『終演』、開演

「……っ」

 ずきん、と頭の奥が痛み、アルミリアは目を覚ました。時計を見ると時刻は4時30分。もう一眠りしてもいい時間だが、酷い頭痛で眠れそうもない。この症状には覚えがあった。精神攻撃を察知したときのそれだ。

(……何か、起きている気がする)

『旧き神』の力を受けし者の直感、だろうか。世界の存亡そのものを揺るがす存在が生まれようとしている。そんな気配がうっすらと感じられて、アルミリアは即座にベッドから飛び降りた。精神干渉軽減の飴を口に放り込み、手早く着替えを済ませる。その物音を竜種の鋭敏な感覚で拾ったのか、ガルテアが身体を起こす気配がした。

「あ、アルミリアさん……?」

「おはようございマス。何かあったんデスか?」

 次いでブッコロリンも起動し、問いかける。アルミリアは魔法の杖を掴み、言い放つ。

「異変の気配。ブッコロリン、共に情報収集に向かうぞ。ガルテア殿は他の団員たちを起こして伝えろ。緊急事態の可能性がある、と」

「き、緊急事態!?」

「そうだ。我々は式神竜と共に事情を探りに行く。此度は放っておくと世界の存亡に関わる危機だ。時間がない、急ぐぞ」

「っ、ハイ!」

「わかりました!」

 頷き、とりあえず近くのベッドにいたカノンを起こしにかかるガルテア。アルミリアはブッコロリンが隣に来るのを確認すると、転送魔法陣の詠唱を開始した。


 ◇◇◇


 すぐに全員叩き起こされ、ガルテアに事情を説明された。といっても、ガルテア本竜もほとんど何も聞いていないため「緊急事態」としか伝えられなかったのだが。

「ブッコロリンが向かったのか。なら今からでも事情はわかりそうだな」

「だねー」

 落ち着いているのは元々の〈神託の破壊者〉団員たち。訝しむ一同をよそに、フェニックスは徐に通信端末を取り出す。

「ブッコロリンが映像データをリアルタイムでこっちに送ってるはずだ」

「そうそう。これ見れば事情は大体わかると思うよ」

 フェニックスが端末を操作すると、彼の言葉通り画面にリアルタイム映像が映し出された。その映像を見た瞬間、雫が真っ先に息を呑む。

「こ、このは……!」

「うっわ、あの時の……って、雫今これのこと人って言った?」

「はっはい! 私、この方と戦ったことあるのでっ。でもなんでここに……?」

「いやなんでその時倒さなかったのさ!? 馬鹿なの!?」

「ひぃぃごめんなさいっ! で、でもあれは倒したっていうかなんていうか、えっと……」

 いまいち会話が噛み合わない雫とトゥルーヤ。苛立ったのか、霧矢が朝飯代わりのレーションを握り潰しながら怒鳴る。

「どうでもいいだろンなこたぁ! とにかく今はこのクソデカ砂時計をどうにかするのが先決だろ」

「その通り。瀬宮さんだったか? この砂時計について知ってるんだな?」

「はい。……『終演』ラストコール・エンドフェイズ。近づくもの全てを、それこそ重力すら『崩壊』させ、巨大な火球を手当たり次第に撒き散らし、最終的には世界すら滅ぼしてしまう……私が相対した時は競技だったので辛勝できましたが、まともに戦うとなるとかなり勝ち目が薄いと思います」

「うん。僕も巨人戦でチラッと見かけたけど、大体そんな感じだったよ。ガチで世界滅ぼしかねないくらいの力秘めてたのは遠目にもわかったし。でもさぁ」

 と、トゥルーヤはモニターを指差す。その先に映る砂時計には、絵の具で描いたようなが刻まれていた。

「あったっけ? あんな変な矢印。なんかバチクソ嫌な予感がするんだけど」

「えっと……少なくとも、『競技』の時はありませんでした」

「MDCで保有する資料にも報告されてないにゃん」

 タブレット端末を見ながらそう返すカノン。となると、とフェニックスは顎をさすりながら口を開く。

「あの矢印は外的要因により刻まれた、ということか? ブッコロリン、本体の情報は瀬宮が持ってるそうだ。お前はその矢印の解析を頼む」

『了解デ……うわあっ!?』

「どうした!?」

 映像が急に乱れた。ブッコロリンが攻撃を受けたらしい。何事かと全員が画面を食い入るように見つめる中、画面を徐々に灰色の瘴気が覆い始める。

「いやいや、嘘でしょ……?」

「八坂! 式神竜を!」

「はいにゃんっ!」

 フェニックスの声に、カノンは式神竜を呼ぼうとベランダに飛び出す。緊急事態エマージェンシーを告げるサイレンが鳴り響く中、灰色の瘴気の向こうから背の高い影が歩み寄ってくる。矢印が描かれた両翼を持つ、竜種の男が。


