VS慈愛の天使・リシュエル 4
「なんだ、あの人は……? 八坂、もしかしてお前の仲間か?」
「ですにゃ! その中でもいっちばん強い子に来てもらったにゃんっ。……でも、まさかこのタイミングで来るとは思ってなかったですにゃ」
想定よりだいぶ早かったどころか、ピンポイントで救援に来てくれるとは。ただの人間では束になろうと敵わない相手だが、彼女の現着により状況は大きく好転したといっても過言ではない。
「……あとでお礼言わなきゃにゃん」
思い出すのは彼女らの社長と、白い喪服姿の『審問官』。きっと彼女らの計らいなのだろう、とカノンは小さく微笑みを零す。だが、いつまでもほっこりしてはいられない。すん、と表情を消し、カノンは真下のリ号に語りかける。
「リ号にゃん、今度はあの子のサポートに徹してほしいにゃ。タイミング合わせていい感じにブレス撃ってほしいにゃ! フェニくん、リ号にゃんの指揮お願いしていいにゃ?」
「お、おう……って、八坂はどうするんだ」
「トゥルーヤくんの救助にゃんっ!」
「お、おい待て!」
フェニックスの制止も聞かず、カノンは
「……もう即興でやるしかないみたいだな。リ号さん、やるぞ」
静かな声と共に、リ号の全身に緋色の羽根が纏わりつく。彼の体の下で、リ号は重々しく頷いた。
◇◇◇
鋭い風切り音が空気を裂く。刃と化した天使の翼がリシュエルを切り裂き、突き刺し、打ち据える。常人にはその動きを視界に捉えることすらできないほどの高速攻撃。しかも、その一つ一つに相当なパワーが乗っていた。少女の細腕からは想像もできないほどの重さの攻撃が、リシュエルに次々と浴びせられる。
(手ごたえは──ある。傷が、表に出ない、だけ)
ならば、今武器にしている翼が欠けずに生えているように見えるだけなのも理解できる。考えながらも攻撃の手は止めない。隙あらば抱き着こうとする腕を薙ぎ払いながら、彼女は無意識に微笑んでいた。
(──たの、しい)
元の世界にはまず存在しなかった人外。姉妹たる人型兵器『雪月花』を除けば、彼女に比肩しうる強者はあの世界にはいなかった。退屈していなかった、といえば嘘になる。故に、こうして全力で暴れ回れるのは──人型兵器に本能があるとすれば、きっとそれが今、満たされているのだろう。
「……わるく、ないッ」
そう呟き、腹を狙って蹴りを入れる。蹴り飛ばされたリシュエルは、しかし翼を広げて空中で体勢を立て直した。そのまま空中から真冬に襲い掛かろうとして──
「今だ、リ号ッ!」
「──ッ!」
降り注ぐ土石流が太陽を覆い隠す。避けることするリシュエルの胸倉を掴み、真冬はブレス着弾とタイミングを合わせて投げ飛ばした。そうなればもう回避は能わず、圧倒的な質量がリシュエルを圧し潰す。不意に真冬の瞳が緩慢に式神竜を捉え、すぐにまたリシュエルに視線を戻した。泥だらけで土石流の塊から這い出ながら、リシュエルはまだ聖母のような微笑みを保っていた。
「……ほんとに、ほんとうに、どうしようもないくらいに悪い子ですね──さぁ、何度でもいらっしゃい。その姿と同じように、心まで純白に純粋にしてあげますからね──」
「……あたおか」
吐き捨てながら、真冬はそっと背後の泥の塊を指差した。飛びかかろうとするリシュエルの背後で泥の山が震え、崩れ、再び彼女に──否、その翼に纏わりつく。
「っ!」
咄嗟にさにリシュエルは跳んだ。直後に始まる泥山の崩壊を間一髪で免れる。しかしその柔らかな翼には既に泥が染み込んでいた。真冬がその翼を指差すと、重い液体状だった泥が固着し、更に重みを増す。機動力の削がれたリシュエルに、更に追撃の土石流のブレスが浴びせられる。しかし天使も同じ手は喰らうまい、と跳んだ。平原の地面が削れ、土が飛ぶ。
