呪詛を砕く言霊を

 打刀と絵筆が交錯する。首を狙う一閃が絵筆に阻まれ、弾かれ、カウンターの突きを間一髪でかわす。その勢いを殺さぬまま脇差を抜き、腹部に一閃。しかし、液状の身体には何の痛痒も与えられない。歯を食いしばった瞬間、絵筆の先がダークブルーの呪装刻印を描いた。トゥルーヤはそれを正面から堂々と受ける。しかし兄の加護を得た彼に、呪装刻印は効果をもたらさない。撥水加工でもされているかのようち、矢印は描いた端から絵の具の粒となって転がり落ちる。

 ──アルミリアの精神世界。どこまでも無限に続く灰色の世界で、トゥルーヤとマーカー・メーカーは打ち合っていた。状況はマーカー・メーカーに利がある。なにせ液状に流動する彼女には、あらゆる攻撃が効果を持たないのだ。そしてトゥルーヤの勝利条件は、この精神世界から彼女を追い出す、あるいはここでその命を奪うこと。

(って言っても、とことん隙がない……! 武器の扱いも達人クラスじゃん……正直舐めてたなぁ)

 もとよりトゥルーヤの一族は墓守の、死霊術師の一族だ。悪霊祓いの術の一環として剣術や武術の訓練も行われるが、専門ではない。杖術の達人たるマーカー・メーカーには敵わない。一瞬でも気を抜けばやられる。こういう相手には普通なら距離をとり弓で戦うものだが、アルミリアの精神世界には濃い瘴気が漂っていて見通しが悪い。そんな状況での下手な射撃は、逆にこちらの居場所を相手に知らせてしまうだけだろう。

(接近戦は分が悪い……けどッ、こうするしかないのがさぁ……!)


 必死に打開策を考える。絵筆の攻撃を躱し、いなし、受け止め、時に受けきれず直撃を喰らいながら。

 。一族では禁術とされる術だが、この際なりふり構ってなどいられない。問題はそれを確実に当てる術がないこと。

(相手は液状化できるわけだし、禁術がすり抜けたらその時点で詰み確定。それに発動までの隙が結構あるから、その間に連撃叩き込まれてこっちが倒れるのも避けたい……あぁもう!)

 脳天に打刀を振り下ろす。マーカー・メーカーは即座に全身を液状化させ、ぬるりと背後に回る。死角から放たれる突きを避けきれず、体勢を崩す。振り下ろされる二撃目を咄嗟に躱し、特に意味のない足払いを仕掛けながら体勢を立て直す。……と、その足が不意に慣れ親しんだ石畳の感触を伝えた。

「……帝国?」

 思わず呟く。先程までの曖昧な感覚とは確実に違う。〝黒き魔導帝国〟帝都の石畳だ。打刀を勢いよく振り抜き、マーカー・メーカーごと瘴気を斬る。すると、最早懐かしい景色が目を焼いた。黒い石壁に色鮮やかなステンドグラスが映える。尖った屋根の向こうには、氷柱つららを逆さまにしたかのような鋭利な尖塔が見えた。間違いない、〈神託の破壊者〉拠点の廃教会付近の景色だ。彼女の精神世界に帝国の景色が再現されているのだろうか。一瞬の思案の隙に、鳩尾に絵筆が鋭く食い込む。

「ぐっ……!?」

 思わず体勢を崩す。はずみで片手の脇差を取り落とす。間髪入れずに追撃が叩き込まれ、トゥルーヤはあえなくその場に倒れ込んだ。なんとか受け身だけは取れたが、マーカー・メーカーは淡々と、容赦なく追撃を加えてきた。硬い絵筆が容赦なく全身を打ち付ける。トゥルーヤは歯を食いしばりながら、反撃の機を窺っていた。

 彼女が動くたびに灰色の瘴気が掻き回される。ぼんやりと見えるのは、ところどころに黄色い花が飾られた教会と──塔の上に立つ、真っ黒に塗りつぶされた少女の影。

「っ!」

 脇差を咄嗟に掴み、振り抜く。マーカー・メーカーが当然のように身体を液状化させた隙に、彼はゆらりと立ち上がった。不意に彼の周りに緋色の羽根が現れ、旋回しはじめる。二枚、三枚と増えていくそれを見つめ、トゥルーヤは小さく微笑んだ。

