大陸暦1526年――呼び出し


 フルテスタ歴一五二六年、水の月みずのつき

 星王国せいおうこくセンルーニア、星都せいとルニアール西区画、第五騎士隊軍営。

 その兵舎三階の隊長室で一人、報告書を作成していた私は、誰の目もないことをいいことに大きく欠伸をした。

 目尻に涙が浮かんだ目で時計を見やれば、時刻は十四時過ぎ。

 執務机に向かってからはまだ三〇分も経っていない。たとえ昼食後の満腹感から思考能力が鈍くなり、さらには眠気も襲ってくる魔の時間帯とはいえ、これはなかなかに酷い有様だ。

 私は全く進んでいない報告書から顔を上げると、羽ペンをペン立てに置いてから頬杖をついた。それから正面の大きな窓に目を向ける。そこからは星都せいとの街並みと、遠方に星都せいとを取り囲む高い防壁、そして雲一つない青空が見える。


 そのあまりにもよい天気っぷりに、私は思わずため息をついた。


 こんなにいい天気だというのに、私がしていることといえば、部屋にこもって報告書の作成だ。それだけならまだしも、これが書き終わったら今度は執務机のはしに積み上げられている未処理の書類が待っている。これらは新年度に入って一ヶ月半、なんだかんだで忙しくてつい溜め込んでしまったものだ。もちろん急ぎではないものばかりなので、今のところ誰にも迷惑はかけていない。とはいえまとめて片付けないことには増える一方だと思い、先日から重い腰を上げて――実際は椅子に腰を下ろしながら――処理を始めた。


 それからというもの私は、日頃のささやかな楽しみである訓練に参加するのも我慢し、可能な限り引きこもりで書類仕事をこなしていた。その甲斐もあって大分、書類の塔は低くなってはきているが、それと比例するかのように私の心労が増え続けている。元来、体を動かすことを好んでいる身としては、大人しく椅子に座り続けることなど苦痛なことこの上ないのだ。


 それでも今日はまだ午前中に瘴魔しょうま討伐任務が入ったので、朝から椅子に縛りつけられていたというわけではない。たとえ数時間といえど、馬に乗って外に出られたことや任務中に部下たちと話ができたことは、いい気分転換になった。それに想定外ではあるが少しばかり体を動かすこともできた。そのお陰で気分も上がり、星都せいとへの帰り道では『戻ったら書類仕事を頑張ろう』と意気込みすらもしていたというのに、遅めの昼食を摂りいざ机に向かってみたら一時間も経たないうちにこれだ。つくづく私はこういうことが向いていないのだと、今日ばかりは強くそれを実感させられた。


 そもそも、報告書にせよ書類仕事にせよ事務というものは普通、隊長一人でこなすものではない。補佐である副長も手伝うものなのだ。だというのにうちの副長ことウーデルときたら、困ったことに私以上の事務嫌いときている。

 手伝えと言ったところで『手伝いたいのもやまやまなのですが、ちょっと用事を思い出しまして』とか『今日は訓練で右手を痛めてペンが握れないんですよ』とか下手な言い訳をして逃げてしまう。つい最近では、溜め込んだ書類を片付けるために隊長室に引きこもっている私に『一日中、部屋にこもって書類と睨めっこだなんてよくできますね』と感心するように言ってきた。完全に喧嘩を売ってきているが、当の本人はこれで全く悪気がないのだから始末に負えない。

 これでほかの仕事に関しても不真面目なようならば思う存分、注意しようもあるのだが、今のところ事務以外は精力的にこなしてくれている。それも文句のつけようがないぐらいに完璧に。

 そう。ウーデルは事務嫌いと性格の軽さにさえ目をつぶれば、普通に優秀なのだ。伊達に副長歴が長いわけではない。まだ隊長としては新米の域を抜け出していない私としては正直、その点は助かっている。

 そういうこともあり、書類仕事一つでは強く言うことができないのが現状であった。


 私は息をはいて羽ペンを手に取る。そしてインクを浸けようとしたところで、廊下から規則正しい足音が聞こえてきた。直後、部屋の扉が叩かれる。

 だらけきっていた姿勢を正し、私は返事をした。


「はい」

「エルデーン・シャルテです」

「どうぞ」

「失礼します」


 エルデーンは室内に入り扉を閉めると、敬礼をした。


「ヘルデン副長から隊長の剣をお預かりしましたのでお届けに上がりました。手入れは済んでいるとのことです。それと通信官からお手紙もお預かりしております」


 ペン立てに羽ペンを戻し、差し出された巻手紙を受け取る。


「ありがとう」


 剣は後ろの剣立てに置いといてくれ、と口にする前にエルデーンはそちらへと足を向けた。気が回る子だ。いや、子、と言うのは流石に失礼だな。彼女とは二つしか歳が違わない。それは彼女だけでなく、今年入った新人のほとんどがそうなのだが。

 私は巻手紙の封蝋を見る。印章は騎士団長のものだ。

 封を切り中を確認する。紙面には、夕方までの空いた時間に星城せいじょうの騎士団長室に顔を出してほしいという旨が記されている。用件についてはなにも書かれていない。こういう形での呼び出しは珍しい。

