VS秩序の天使・ベルサリエル 3

「第六条、無知無学でいてはならない。第七条、勤勉でなければならない」

 下がる。まだ下がる。

「第八条、嘘をついてはならない。第九条、必要以上に富をため込んではならない」

 ベルサリエルは勘付いていた。彼らがから……即ち、彼女が信奉する秩序と質素とは、それこそ真反対の場所から来たということに。故に第六条、第七条、第九条に違反する。そうベルサリエルは判断した。

 これで能力低下率はカノンが七割。フェニックスは「絶対的な法秩序」の仕組みを見抜いたためか第六条が免除され、五割。ブッコロリンは機械知性アンドロイドのため影響無し。他の団員たちは六割の能力値減少を食らっている。こちらの攻撃は通りにくくなり、傷ばかりが増えていく。ブッコロリン以外はカノンの『施療』でいくらでも全快できるとはいえ、防戦一方に傾いているのは変わらない。

 まずい、とフェニックスは唇を噛んだ。完全に戦闘の主導権を向こうに握られてしまっている。ここから打開できる手札があるとしても、勝てる保証がないものやかなりのデメリットを背負うものばかりだ。

 不意に聞き慣れた電子音が耳を打つ。ポケットから魔導端末を取り出すと、ブッコロリンからメッセージが送られてきていた。ベルサリエルの詳細な能力、ならびに機動審判所の全武装の解析が完了したらしい。天使を執拗に殴りつけながら情報を解析し、フェニックスに送信するまでの処理をバックグラウンドで遂行していたようだ。ついでに神性特攻まで獲得してしまっている。

「流石は魔導省長官が手ずから拵えた魔導アンドロイドだな、っと!」

 こちらに飛んできたビームをバックラーで弾き飛ばしつつ、フェニックスは文面に目を通す。……ベルサリエルは当然、デバフ以外にも手札を持っている。異界の女神の加護によるダメージの大幅減少、ならびに特殊な雷攻撃。審判所の武装についてはビーム攻撃の他にも、あの巨大魔法陣から放たれる破壊光線があるようだ。ブッコロリンの試算によると、一撃で山一つ吹き飛ばせるという。雷や破壊光線をまだ使っていないのは、十中八九人間側を舐めているからだろう。仕掛けるなら今のうちだ。


「十、他の神を崇拝してはならない。──以上が『絶対的な法秩序』」

 第十の法に該当する者はこの場にはいない。カノンも高天原たかまがはらゆいの部下といえど本人はデストリエルの信者ではないし、他の傭兵団の面々にも残念ながら信じる神はない。

 軽く片手を持ち上げ、背後の魔法陣を起動する。直径50mにも及ぶ巨大な魔法陣が純白の光を灯す。

 ベルサリエルはそろそろうんざりしていた。周囲を跳ね回るアンドロイドの攻撃は先程から妙に激化してきたし、ビームを放つ球体も半分近くが落とされた。さんざん罪を重ねておいて、まだ抵抗できるとは。

 だが、それももう終わりにしよう。

 掲げた手の人差し指を伸ばすと、何かを察知したブッコロリンが飛び退る。

「処刑の準備は整いました。ここで終わりです」

「来るぞ! 総員八坂のところに集ま──ッ」

 フェニックスの言葉は低く轟く雷鳴に掻き消された。に"ぃっ、と猫を轢き潰したかのような悲鳴が上がる。

「くっそ、遅かったか……!」

 呟き、フェニックスは十枚ほど羽根を毟りながら駆け出す。

 裁きの雷光。ただでさえそこそこの威力があるうえに、「罪」の数だけ威力が倍増する雷攻撃。よりによって反魔アンチマギアの発動準備の隙に浴びせられたそれの威力は──128倍。

 倒れ伏すカノンをガルテアが支え、とっさに脈と呼吸を確認する。その顔が徐々に青ざめていき、焦ったように口を開いた。

「……し、心肺停止しています! どうすれば……」

「ガルテアさんこれ使え!」

「は、はいっ!」

 念のために持っていた回復薬を数本投げ渡し、フェニックスはベルサリエルの──否、その背後の魔法陣の前に立ち塞がる。この手で防ぎ切れたとしても、フェニックス自身の魔力は底をつくだろう。だが──次の一手に繋げればそれでいい。覚悟を決め、震蛇竜の円盾を構え、先程むしり取った羽根を前方に放る。

「この秩序の天使に手ずから処されること、光栄に思いなさい」

 ベルサリエルが腕を振り下ろすとともに、純白の破壊光線がその場を覆い尽くした。


 ◇◇◇


 高を括っていた。

 ビームで倒すには邪魔な能力が多すぎる。そのうえ、唯一「10の法律」の対象にならないあの機械人形はそこそこダメージを通してくる。下等生物とその被造物のくせに無駄にしぶといし、しつこい。急く必要こそないが、こんな下等生物如きに苦戦させられては天使としての沽券こけんにかかわる。

 あの猫耳の小娘。最も多くの罪を背負っているくせに、武器をび結界を生み出し光線を消し傷を癒し転移すら駆り、幾つもの技で不遜にも天使を翻弄する小娘。最も厄介で、かつ最も優先して処刑すべき小娘。コレさえ潰せば、残りは破壊光線で片がつく。ベルサリエルはそう判断していた。