『……歓迎しよう、陛下の玩具に名乗り出し酔狂な人間。我が名は邪念竜メトス。悪竜王陛下のしもべだ』

 フロックコート姿の青年竜は、ブッコロリンのカメラの向こうへと優雅に一礼した。対し、苛立ちを隠さないままトゥルーヤが暴言を叩きつける。

竜王の手先が何の用? 悪いけどこっちはお前と遊んでる暇なんかないんだけど」

「おいトゥルーヤ!!」

『そう急くな。人間は、急いては事を仕損じるらしい。……せめて、此度の演目の内容くらいは伝えておきたい』

 メトスは画面の端へと身を滑らせ、手で瘴気の向こうを指し示す。丁度その瞬間──瘴気が晴れ、惨状がその全貌を表した。

『そんなっ!!』

「やられた……!」

「うっわ、最悪すぎるでしょ……!」

 傭兵団の面々が悲痛な、あるいは苦々しい声を上げる。メトスはあくまで無表情のまま、声だけは愉快そうに演目を読み上げた。

『──「終演よ、無為なる絶望を」』


 メトスが示す先で、のっぺりとした黒い人影が立ち上がる。

 その小さな身体には、深紅の矢印が、無数に絡みついていた。


 ◇◇◇


「や、やっぱり二人だけで向かわせるべきじゃありませんでしたね……うう、すみませんでした……」

「いや、ガルテアさんは悪くないだろ。むしろこうして傭兵団本隊を迅速に動かせたのはお前のおかげだ。……それに事前に打てたはずの対策を打てなかった俺にも責任がある」

「二人とも、終わったことを悔いても仕方ないにゃ! 今考えるべきは、あの悪竜とエンドフェイズをどうやって止めるかですにゃっ」

「オイ常務。『雪割』のガキ共の訓練は適当に手が空いてる部隊探してぶん投げとけって本隊に伝えといたが、これでいーのか?」

「にゃん! 霧矢くんグッジョブにゃ!」

「てかなんでカノンが仕切ってんの?」


 式神竜の背の上。トップスピードでミナレットスカイに向かいながら、一同は手際よく戦闘準備と作戦会議に入っていた。強風になびく長髪を整えながら、雫が真剣な目で切り出す。

「私に考えがあります。……かつて私が、彼女と戦った時。この天賦ギフトで彼女と繋がっていた私は、星が『崩壊』し、宇宙空間さえ死んでいく様を見届けました。逆に言うと、彼女と繋がっている間は身体が崩壊する心配はいりません。死ぬとしたら、その……世界が崩壊した後あたり、ですかね……?」

「つまり世界が崩壊する前にあの……エンドフェイズだっけ? そいつをぶっ壊せるなら、少なくとも雫は死ぬ心配はしなくていいってわけね」

「はい。……そして天賦ギフトの管をここにいる全員に繋ぎ、エンドフェイズさんの生命力の一部を循環させることで、その効果を全員に及ぼします。いうなれば……拡張天賦『円環サーキュレーション』、でしょうか?」

 はにかむ雫。……緊張と恐怖とプレッシャーで膝が笑って、今にも崩れ落ちそうだ。それは全員の命を彼女一人が握るに等しい提案。責任重大なうえ、雫にとっても初めての試み。成功するかどうかもわからないけれど、それ以外に方法はない。だから、下手くそな笑顔をつくって献策する。

「……ああ、異論はない。他に方法もないわけだしな」

「常務にゃんは大事な部下を信頼しますにゃ! お願いするにゃ、雫ちゃん」

「っ、はい!」

 怖くて不安で涙が零れそうになるけれど、ぐっとこらえて笑顔で頷く。弱気でいるわけにはいかない。作戦の柱を担うのはほかならぬ自分なのだから。


「さて、それじゃあ作戦の詳細を詰めていきましょうにゃ。エンドフェイズ本体を叩くのは常務にゃんたちMDC出向組、それに式神竜さんで行いますにゃ。相手には悪竜がいるにゃんし、そのうえブッコロリンちゃんの解析によると、あの矢印は無限に拡散するらしいにゃ。常務にゃんたちは天使の加護のおかげで精神攻撃が効かないにゃんから、邪魔を気にせず撃破対象との交戦に集中できるはずにゃ」

「おう」

「了解です」

「……異論なし」

 それぞれ端的に応じる社員たち。式神竜も頷くのを確認し、カノンは〈神託の破壊者〉のふたりに視線を向ける。

「フェニくん、トゥルーヤくん。君たち二人はアルミリアちゃんを助けてあげてくださいにゃ」

「……ああ。言われるまでもない」

「同上」

 いつも通りの言葉だが、その声には普段とは明らかに違う重みが宿っていた。彼ら二人は傭兵団〈神託の破壊者〉の中でも最古参の類。団長アルミリアと共に過ごした時間、受けた恩、紡いだ絆──全てが他のメンバーとは桁が違う。

「それに相手には竜種もいるにゃん。よりによって悪竜っぽいのが懸念点にゃんけど……ガルテアちゃん、対処の方お願いできるにゃ?」

「は、はい! 頑張ります!」

 頷くガルテア。彼女も〈神託の破壊者〉の一員として共に死線を潜ってきた。世界を守りたい、仲間の力になりたいという気持ちは、ガルテアの中にだってある。

 全員の心が決まったのを確認すると、カノンは改めて仲間たちを見回す。

「これは世界を守る戦いであり、団長を助けるための戦いにゃ。全員それぞれの役割に集中し、それぞれの為すべきことを全うするにゃっ!」

「応ッ!」


 ──世界終了まで、残り五十分。

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