 私は不思議に思いながらも、執務机の引き出しから用紙を取り出した。


「返事を書く。少し待っててくれるか。あと楽にしてていい」

「はい」


 少し離れて直立していたエルデーンが休めの姿勢をとる。


「副長はどこにいた」ペンを走らせながら訊く。

「鍛冶場に。ですがお腹が空いたと仰っていたので、今ごろは食堂かと」


 新人を顎で使って本人は報告より先に食事か……ったく。

 胸中で呆れながら、三十分前後で参る旨を書いて用紙を丸めると、エルデーンに差し出した。見られて困る内容ではないので封蝋はしない。していなければ通信官がしてくれる。


「悪いな。お前をこき使って」


 こういうのは普通、そばに付いているはずの副長に任せるものなのだが、生憎うちの副長は用がない限り、朝と夕方以外は滅多にここには顔を出さない。けているのかと思うぐらいに来ない。来やがらない。

 エルデーンは両手で手紙を受け取ると微笑んで「いえ」と軽く首を振った。


「私はこれから星城せいじょうに行ってくる」


 立ち上がり、部屋の隅にあるポールハンガーから外套を手に取る。


「いつ戻れるかは分からない。副長にはそう伝えてくれ。あと食事が済んだら少しは報告書なり書類仕事なりを手伝えともな」


 無駄だろうが一応は苦言を呈しておく。


「承りました。隊長。お供は」

「大丈夫だ。昼の星都せいとなど平和なものだ」


 外套を左肩に羽織り、留め具を背中から右肩を通して、外套前に付いている金具にはめる。

 このえりがついた厚手のマントのような外套は、騎士隊長の証とも言えるものだ。色や装飾など細かい部分は各々違えど、騎士隊長はみな、これを身に付けている。外套には様々な魔紋様まもんようが施されており、下位の魔法や斬撃ぐらいなら防いでしまうぐらいの防御力がある。戦闘では盾としても使えて便利なものではあるのだが、いかんせん左手が外套に隠れてしまうのもあり、動きにくく感じて私はあまり好きではなかった。

 だからここにいるときも大概、身に付けてはいないし、任務のときも戦闘の際にはよく外している。それでも星城せいじょうに行くのならば、好き嫌いは言っていられない。謁見や式典でもない限り正装である必要はないとはいえ、星城せいじょうともなると誰に見られているか分からない。人が多い場所ほど、どこかしらに身だしなみ一つで揚げ足を取ろうとしてくる人間はいる。それが自分だけに向けられるのであれば全く気にしないが、は騎士団長にまで矛先が向いてしまう可能性がある。それだけでなく最悪、騎士団長のご立場までもを下げることにもなりかねない。それは私も望むところではない。なので公の場に行くときには、いつも以上に身だしなみには気を使っていた。

 外していた手袋をはめて服装を整えると、エルデーンがすかさず剣を渡してくれた。なんとも気が利く。礼を言ってから剣を受け取り、それを剣帯の金具に連結する。


「そうそうエルデーン」

「はい」

「今日の戦闘、初めてにしてはいい動きをしていたな。状況に合わせた判断もそうだが、新人で一撃のもとに瘴魔しょうまほふれるヤツはそういない。それは誇っていい。ただ、少し持久力が低いように見受けられる。お前がそこだけを軽んじているようには思えないので疲れやすい体質なのかもしれないが、今後はなるべくそこを伸ばせ」

「はい。ご指摘ありがとうございます」


 エルデーンは微笑んで敬礼をすると「馬車を回してきます」と言って部屋を出た。

 本当に気が利くな、と感心しながら私は窓辺へと向かうと、外を眺めた。

 そこから見える景色は先ほど見ていたものとなんら変わりがないというのに、思わずため息が出るどころか、今は笑みさえも浮かべてしまっている。その原因は間違いなく気持ちの変化によるものだろう。今から外出できるというだけでも、単純なことに私の気分は高揚しているのだ。

 もちろん外出だからといって遊びに行くわけではない。これが仕事の呼び出しであることも重々承知している。もしかしたらなにかしらお叱りを受ける可能性だってある。

 だとしても、椅子に座っているよりはマシだと思ってしまうあたり、私もウーデルのことは言えないのかもしれない。あいつも私の小言を聞き流しながらも逃げ続けているのだから。

 そこまで思って私は、いや言えるだろ、と胸中で自分に突っ込みを入れた。

 少なくとも私は与えられた責務から逃げ続けることだけはしていない。そこだけはウーデルとは違うし、それだけでも私はあいつになんだかんだと文句を言う権利がある。そうだ。その通りだ。

 ……全く、何気なく思ったことで、あいつの素行を仕方のないものと受け入れるところだった。危ない。

 私は息をはくと窓の下に目を向けた。そこには今、到着したのか馬車が止まっている。

 来たのか、と思うと同時に廊下から早足が聞こえてきた。

 律儀に知らせに来てくれたのだろうエルデーンが扉を叩く前に、私は隊長室を後にした。


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