VS慈愛の天使・リシュエル 5

 ステージに現れた白い少女を、子供たちは不思議そうに眺めていた。誰かの叫びを皮切りに、次々と子供たちの詰問が、懇願が輪唱のように響く。しかし少女は動じない。

 ガンッ──と、鈍い音を立てて杖が床を突く。静まり返った異空間を見渡し、アルミリアは言い放った。

「いつまで甘えているつもりか。いつまで、奴の都合のいい人形でいるつもりかッ!」


 無慈悲な言葉が、異空間にビリビリと響き渡った。一瞬呆然としていた子供たちだったが、不意に女の子の一人が怒鳴り声をあげる。

「お人形……って、なんでそんなこと言うの!?」

「事実ゆえ。貴様らの『母親』など、まやかしだ。奴の正体はこの世界に仇なす異界の使者。貴様らを甘やかしていたこととて、この世界を支配するための方略に過ぎん」

「嘘だよ! だってママは僕たちを、受け入れてくれて……」

「信じられないというのなら──これを見よ」

 カァン、と再び杖が床を突いた。同時にステージのバックスクリーンに、ブッコロリンが見ている戦場が映し出される。

 そこに、映っていたのは。


 ◇◇◇


「ブッコロリン、現着しマシタ……って、えーと……?」


 ──現着したブッコロリンが目にしたのは、その天使を踏んづける真冬の姿だった。思考回路がショートした様子のブッコロリンを、真冬はリシュエルの頭を踏み潰しながら一瞥する。

「……お前のことも、常務から聞いた。これを倒す。協力して」

「ハイ……って、トゥルーヤさんは……?」

「それっぽい奴、なら……死にかけてたから、向こうに放り投げといた。いまごろ、常務が、回収してると思う」

「あ、ハイ……」

 若干、というかかなり引いた様子のブッコロリンだが、目的が同じであるのなら協力しない理由はない。ハンマーを構え、真冬に蹴り上げられ宙に浮いたリシュエルを狙って大きく振りかぶった。リシュエルが落ちてくるタイミングを見切り、全力で振り切る。吹き飛ばされたリシュエルは泥まみれの翼を羽ばたかせて着地するが、そこに見計らったかのように水のブレスが浴びせられる。それを耐え切れば今度はブッコロリンが遠隔操作するハンマーと、真冬の拳が襲ってくる。その両方を腕で受け止め、リシュエルは困り果てたように問いかけた。


「……どうして止めるのですか? 人間はずっと子供でいれば、悪い子にならなくて済むのに。悪い子がいなければ人間は誰も傷つかずに、悲しまずにいられるのに」

「……だから人々を幼児退行させ、大人にさせないようにしているのデスか?」

「ええ、その通りですよ。私はすべての人間を心から愛していますもの。悪い大人の下で育てられて、愛情を得られなかった子供たちを私が愛してあげるんです。それが私の使命。ずっとずぅっと、純粋な純白な子供のまま、すべての人間を幸せなままでいさせてあげるのです」

「……理解不能」

 呆れたように言い放ち、真冬はリシュエルの腹部に拳を突き刺した。ここにきてようやくリシュエルの表情が僅かに苦悶に歪む。ぶっころハンマーを遠隔操作しながら、ブッコロリンはリシュエルに語りかける。

「……ボクは人間じゃありマセン。でも、人間の可能性はいつも間近で見てきマシタ」

「……可能性?」

「天使さんのおっしゃる通り、人間は変わるものデス。勿論悪者にもなりえマスが、逆に悪い人だって、いくらでも改心できマス。おかした罪を反省し、いい方に向かうことができマス。──こんな風に!」

 ハンマーがリシュエルの顎を下から殴りつける。同時に、リシュエルの背に矢が刺さる。はっと顔を上げると、真冬が開いたワープゲートの向こうで、七体の亡霊兵が弓を構えていた。そして、その背後には。

