VS慈愛の天使・リシュエル 2

 ガルテアが援護天使を拘束し、ブッコロリンが着々と子供たちの保護を進めていた頃。

 ──トゥルーヤは全力でドン引きしていた。


「さぁ、おいでなさい。愛しい我が子よ」

「何この天使頭沸いてんじゃない!?」

 ベルの音を響かせながら優しく手を伸ばすリシュエル。その指先がトゥルーヤを掴む寸前、咄嗟に両手に持った刀でガードする。刃がリシュエルの肌に食い込むが、手応えはほとんどない。まるで分厚いゴムに刃を埋めたかのようだ。

「うっわ、思ったよりしぶとっ!? てか傷すらつかないとか硬すぎるっていうかなんなの!? ふざけてるの!?」

 何度でも抱き締めようと伸びてくる腕を、トゥルーヤは怒鳴り散らしながら二刀流で捌きまくる。優しげな微笑みと所作とは裏腹に、リシュエルの腕は容赦なく彼を捕えようとしてくる。その妙に激しい動きに領域内の精神汚染の影響が加われば、さすがのトゥルーヤも防戦一方にならざるをえなかった。

 トゥルーヤは兄の亡霊の加護により、あらゆる精神汚染に対して高い耐性を持っている。しかし相手は人の域を越えた存在だ。いくら兄が呪詛による精神汚染に長けた術師であっても、それだけでは足りないほど天使の権能は暴力的すぎた。この場にいるだけで闘争心が薄れ、リシュエルの圧倒的な母性に屈服させられそうになる。

 故にトゥルーヤは、ひたすらドン引くことで己を鼓舞していた。

「マジで! キショいんだけど! 何なの!? マジで理解に苦しむっていうか、その、何なの!?」

「もう、お母さんにそんな口を利くものじゃありませんよ。すぐににしてあげますからねえ」

「別に頼んでないんだけど!」

 迫り来る腕を刀で弾き、トゥルーヤは歯を食い縛った。自分が陥落したらその瞬間、作戦は瓦解する。だからひたすら耐え抜くしかない。

「人間は成長すると、みぃんなみぃんな悪い子になっちゃうんですもの。純粋無垢な子供のままでいられれば誰も悪いことなんてしないでしょう?」

「暴論が過ぎるっていうか君人間のこと何だと思ってるのさ!?」

「ふふふ、私のかわいい子供たちです♡」

「きっっっしょ!!」

 叫び、両手の刀でリシュエルを突き飛ばす。その勢いのまま距離を取った瞬間、上空から火炎放射が降り注いだ。

「……ッ?」

 半身を炎に焼かれながら、リシュエルは弾かれたように顔を上げた。遥か上空、聖母領域の外側。全身に死斑が浮かんだ青白い竜の姿を、リシュエルの瞳は捉えた。火炎が直撃している祝福のベルをもう片方の手に持ち替え、りん、と高い音を響かせる。

「あらあら、可哀想に……ドラゴンさん、あなたもこの悪い子に利用されてしまっているのですね。この子を良い子にしてあげたら、あなたのことも──ッ」

 言葉が、途中で止まる。天使の全身が不可視の縄で縛られたかのように硬直する。言葉を紡ぐことすらままならない様子のリシュエルに、リ号は容赦なく

「──、はっ」

 両手で印を組んだまま、トゥルーヤは小さく笑みを吐き出す。

 リシュエルの全身には禍々しいオーラのようなものが絡みつき、その動きに枷をかけていた。リ号がリシュエルの意識を引き付けている間に最速で発動した“金縛カナシバリノ霊呪”。強い恨みを持つ霊を敵に憑かせ、動きを止める呪詛の術。自身の霊力まで使って強化したそれを用いても、天使の動きは十秒と止められないだろう。だが、それだけあれば十分だ。

 フェニックスにより大幅強化されたリ号のブレスが、ベルを焼き払うには。


 特大の熱量を込めた炎がリシュエルの杖に直撃する。いくら天使の扱う道具だとしても、フェニックス渾身の強化術を受けたリ号のブレスには耐えられない。あまりの熱量に金色のベルが溶けていく。トゥルーヤはその熱量をすぐ近くで浴びながら、ベルが溶けていくさまをじっと見つめていた。

「……ったく。ほんと、天使って奴らはしぶとすぎて嫌になるね」

 頬を伝う汗を拭うこともせず、トゥルーヤはひたすら術式の維持に全神経を集中する。その青白い肌にどっと汗が浮かぶのは炎熱のせいだけではなく、術式維持の負担も大きい。大天使の魂を直接降ろした前回よりはマシだが、それでも上位存在の動きを止めるのは尋常ではない力が要る。おそらく同じ手を二度は使えない。

『こちらフェニックス。ブッコロリンの方はそろそろ終わるみたいだ。もう少し天使を引き付けて、合流次第攻勢に移ってくれ』

 フェニックスからの通信には頷きだけを返す。祝福のベルが完全に溶け切り、ブレスが止むと同時、トゥルーヤも結んでいた印を解いた。金縛りの反動で脱力するリシュエルに近づき、あえて挑発するように両腕を広げてみせる。

「あっはは! ねえ、天使ってそんなもん? てか母親ってそんなもん?」

「……はい?」

「だってそうじゃん。たかが人間の死霊術師わるもの一人にかまけて愛し子をひとりも助けられない母親天使とか、とんだお笑い草じゃん。人間社会に持ち帰って永遠の笑い話にしてあげたいくらいだよ。そりゃあそうだよねえ。こんな洗脳まがいのやり方で『私がママですよ~』なんてやられても冷めるだけっていうかさ、僕がこうして死霊を操ってるのと大差なくない? それで僕に操られてる屍竜見て『可哀想に……』とか言われても完膚なきまでにブーメランだし? 天使だなんだって言っても結局は母を名乗る不審者だし? まあ何が言いたいかっていうと」

 刃が滑る音を立てながら抜刀し、その切っ先を天使の鼻先に突きつける。

「──お前のソレはただのにすぎない。本物の母親ってのは、子供に成長を促してこそ、らしいよ?」


 沈黙が落ちた。

 リシュエルの表情が消えるのを、トゥルーヤは挑発的な笑みを崩さずに見ていた。そりゃあそうだろう。自らの崇高な所業をボロクソにこき下ろされて、多少なりとも怒らないはずがない。それも下等生物に言われたのなら尚更だ。

 嘲笑を吐き出しつつ、トゥルーヤは刀を握り直す。挑発が効いたのはいいが、実際のところ体力的にも魔力面でもかなり消耗している。正直ブッコロリンと合流したらしばらく前線を任せて回復に専念したいくらいだ。せめてそれまでは耐えなければ。内心気合を入れ直すトゥルーヤの視線の先で、リシュエルは頬に手を当ててため息を吐いた。

「……困りましたねえ。まさかこんなに反抗期を拗らせているだなんて」

「えぇ……えっと、僕の話何割くらい聞いてた?」

 拍子抜けしたように問い返すトゥルーヤ。心なしかリシュエルの纏う雰囲気が変わった気がする。暴力的とまでいえる母性がオーラと化して膨らみ、聖母領域の濃度が更に上昇する。歯を食いしばり、トゥルーヤは思わず一歩下がった。

「ここは……お母さんも、少し本気を出しちゃいましょうか」

 あくまで優しく微笑み、リシュエルは強く、強く踏み込む。

 ──更なる次元での攻防が始まろうとしていた。

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