 眩い純白の光が晴れる。そこにはベルサリエル以外誰もいない、見慣れた審判所があるだけ──そのはずだったのに。

「……なん、ですって」

 破壊光線の魔法陣を凌ぐほど巨大な結界。鈍色の竜と、緋色の片翼を模した紋様が光を放つ。

「まさか、こんなに早く役に立つとはな」

 バックラーを軽く振り、フェニックスは不敵に笑った。額に浮かんだ脂汗を拭い、深く息をつく。それはかの震蛇竜の鱗を使った防具。魔力を込めることで、フェニックスの扱う結界の強度を震蛇竜の鱗と同等にまで引き上げる。そして、その震蛇竜の鱗の強度は。いくら山一つ吹き飛ばせる破壊光線であろうと、これを破ることは能わない。当然フェニックスも、その背後に退避していたガルテアやアルミリア、ブッコロリンも無事だ。それを確かめ、フェニックスは手を握っては開いて感覚を確かめる。バックラーを装着した手に若干の痺れがあった。

「……悪い。今のに魔力注ぎ込みすぎた」

 そうしなければ防げなかった。仕方ないことだ。想定通り次に繋げるなら、良し。そう割り切り、仲間たちを振り返る。

「俺は八坂の応急処置に当たる。ブッコロリン、安全圏ホログラム出してくれ」

「了解デス!」

 そして、この切迫した状況により打開策は一つに絞られた。

 カノンの小さな身体を抱え上げる。ガルテアの介抱の甲斐あってか多少は楽になっているようだが、だとしても命の危機に変わりはない。彼女を助けるためには、一度安全圏に撤退する必要がある。そして強化術や結界を扱える人員が二人抜ければ、ベルサリエルが下す罰に抗う術はなくなる。

 故にこそ。

「あとは頼んだぞ、団長」

 ブッコロリンの周囲で黄緑色のホログラムが舞う。その先の異空間に片足を踏み入れつつ、フェニックスはそう言い残す。

「……ああ。もとよりそのつもりだ」

 底冷えのするような低い声で応じ、アルミリアはベルサリエルに視線を投げた。フェニックスたちの退避が完了したとみると、ブッコロリンは素早く異空間の入口を閉じる。空間が完全に切り離され、術者がいなくなった結界も溶け消えた。ベルサリエルが動く前に、アルミリアは口を開く。


「はっ──所詮『天使』もその程度か」

 あまりにも不遜かつ場違いな言葉に、ベルサリエルの視線が険しさを増す。

「……失礼。今なんと? 随分と身の程知らずな言葉が聞こえた気がするのですが」

「天使もその程度か、と言った」

 淡々と繰り返され、ベルサリエルのこめかみに青筋が浮かぶ。ガルテアが止めに入ろうとしてブッコロリンに手で制された。アルミリアは暗い目をしたまま杖を掲げ、高い音を立てて床を叩く。

「……意味がわかりません。強化術の使い手が消えた今、そこの機械人形はともかく貴女にできることは何一つないでしょう? にもかかわらずそのような口を利くとは、遂に気でも触れましたか?」

「私は正気だ。正気で貴様に抗っている。笑いたくば笑え」

 コォン、と。もう一度、杖で床を打ち付ける。

「それに『その程度』と言ったのは、戦の話ではない。法の話だ」

「……なんですって?」

 ベルサリエルの声のトーンが一段下がる。球体の砲門が一斉にアルミリアに向く。それでもアルミリアは淡々と、暗い声で言い放つ。

「黙って見ていたが酷いものだな。アレが『法』だと? 貴様が信奉する法とやらは、貴様ひとりの判断で振り回せるほど軽いものなのか?」

「私ひとりの判断で法を執行できるほどの権限を、私はスィーリエ様より賜っているのです」

「貴様が至上とする秩序とやらは、貴様や女神とやらの主観を押し付けているだけではないのか?」

「人間はきちんと管理教育しなければ堕落しますから。我々の倫理と道徳をみっちりと教え込み、それに反する者には必ず罰を与えなければなりません」

「話にならんな」

 コォン──と、一際高い音が響く。刹那、アルミリアの全身から妙な気が溢れていることに全員が気づいた。ベルサリエルが目を見開き、ガルテアが思わず一歩後ずさる。

「断言しよう。貴様の言う『法』は、貴様らの信奉する道徳とやらの押し売りでしかない。人の道を、罪を、貴様の雑な倫理で決められる筋合いなどない。なまじ粛清する力があるだけ、の悪行よりも遥かに質が悪いな。そんなものに従うことを私は望まん」

「あなたが望まなくとも知ったことでは──」

「故に! ──今一度、すべてを真っさらにしよう」


 ぶわり。

 アルミリアを中心に、灰色の瘴気が台風のように渦を巻いた。風圧に思わずガルテアが顔を覆う。ソレは易々と機動審判所全体を包み、アクエリアス上空で球状の領域を成す。

 瘴気が領域全体に浸透すると共に、アルミリアの姿が再び露になる──が、その姿は異様だった。真っ白だった髪と肌は墨で塗り潰されたかのように黒く染まり、青と白のオッドアイも黄と黒に変貌している。元々の黒衣と併せれば、まるでのっぺりとした影が床から剥がれて立ち上がったかのような風貌だ。そしてカチューシャと杖の薔薇の意匠は、黄色い花の意匠にすげ替えられている。

「公正なれ、公平なれ。無為なれ、無垢なれ、無菌なれ」

 低く、暗く、あくまで冷静に響く詠唱。呆然とするガルテアを尻目に、ブッコロリンはいつでも攻撃できるように構えていた。そしてベルサリエルは、そんなことはどうでもいいとばかりに10の法律が刻まれた──否、石板を、穴が開くほど凝視していた。

「不敬にも程がある……神聖にして絶対の道徳法を、汚い瘴気で塗り潰すなどッ!」

 黒いローブに包まれた肩をわなわなと震わせ、声を荒らげるベルサリエル。アルミリアはそんな彼女を冷ややかに見上げ、あくまで静かに口を開いた。


「ここに顕現せよ──『無為なる大反魂の花園ルドベキア・ガーデン』」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る