大陸暦1526年――獄吏官長
「あ、丁度、終わったみたいですよ」
前を歩いていたマルルが振り返り笑顔でそう言うと、小走りで駆け出す。
彼女が向かった先、開かれた鉄扉からは一人の人物が現れた。
右手には書類を、左手はポケットに。その両手には黒い革手袋がはめられている。
体格は見るからに小柄で、猫背がさらにそれを助長している。髪は肩下まで伸ばされた薄墨色で癖毛。目にかかるほどに長い前髪の隙間からは臙脂色の変わった目色が垣間見える。
そして服装はマルルが身につけている漆黒の制服に似ているが、形が少し違っている。例えるならば聖職者や魔道士がまとう、フードが付いたローブのような見た目をしている。
それだけでなく細部には装飾と魔紋様が多く施されており、周りにいる人間とは明らかに立場が違うことが分かる。そう。私のこの騎士隊長の制服のように。
「お疲れさまでした! いかがでしたか?」
マルルの問いかけに、その人物は緩慢な動きで首を後ろに傾けると「はいたよーげろげろにねぇ」と言って舌を出した。
「流石です!」
その明らかに奇怪な言動を全く気にすることなく、マルルが素直に感心する。
そんなマルルに私は感心した。私なら絶対に『その言い方だと、自供したというよりは嘔吐したように聞こえるのだが』と突っ込んでしまっている。
「みんな落とせないって言うからさーどれぐらい骨があるのかなーてちょー期待してたのにぃ。もー拍子抜けだよー」
「まぁまぁ、そう仰らずに。次がありますよ」マルルがなだめるように言った。「では、私は対象を部屋に戻して参ります」
「ほーい。片付けよろしくー」
……嘔吐もしたのだな。
後片付けをさせられるマルルを気の毒に思いながら――本人はそんなこと微塵も気にする様子もなく笑顔で尋問室に入っていったが――私は消化不良気味だとでも言うように口を尖らせている彼女の上官殿に近づいた。
自分より頭半分以上も低いその上官殿は、こちらに体を向けると首を大げさに傾げた。
「おやぁ? おやおやぁ? どこかで見た顔だなぁ?」
白々しくそう口にしながら、真下からこちらを見上げてくる。顔が近い。
言動だけでも明らかに変わり者だと分かるこの人物がマルルの上官であり、この中央監獄棟の獄吏官長、兼、主席尋問官、ラウネ・サーザル・サーミルだ。
彼女は去年、十六歳という若さで全監獄棟の統括職である中央監獄棟の獄吏官長に任命された。
先ほどのナルドック団長も相当に珍しいことではあったが、これまで経験豊富な年配が就くことが多かった獄吏官長にわずか十六歳の少女が選ばれることは、監獄棟が始まって以来、前代未聞の出来事だと言われている。
ラウネが若くして獄吏官長に選ばれたのは、一重にその能力に依るものだ。
彼女は士官学校を主席で卒業したあと、前獄吏官長に誘われ尋問官として監獄棟に入った。それから今日まで、ラウネは尋問対象を一度も落とせなかったことがない。
それはなにも知らない人間からすれば、それが仕事なのだから当然だろうと思われるかもしれない。だが、犯罪者を相手にする立場や事情を知る人間からすれば、それがいかに難しいことかが分かる。
監獄棟に連行されるのはなにも犯罪者だけではない。被疑者もそこには含まれている。
被疑者とは犯罪を犯したことを疑われている人物のことだ。
守りに入った人間から真実を引き出すことは、そう容易なことではない。そんなことは尋問官ではない私にだって想像はつく。だから釈放されてしまう被疑者というのも、それなりにいたりするのだ。
だが、ラウネが監獄棟に入ってからの一年間、彼女に尋問されて釈放された被疑者は一人もいない。自白しない人間をラウネが片っ端から全て落としたからだ。
それでも釈放された被疑者がいるとすれば、ラウネが尋問する前から無罪だと判断した人間だけだ。それもただの決めつけではない。真犯人の特徴を推測し、それが捕まった上でのことだ。
尋問に関してもそうだ。口を閉ざし続ける被疑者には、ラウネのほうから真実を突きつけていく。当人しか知り得ない犯行の方法や、そこに至った動機までをも語って。
そう。それは全てラウネの推測だ。
しかし、彼女にとって推測とは事実なのだ。
ラウネは物事を推測し、人の深層を見抜くことに異常に長けているのだ。
その能力と、元々の類いまれなる頭脳が認められ、ラウネはご高齢だった前獄吏官長の後任として、主席尋問官だけでなく獄吏官長にも任命されたのだった。
それほど優秀で非の打ち所のない人間であるラウネだが、やはり神は二物を与えないのだろう、誰にでも欠点というものがある。
「あー思い出したー」
ラウネが手のひらに自身の
「士官学校ではーわたしより勉強していたくせにー総合成績ではーわたしに適わなかった同期のレイチェルさんではないですかー」
……そう。こいつは性格が悪いのだ。
「しかもーわたしより弱っちいくせにー団長に上手いことおだてられてーいい気になって騎士隊長を引き受けてしまったー平民のレイチェルさんではないですかー」
……それも少しという話ではない。ドがつくほどに悪い。
さらにタチが悪いのは、当人はそれを自覚しながらも長所だと思っているところだ。
うっかり『性格が悪いな』と口を滑らそうものなら、怒るどころか逆に上機嫌になってしまう。運が悪ければうざったいぐらいに絡んでくる。だから
「どーしてキミがここにいるのぉ?」
「お前に用があるからだ。少し時間あるか」
「作るよーレイレイのためならねぇ」
ラウネはおおよそ誰も名付けそうにないあだ名で私を呼ぶと、にへら、と子どものように無邪気な笑顔を浮かべた。
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