「──あなた、は」

「いやぁマジで終わったかと思ったよね。カノンが駆けつけてくれて助かったよ。んでそこの追加戦力ちゃんはさ、もうちょっとお手柔らかにできなかったの? 天使のハグより君にぶん投げられた方が命の危機だったんだけどね」

「……助けられた、分際で、文句言うな」

「うっわド正論」

 無慈悲に言い放つ真冬に、トゥルーヤはワープゲートの向こうで肩をすくめる。まだ本調子ではないのか、トゥルーヤはカノンに支えられながら印を組んでいた。亡霊兵が弓を番える音がキリキリと響く中、トゥルーヤは先程と一切変わらぬ不遜な顔で問いかけた。

「まぁいいや。じゃあそこの天使さんに問題ね。なんで僕は天使の精神汚染への影響が比較的軽微な状態で済んだと思う?」

「……」

 リシュエルは微笑みを崩さないまま、黙り込む。……まだ屈服していなかったのなら、あのワープゲートを通って抱きしめに行かなければ。しかしゲートが狭すぎて、やたらと豊満な身体のリシュエルには到底通れそうにない。飛んで捕まえに行こうにも、聖母領域が消滅した今では白い娘と緑の娘だけでなく、上空の竜まで妨害に来る可能性がある。ならば──と考えているうちに、トゥルーヤが両手を広げて口を開いた。


「はい時間切れー。正解は兄の霊の加護でした。細かいことは省くけど、実家で色々あってね。僕への嫉妬に狂った兄は自らの肉体を犠牲にし、僕に呪詛をかけた。僕はその呪いで発狂して、それはもう多くの人間を手にかけた。この亡霊兵も、その成れの果てさ。で、その僕を討伐しに来た傭兵が、発足したばかりの〈神託の破壊者〉だったわけ。まぁえらい色々あったけどさ、こうして僕は無事に呪詛から解放された。兄とも和解できて、今はこうして手を貸してくれる間柄なんだ。で、何が言いたいかっていうと──」

 そこまで語り、トゥルーヤは指を真っ直ぐに天使へと伸ばす。

「死んだ人間が改心できるのに、生きた人間が改心できない道理ってないよね? で、君は人間から改心の機会──言い換えれば成長の機会すら奪おうってわけなんだよね? いやぁ、本当の意味で人間を愛してる天使の所業じゃないなー」

 煽るように言い放つトゥルーヤ。その言葉に、リシュエルは跳んだ。真冬が咄嗟に生み出した空気の壁を間一髪で避け、降り注ぐ炎のブレスを掻い潜り、トゥルーヤたちがいる方向を魔力で探りながら駆ける。

「人間は、成長したら皆悪い子になってしまう──私が見てきた世界は、どこもそうでした。一度悪い子になってしまったら、いい子には戻るのは容易ではありません。万が一戻れても、後悔に苛まれる未来しかありません! ならばずっと子供のままでいられれば、それこそが幸せでしょう──」

縛鎖レッド!」

 カノンが叫ぶ。じゃらりと音がしたかと思えば、両腕両脚に胴体に首、六か所を鎖で縛りつけられる。はっとして見回すと、周囲には真冬が造った空気の壁がいくつも存在していた。鎖の反対側はそこに絡みついている。

「道を踏み外して、後悔して、苦しんで、それでも願いに手を伸ばすのが人間って生き物ですにゃ! 後悔しないと生まれない願いだってあるにゃ……そして常務にゃんは、そこから生まれた望みだって尊いと思いますにゃ。後悔の先で自分の手で掴んだ幸せは、与えられただけの幸せよりもずっと尊いと! 常務にゃんは思いますにゃ!」

 ゲノムドーサーに手を伸ばす。展開するのは『武器庫』。ひとつ、またひとつと、大砲がリシュエルを取り囲んでゆく。

 この天賦ギフトを持つ青年は、罪と後悔と『選択』の末にひとつの決意をした。その結果はまだわからないけれど……少なくともカノンは、佳い未来が待っていると信じたかった。

