VS秩序の天使・ベルサリエル 5
「
必中必殺の伝説を持つ槍が風切り音を上げる。ベルサリエルが顔を上げた瞬間、背後からハンマーが彼女の身体を打ち上げた。ブッコロリンが槌を遠隔操作して放った、文字通りの離れ業。浮き上がったベルサリエルの左の翼を、投槍が空間ごと抉り取るように貫いた。一枚しかない羽根では体勢を立て直すこともできず、ベルサリエルは無惨にも墜落する。しかしそれでも怜悧な光をたたえたままの瞳で、彼女は槍の投擲者を睨む。
「……何故、そこにいるのです。確実に処刑したはずなのに」
「常務にゃんの仲間の力ですにゃっ!」
黄緑色のホログラムから小さな影が徐に歩み出る。服や猫耳カチューシャこそ焼け焦げてはいるが、その身体には火傷ひとつない。
「常務にゃんの世界には秩序なんてない。不幸な子供や虐げられた子供だけが力を得て、加害者たちに復讐し、あるいは泥の底から這いあがり、その過程で傷ついた子供にまた力が与えられる。法はあっても破るものが後を絶たない、まさに無秩序な世界にゃ」
ふらり、とカノンの身体が傾き、フェニックスに支えられる。無数のビームを
「……常務にゃんを治したこの力の持ち主は、『力があるならそれを使って当たり前だ』なんて言われて、あのにゃんこを愚弄した子さえ治せと尊大に言い放たれたらしいにゃ。……倫理的には間違ってはいないにゃ。力は他者のために使うのが一番いいにゃ。でも、誰かの倫理に縛られて自分の望みさえ押し殺すなんて……常務にゃんは、そんな在り方は哀しすぎると思いますにゃ」
かすかに俯き、カノンは絞り出すように呟いた。
「倫理も法も、人を縛るためのものではない。それらは人を守るために運用されるべきであって、同意も得ずに無理に押し付け更生の余地も与えないなど馬鹿げている」
「……更生の余地など必要ありません。一度罪を犯した者は、必ず再び過ちを犯しますから」
ゆらり、とベルサリエルは立ち上がった。羽根を三枚も失おうと破壊光線を失おうと、彼女の信念は揺るがない。神が定めし道徳こそ至上、悪徳は死を以て償うべし。
「あなたたちとて、同じ事」
両手を掲げると、残存している球体が傭兵団を取り囲んだ。球体そのものが光り輝き、真っ先に気づいたブッコロリンが声を上げる。
「あの天使が持つエネルギーを全て注いで、この場でボクたちを葬るつもりのようデス!」
「そうは……させないにゃッ!!」
叫び、カノンはゲノムドーサーに指を置く。
「ブッコロリンちゃん、あの球体に注がれたエネルギーがマックスになったら合図ちょうだいにゃ!」
「っ、ハイ!」
「それじゃあ──〈神託の破壊者〉with MDCのショータイムといこうかぁ!」
カノンの姿がぶれ、赤毛に金の瞳の少年の姿に変わる。『縛鎖』の所有者、芝村千草。少年が指揮者のように腕を振ると、ベルサリエルを取り囲むように無数の鎖が生える。それらは一斉に鞭のようにしなってベルサリエルを打ち付け、あるいは縛り付けようと動き回った。ベルサリエルはその鎖を手で払い、あるいは握力で引き千切る。だが、生い茂る鎖が邪魔でその場を離れられない。
「小癪な……ッ」
「僕たちは神様に裁かれるだけじゃ終われないの。くだらない法律なんてぶっ壊してやるのっ!」
再びカノンの姿が変わる。今度は190㎝もの長身をもつ糸目の青年になった。『結界』の所有者、氷月新。ベルサリエルの周辺を立方体状の結界が覆い、同時に鎖が一斉に霧散する。
「カノンさん、今デス!」
「了解りょーかい! クソみてぇな天使に一泡吹かせてやりましょーや!」
軽くターンすると、カノンの姿は褪せた橙色の髪とそばかすの散った頬をもつ少女に変わった。『座標崩壊』の所有者、三枝雛乃。額のゴーグルを目元まで下げ、少女は指ぬきグローブに包まれた指を鳴らす。するとすべての球体はベルサリエルを閉じ込めた球体の中に一瞬で転移し、白い閃光を上げて爆ぜた。結界が高い音を立てて砕け散るが、無論これもベルサリエルにはダメージを与えない。雛乃が軽く目配せをすると、ガルテアは強く頷いて踏み込んだ。
「秩序の天使。お前を倒し、これ以上の犠牲を食い止める。それが俺の『後悔しない選択』だ!」
最後にカノンの姿は軍服姿の眼鏡の青年に変わった。『武器庫』の所有者、武富大和。彼が両腕を広げると、無数の武器がその場に呼び出される。アナザーアース産の武器と、妖魔アルが造った武器。それらを無数に複製し、切っ先と銃口の全てをベルサリエルに向ける。その多さたるや、審判所内部には収まり切らずにガルテアが開けた大穴の向こうの青空まで覆い尽くすほど。
通常ならここまでの大盤振る舞いなどありえない。明らかにタメ時間が足りない。これが実現できたのは一時的にブッコロリンの異空間に退避し安全に時間稼ぎができたことと、
「照準精度、操作精度ともに良好。接敵まで10、9……」
「おごる平氏も久しからずっ、ですっ!!」
真っ先にガルテアが光の中に突っ込んだ。ビームをベルサリエルに当てたのは防御と目くらましを兼ねた算段。反応が遅れたベルサリエルの腹に黄土色の刀を突きさした刹那、ブッコロリンの遠隔操作ハンマーがその頭部に命中する。
「これで終わりにしよう。お前の手で犠牲は出させないッ!!」
ガルテアがハンマーを持って退避したのを確認し、大和の姿をしたカノンは掲げた手を勢いよく下ろした。刹那、無数の刃物と銃弾がベルサリエルめがけて降り注ぐ。いくらダメージの九割をカットできるとはいえ、ここまでの負傷にこの物量が加わればただではすまない。あまりの質量に審判所全体が震え、床に幾つものヒビが入る。
「無秩序な人間がっ、何故、何故ここまで……ッ!」
全身を切り裂かれ、無数の銃弾に貫かれながらもベルサリエルは叫んだ。理解できない。理解したくない。あんな大罪人どもに崇高なる天使を屠る力があるなど。息をすることも許されない大罪人を、このベルサリエルが処すことすらできなかったなど。
鼓膜を裂くような絶叫が響き渡るのと、絶対雲上領域が崩壊を始めるのはほぼ同時だった。
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