 そして、尖塔を見上げて。


「──アルミリアっ!」

 人型に戻ったマーカー・メーカーが目を見開く。とうとう狂ったか、とでも言いたげな視線が刺さる。

「あのさぁ! 馬鹿なの!? 馬鹿じゃないの!? アルミリアが、〈神託の破壊者〉の団長がさぁ! こんな奴の矢印なんかに屈しやがって、ふざけんなよ馬鹿じゃないの!? アルミリアはそんな弱っちいリーダーじゃないと思ってたんだけど!?」

 声に霊力を込め、言霊と成して精神世界の主へと語りかける。アルミリアはもとより魂が不安定だ。一度ネガとして定義づけられた魂も、普通のネガよりは正気に戻せる可能性が高いだろう。それに──仲間として、その可能性だけは信じていたかった。

 黄色と黒、色違いの瞳が緩慢にトゥルーヤを見る。そんな彼女に、トゥルーヤは更なる霊力を、ついでに怒気も込めた声で語りかける。

「〈神託の破壊者〉ならさあ! 僕らの団長ならさあ! 抗ってみせろよ!! 旧き神の意思だけに突き動かされて、そんなものに、呪詛なんかに支配されて、何がネガだよ馬鹿馬鹿しいなぁ! 君は僕らの団長だろっ、〈神託の破壊者〉だろッ! アルミリアッ!!!」

 ──黒い影が、一瞬揺らいだような気がした。



 やれやれ、と言いたげにマーカー・メーカーは肩をすくめる。そんな言葉なんかでネガは救えない。欲が、呪詛が、負感情が、そんなに容易く洗い流されてたまるものか。なのに意味のないことに声を枯らして、全くもって理解不能だ。いい加減邪魔だし、終わりにしよう。呪装刻印は効かずとも、接近戦ならこちらに分がある。絵筆を握り締め、踏み込んだ瞬間。

「──きゃす

 ひび割れた声がしたかと思えば、絶対零度の冷気が液状の全身を突き刺した。

「……!?」

 マーカー・メーカーがぐるりと眼球を動かすのと、黒塗りの影が首をかしげるのはほぼ同時だった。人影自身、自分が何をしたのか理解できていないらしい。遥か下に向けられた杖の先端と、胸から下が凍りついたマーカー・メーカーを不思議そうに見比べる。その色違いの瞳が混乱の色を浮かべ、幾度も目を瞬かせる。

「……良かった。効いたね」

 トゥルーヤは思わず破顔し、尖塔の人影を見上げる。

「おーい! 戻ったらフェニのめちゃくちゃ長いお説教が待ってると思うんだけどさあ、それ終わったら僕からもいいー!? 言いたいことの十個や二十個くらいはあるからさー!」

 声を張り上げてはみるが、当の人影は未だに混乱を露にしたままだ。まあいいか、とトゥルーヤはマーカー・メーカーに向き直る。

「……、……、…………っ」

 マーカー・メーカーは必死にかぶりを振っていた。大方、このままでは終われないとでも思っているのだろう。だが、とトゥルーヤは静かに弓を引き抜く。

 終わってもらわなければ、困るのだ。


「我はキイズミを継ぐもの、幾万の亡霊を従えるもの」

 矢は番えずに弓を構え、低く詠唱を開始する。

「この力、禁じられし初代の御力、今ここに解き放たん」

 その手のなかに紫紺の鏑矢が現れる。暗い輝きを放つそれは、確かにマーカー・メーカーにその先端をていた。

「命あるものよ、ここに我が傀儡と成れ。その命、我に捧げよ、我が為に散らせ!」

 極限まで霊力を込めて弓を引き絞る。彼の周りを旋回していた緋色の羽根が一斉に背後に移動する。それはまるで孔雀の羽のように広がり、術者へと更なる力を与える。

「さあ、受け晒せッ、操傀ノ禁霊術──!」


 紫紺の矢が凍りついた胸に刺さる。その瞬間、マーカー・メーカーの全身が波打った。彼女は呆然とした様子のまま絵筆を掲げ、自らの凍った胴に突き刺す。その先が背中から突き出た瞬間、その上半身がばしゃりと崩れた。トゥルーヤは弓を下ろし、ただの水溜まりと化したマーカー・メーカーの側に跪いた。なんの意味も理由もなく黙祷を捧げる。

 ──そして、灰色の世界は溶けてゆく。

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