「それさえ奪って、勝手な『幸せ』を押し付けるなんて──常務にゃんは許しませんにゃあああ!!」

『縛鎖』を解除すると同時に、トゥルーヤが再び“金縛ノ霊呪”を発動する。無数の砲口がリシュエルを睨み──耳をつんざくほどの発砲音と共に、数多の砲弾がリシュエルへと解き放たれた。


 ◇◇◇ 


「──理解したか? 貴様らは甘えているだけだ。それも、天使の身勝手な愛に。奴は貴様らに停滞しか与えない。そのままでは未来も救いもない」


 異空間のライブ会場は、いつの間にか静まり返っていた。

 自分たちを愛していた母が追い詰められている。それだけでも子供たちには十分すぎるほどにショックだっただろう。声も出せずに泣いている子供も、泣くことすらできず蒼白となっている子供もちらほらいた。だが、少年少女は──アルミリアはお構いなしに耳の痛い言葉を叩きつけてくる。

「……おかあさん、は」

 不意に、誰かが消え入りそうな声で呟いた。

「両親が夜逃げして、親戚にたらい回しにされてた俺を」

「ブラック企業で搾りかすになるまで働かされてた私を」

「毎日いじめられて、屋上から飛び降りるくらい苦しかった僕を」

「たすけてくれて、あいしてくれて……それだけでよかった、のに」

 呆然と、あるいは考えを整理するように。口々に呟く子供たちを睥睨し、アルミリアは今一度力強く、杖で床を突いた。子供たちの視線が集中する中、アルミリアはゆっくりと語り出す。


「……どうやら貴様らも、どん底に落ちた末にここにいるようだな」

 彼女の主を思い出す。力を失ってなお、世界のために力を振り絞った『旧き神』を。『旧き神』がそこまでしたのは創造神としての自負故か、理想の世界をつくるという願い故か、はたまた自ら創った世界への愛着故か。きっとその全てが、あの世界のためにその力を振り絞る理由なのだろう。

「不幸の、悲嘆の、絶望の底で、安らぎを得たい時もあろう。逃げたい時もあろう。だが……残念だが、その安らぎの時も終わりだ」

 スクリーンにはまだ戦場の景色が映っている。亡霊兵の矢が、降り注ぐブレスが、少女の拳撃が、そしてハンマーが、動けないリシュエルに次々と浴びせられる。それを見た子供の一人が、必死に涙をこらえながら呟いた。

「……ママとは、もう会えないの?」

「そうだ」

「やだ……また、あんなつらい時に戻りたくない……」

「ならば、貴様らの手で安寧を掴め」

「できないよ……元の世界でも、この世界でも、なにもできなかったもん! ママがいてくれたから幸せだったのに、そのママもいなくなったら──」

「甘ったれるなッ!!」

 ガァンッ!! と、激しい音を立てて杖が床を突いた。はっとして顔を上げる子供たちを睥睨し、アルミリアは声を上げた。

「そうやって『自分にはなにもできない』と決めつけて、斯様な天使のもとで停滞を享受して、それで貴様らは少しでも変われたか? どん底に落ちたその時と比べて、どう変わった!」

「……、っ」

 ある子供は唇を噛み、ある子供は膝の上で拳を握りしめる。少しずつ彼らの瞳に光が宿り始めていることに、アルミリアは気づいていた。故に杖を掲げ、宣言する。

「貴様らが心から停滞を望むなら、それもよかろう。だが変わりたいと願うなら、我々はそのお膳立てくらいはできる。辛苦の日々に戻りたくないというのなら、変わりたいと願うのならば、立て! それを意思表示と見做し、貴様らを導こう!」


 ひとり、またひとり。子供たちが震える脚で立ち上がっていく。

 リシュエルの身体がぐらりと傾き、スクリーンが暗転する頃には、座り込んでいる子供はもう一人もいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る