終演編 ~堕ちた怪物に届く想いを~
悪竜会議
──時は少し前に遡る。
『デストリエルの審問官』がホテルに密かに降り立ち、カノンに加護を与えた頃にまで。
「
地下遺跡の一角、悪竜たちの根城。悪趣味な装飾が施された一室に、悪竜王とその臣下たる二竜が顔を揃えていた。議題は勿論、
「『空虚』と『絶望』は討たれた……『悲哀』も浄化の女神の側に寝返った。『苦悶』、もとい『殲滅怪獣』は……万一人間に倒される可能性を考慮すると、別の手が欲しいな」
「それに、同じ遊戯を短期間で繰り返しても飽きてしまうからのう。地下遺跡のネガ共も同じ理由で使いとうない。日本とかいう異界の国に関しては、此度の役者とのシナジーが薄いしのう。折角ワシらの玩具として志願したのじゃから、それに見合う舞台を用意してやらねば」
「他の玩具ではゲストをおもてなしするには役不足ですし……あぁもう、せめてあの子狐だけでもいれば! 何ですのあの恩知らずは! 無駄に両目を輝かせて、勇気がどうの友情がこうのと! そんな蒙昧なうえに腹の足しにもならない感情をどうしてあんなにも尊ぶのでしょうね! 反吐が出ますわ!」
両の拳を握って怒りを露にするデイジー。実際のところ、先の戦いは悪竜たちにとってはそこまで面白い結末でもなかった。絆の力で神器を勝ち取る王道物語を、人間は望むだろうが悪竜が望むはずがない。おまけに有用な駒のひとつだった幻妖狐まで人間たちに奪われた。
そんな状況下でも遊び心を失わないのが、悪竜とかいう最悪の一族なのであった。
「となると……使うとしたらやはりアレかのう。客人にとっては極上のスリルが味わえる舞台になるじゃろうて」
ぽんっ、と悪意のエネルギーから砂時計を生成し、地図上のミナレットスカイに置く。
「終演の砂時計、ラストコール・エンドフェイズ。一度目覚めさせるとその瞬間、世界滅亡までのカウントダウンが始まる。此度の客人の中にはこれと同じ名を持つ怪物とやり合った者がいるらしいからのう、放っておいても舞台に上がってくるじゃろう。……だが、これだけではつまらなかろう? また友情・努力・勝利の三文芝居が繰り広げられかねん。故に、こうじゃ」
ぽんっ。次に生成されたのは人形遊びの小道具のような小さな絵筆。同じく生成したインク壺に筆先を浸し、ハイネは砂時計に矢印を描く。
「……これは」
まず反応したのはデイジーだった。彼女は先の神器争奪戦を仕掛けるにあたり、その姿を一瞬だけ目撃していた。絵筆を手にしたレインコート姿の少女を。その時はもっと遊び甲斐のある玩具がいくつもあったため手を出さなかったが、機会があれば使ってみたいと常々思っていたのだ。
「そう、『呪刻』のマーカー・メーカー。ワシら悪竜により増大した悪意の具象じゃ。あのピエロが産み出した化け物ではないが、存在の根幹そのものはネガと大して変わらぬ。して、このマーカー・メーカーは情念を持つ生物の心を闇に堕とし、ネガを強化する。このエンドフェイズはネガになれる」
「……!」
メトスが目を見開き、デイジーが興奮したように口元を押さえる。ハイネは悪辣に口元を歪めて笑う。それ以上は言うまでもなかった。世界滅亡の危機に、悪意を拡散する情念の怪物。悪竜垂涎の悲劇譚を紡ぐには、これ以上ない舞台装置が揃っている。しかし、とメトスは顔を上げた。
「失礼ながら申し上げます、我が王よ」
「許す」
「陛下の仰る通り、この舞台装置はリスクが大きすぎます。……ですが、この世界は、ここで滅ぼしてしまうには惜しい。故にこそ、我らはかの時空竜と一族を挙げた戦を行ったはずです」
「なんじゃ、メトスよ。いつも呆けているおぬしでも、ワシらが何者か忘れたとは言わせぬぞ。相手は情念の怪物。呪詛に堕ちたその情念ごと、悪竜の力で喰らい尽くしてしまえばよい」
ハイネは軽く言ってのけるが、相手は『終演』だ。世界を滅ぼすほどの情念を、悪竜王ならまだしも一介の上位竜種にすぎないメトスたちが果たして喰らいきれるのか。だが……と、気づいたメトスの背筋が歓喜に震えた。『終演』の情念を喰らい尽くせた暁には、悪竜はきっと更なる高みと至れる。即ち、もっと派手な悲劇でこの舞台を盛り立てられる──。
「さて、此度は世界の存亡すら揺るがす大舞台。本来ならワシが自ら手掛けたいところじゃが、生憎と忙しくてのう」
あからさまに肩をすくめ、ハイネはひとつ指を鳴らした。刹那、いくつもの画面が次々と空中に浮かび上がる。暴れ回るアースエンドを、『正義竜』に忠誠を誓う日本人たちを眺め、ハイネはメトスに視線をやった。その口元が悪辣な笑顔で歪む。
「メトスよ。おぬしもそろそろ退屈しているじゃろう? そろそろ派手に遊びとうないか?」
「あ、悪竜王様、私には期待できないと仰りますの!?」
「デイジーよ、その物言いは醜悪ゆえ改めよと言うておろうに。悪名高き
「……っ」
黙り込むデイジー。かと思えば、ハイネは即座に「ま、ただのワシの気まぐれじゃがな」と笑った。今一度視線を投げられ、メトスはおもむろに頷く。
「……我が王の仰せのままに。まずは、例の玩具を、入手して参ります」
「同行しますわ。
「構わぬ。演目はおぬしらに一任しよう、好きに舞台を盛り上げるがよい」
「御意に」
一礼して身を翻すメトスとデイジーを見送り、ハイネは盤上の砂時計を手に取る。まだ乾いていないインクが垂れ、柱の部分まで黒く染まっていく。
「……ククッ、やはりこの世界は娯楽に事欠くことがない。彼奴の言う通り、失うには惜しいのう」
だが、世界の存亡より娯楽を重視するのが、悪竜というどうしようもない一族だ。
「この世は舞台、
蝋燭の光に砂時計を透かし、軽く振る。ガラスの中で墨色の砂がさらさらと流れる。ハイネは砂時計を片手に持ったまま、両手を広げた。さらなる悲劇に胸を躍らせ、漆黒の瞳を期待に輝かせて。
「さぁ、次なる舞台の幕を上げよう! 此度の演目は『終演』と『呪刻』が織り成す呪詛と滅びの悲劇譚! 我が
朗々と口上を謳い上げ、悪竜王は砂時計を勢いよくひっくり返した。
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