紙を取り出し、開いて応接机に置いた。
私はその手紙を
用紙の真ん中には一言『無理』と記されていた。
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