飛びかかるリシュエルと、両手の剣で受ける真冬。常人なら目で追うことすらできない攻防が繰り広げられる。空気を硬質化させた壁に阻まれ、その隙に水のブレスを浴びせられ、隙あらば鋭い斬撃を浴びせられながら、それでも天使は止まらない。
「もう──お母さんに『いいこいいこ』してもらうの、そんなに嫌ですか?」
「要らない、し、お前は親じゃない」
「しくしく……そんな酷いことを言われたら、お母さん泣いちゃいます……」
「あたおか……」
呟き、真冬は両手の剣をぶん投げる。適当に放られただけに見える一撃が天使の両肩に突き刺さる。飛び退り、空いた両手を組んだ瞬間──真冬の虚ろな瞳が、両手を広げて襲い掛かる天使を捉える。
その両腕が真冬を捉え。華奢な身体が、優しく地に押し倒された。
「つーかまーえ、た」
リシュエルは笑う。あくまで慈愛に満ちた顔で真冬を見下ろす。いっそ恐ろしいほど、狂気すら感じるほど、愛情だけで構成された笑顔。それを真冬は、ただ興味なさげに眺めていた。
「さぁ、あなたも『良い子』になりましょうねぇ?」
やたらと豊満な身体に抱きしめられても、真冬は微塵も動じない。ただ、虚ろな瞳で感情にリシュエルを見つめている。リ号の上でフェニックスが冷や汗をかき、トゥルーヤに『施療』を施しながらカノンが唇を噛む。
──だが、いつまで経っても少女の姿は変わらない。たっぷり三十秒が経っても何も変わらない。リシュエルの頬を汗が伝い、形の良い唇が震える声を吐き出す。
「……あらぁ? どういうこと、かしら?」
流石に困惑するリシュエル。不意にその胸元から、かさり、と何かが触れる音がした。咄嗟に飛び退るリシュエルと同時に真冬も脚の力だけで跳び上がり、空中から踵落としをお見舞いする。そのまま頭を踏みつける真冬を、リシュエルは瞳の動きだけで見上げた。冷淡な瞳でこちらを見下ろす彼女の片手には、一本の幣が。
「──それは」
「……手応え、変わった」
無表情のまま、淡々と呟く。幣を放り投げて消滅させ、もう一度天使の頭を踏みつける。
華奢な脚でリシュエルの頭を踏みつけるたび、骨が軋む音が耳障りに響く。執拗に天使を踏みつけながら、真冬は興味なさげに呟いた。
「……期待外れ」
「……なん、ですって?」
ぴくり、と反応したリシュエルの頭をもう一度踏みつける。
「天使って言うから、どんなのかと期待したら──私が、五歳だとも、気づけなかった、人間並の、知覚器官しか、ないとか……失望した」
機械的な動作で側頭部を踏みつける。少女の華奢な脚からは到底想像も出来ないような剛力で執拗に頭蓋を踏み砕く。しかしそんなことより、リシュエルは真冬の言葉のほうに動揺していた。
「……五歳、って。そんな幼い子が、そんな悪い子のはずが──」
「お前のことは常務から聞いてる。……私は
淡々と丁寧に説明され、改めて頭を踏みつけられる。リシュエルの笑顔がその一瞬、崩れた。唇を真一文字に引き結び、瞳が爛々と見開かれる。
リシュエルの「退行抱擁」は、対象を抱きしめることでまず思考を、次に肉体を幼児退行させる恐ろしい能力だ。だが、真冬にはどちらにも退行する要素がない。そしてリシュエルがそんな相手が現れるなど、想定しているはずもない。
──天敵。そう言って過言ではないほど、相性の悪い相手だった。
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