〈神託の破壊者〉、出撃

 ──瘴気が晴れてゆく。トゥルーヤを護衛していたガルテアが顔を上げた瞬間、その足元でトゥルーヤが意識を取り戻した。

「──ぷはっ!」

「あ、おはようございますトゥルーヤさん! なんとかなったみたいで──うわあっ!?」

 言い終わる前に、トゥルーヤはその場に大の字になって倒れた。その全身から滝のような汗が流れる。なんだか普段よりも目の下のクマが酷い気がする。

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫に見える……? 他人の精神世界じゃ亡霊たちの力もそんなに借りられないし、自前の霊力でどうにかするしかなかったんだよね……普通に相手が強くてボッコボコにもされたしさあ……。おまけに禁術の代償でしばらくは術式使えそうにないし、エンドフェイズ戦でもあんま役に立てないだろーなー。あーもう、全部終わったらヤケ食いして不貞寝するから」

「ああ、全部終わったらな」

 フェニックスも歩み寄ってきて、回復ポーションの蓋を開けて手渡した。「ん」とだけ応じ、半身を起こして一気飲みする。空き瓶を投げ返し、また仰向けに倒れ込む。

「あー。二人とも、ありがとね。護衛と援護」

「わ、私ほんとに護衛しかしてませんでしたよ!?」

「そう謙遜するな。だからこそトゥルーヤは本体の心配抜きでマーカー・メーカーとやり合えたんだ。誇っていいと思うぞ。……しかし、支援送ってたのバレてたか」

「バレるって……。でもまあ、助かったよ。感謝してる」


 そして、視線だけでアルミリアの方を向く。つられて二人も顔を上げた。


 晴れつつある瘴気の向こうで、アルミリアは立ち尽くしていた。

「……わたし、は」

 その身体から深紅の矢印がぼろぼろと落ちる。黒く塗りつぶされていた姿も、徐々に白く戻っていく。

「……、……。──」

 数秒呆然と虚空を見上げたと思えば、アルミリアは唐突に足元の杖を掴んだ。そのまま振り返り、大股でこちらに歩み寄る。それをセンサーの端で捉えたのか、ブッコロリンもメトスをハンマーで吹っ飛ばしてから駆け寄ってきた。


「……お前たち」

 団長は、仲間たちの前で足を止めた。その表情にはどこか痛みをかみ殺しているかのような色が浮かんでいる。彼女は目の前の仲間たちを見回し、そして頭を下げた。

「すまなかった。お前たちには迷惑をかけた。こうして負感情に飲まれて、ネガに堕ち、あまつさえお前たちにまで杖を上げた。……団長、失格だ」

「いや、俺たちは迷惑だなんて思ってなんかいないぞ。仲間を助けに行くのは当然のことだろ。……つかトゥルーヤ、お前精神世界で何言ってきたんだ」

「べっつにー? ただ、アルミリアがあんなに簡単に呪装刻印なんかに呑まれたのが気に入らなかっただけだよ。……まあでも、ちゃんと正気に戻ったみたいで安心した。さっきまでずっと呆けてたから流石の僕でも心配したんだよ?」

 軽口を叩くトゥルーヤだが、その表情には隠し切れない安堵が滲んでいた。あの時のアルミリアは終始混乱した様子だった。恐らく蘇ったアルミリア自身の部分とネガの部分とが彼女の中で交錯した結果、錯乱状態に陥っていたのだろう。フェニックスの術式により強化された言霊で存在定義をアルミリア側に引き戻し、マーカー・メーカーを倒して呪装刻印から解放されてしまえば、そこには既にネガでいる理由はない。そんな様子から全てを察したのか、ブッコロリンが一歩進み出た。

「大丈夫。ボクたちの団長はアルミリアさんしかいマセン。それにアルミリアさん、いつも言ってるじゃないデスか。罪は裁かなければならないが、その先のことは勝手に決めろ、って」

「……。そう、だな。なら勝手にさせてもらう、が……その前にすべきことがある」

 小さな手が、紅薔薇の杖を強く握る。

「犯した罪は裁かれなければならない。だが、貴様らにその意思はないようだ。ならばこの罪は、同様に呪詛に堕ちた存在ものを討ち果たすことで償おう」

 アルミリアは顔を上げ、振り返る。その視線の先には、未だ健在なる終演の砂時計。しばしそれを見据え、アルミリアは仲間たちを振り返る。

「……どうか、共に戦ってくれないだろうか?」

 その声にはどこか懇願にも似た響きがあった。それが彼女の意思だと理解し、まずフェニックスが微笑みを浮かべて頷く。

「ああ。勿論」

「聞かれるまでもなくない?」

「こちらこそお願いしマス!」

「あっ、私も勿論っ! お供しますっ!」

 それぞれに賛意を表明する仲間たちを見て、アルミリアはかすかに目を見開いた。その口元に小さく安堵の笑みが浮かぶ。そして彼女は振り返り、砂時計に向き直り。


 ──その行く先に巨大な黒い影が割って入った。

『行かせるものか』

「っ、邪念竜……!」

 ブッコロリンがハンマーを構える。かなり遠くまで吹っ飛ばしたつもりだったが、もう戻ってきたとは思わなかった。メトスは人間たちを見下ろし、黒金の翼を大きく広げる。まるで、人間たちの行く手を阻むように。

『様式美だと黙って見ていれば、何とも下らない……絆の勝利とでも言うつもりか? そんな三文芝居にも劣る一幕を見せて、一体何がしたい』

「いや別にお前に見せる意図はなかったんだけど。ってかそこどいて」

『断る。アレは、倒されると困る。としてその演目を全うし、我ら悪竜の糧となって散ってもらわなければ、困る。故に、お前たちは、ここで足止めする』

 その両腕が黒い瘴気を纏い、傭兵団に振り下ろされようとして──しかし、その動きが唐突に止まった。

『……陛下? いったい、何が……?』

 呆然と呟くその姿を見て、トゥルーヤは追加で脇差も抜いた。邪念竜が「陛下」と呼ぶ者は恐らく一人しかいない。悪竜王ハイネだ。警戒を強める傭兵団をよそに、メトスは恐らく念話と思しき声に耳を傾ける。

『……っ、承知いたしました。すぐに。……貴様らとの決着は、またいずれ』

 そう言い捨て、メトスの姿が掻き消える。空間転移術を使ってここから離脱したようだ。数秒の警戒を経て、戻ってくる気配がないと分かるとトゥルーヤはぼそり呟いた。

「……なんだったの今の……」

「さ、さあ……? 急用でしょうか……」

「悪竜王の下に向かったのだとしたら、何か事を起こす気なのデショウ……でも、ボクたちは今やるべきことをやりマショウ。兵軍には他にも実力ある勇士たちがたくさんいマスし、そちらの対処は任せた方がいいと判断しマス」

「そうだな。目の前に世界の危機が差し迫っている」

 さっさと頭を切り替え、〈神託の破壊者〉は終演の砂時計へと向き直る。上空から式神竜が降りてきて、乗れとばかりに身体を低くした。

 邪念竜は米津元帥と浄光竜、幻妖狐の手で討たれるが、それはまた別の御話。


「成すべきことを果たしに行くぞ。〈神託の破壊者〉、出撃だ!」


 世界滅亡まで残り二十分。

 ──感情戦線、最終局面。

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