『希望』は語る

 アビスの街を離れ、一同はガルテアが作った簡易拠点に身を隠した。アルミリアの「フードの人影は竜種……特に暗黒竜王の手先には決して存在を嗅ぎつけられてはならぬ」という主張により、前日の拠点に比べて深く地を掘り進めたところに六畳間程度のスペースがこしらえられている。人間態に戻ったガルテアが壁に手を当て、フードを被り直す。

「かなり深く掘りましたので、余程強力な探知じゃない限り見つからない……と思います。それに地中を潜航する竜の種類はかなり少ないですし……」

「助かるぞ、ガルテア殿」

 ガルテアに小さく敬礼し、アルミリアはトゥルーヤに目配せをした。彼はひとつ頷き、背負っていた人影をそっと下ろす。

「この人……うーん、人なのかな? まぁどうでもいいんだけど。洞窟の中で話を聞いた限りだと、『どうしても伝えなければならない事実がある。対処しなければならない危機がある。壊さなければならないみかがある』ってことらしいよ。まぁ僕らも詳しいことはまだ聞いてないし、詳細は本人の口からってことで。じゃあ、よろしく?」

「……」

 頷き、フードの人影は顔を上げる。


「──我が名はἐλπίςエルピス。絶望の災禍にして残されし希望。震蛇竜を打ち倒したその実力を見込み、貴殿らに助力を願いたく馳せ参じた」


「助力……か。さっきから真実とか危機とか言っているが、それについて詳しく聞いてもいいか?」

「勿論。元々それについても話す予定でコンタクトを取ったからな。……お前たちの目的は『女神リアからの依頼の達成』、即ちこの世界からの敵対生物の排除だと聞いた。あの暗黒竜王をも排除対象としているなら、俺としては手を組まない理由はない」

 姿かたちはそのままに、その声と口調だけがフェニックスのそれをトレースする。一同が不思議そうに眼を見開くのを見て、エルピスは小さく肩を竦めた。

「あぁ……この見た目については気にしないでくれ。今はどこに竜の目が潜んでいるかわかったもんじゃない。本来の俺の姿でいるよりは他の姿をコピーした方が隠密性が高いから、許可を得て姿形を拝借したんだ。この人間……アルミリア、だったか? 彼女の方が本来の俺に背格好が近かったからな。……それと、相手によって声や口調が変わるのはただの仕様だ」

「ほにゃ~……」

「そんなことはどうでもいいにゃん。本題……壊すべきみか、絶望の概念体Πανδώραパンドラと、それを呑み砕いた最低最悪の災禍の話に移るにゃっ」

「……」

 ぐっ、とアルミリアの喉が変な音を立てた。そういう存在だとわかっていても、自分の顔をした人影が「にゃん」とか言っているのが相当な違和感を催している。その様子を一瞥し、フェニックスが合いの手を入れる。

「概念体?」

「ああ、概念体だ。まずはその話をすべきだったな、すまない」

 アルミリアの様子を横目で窺うと、いつもの無表情に戻っていた。フェニックスの口調なら違和感はないらしい。

「この世界の女神が異世界人の将来を繰り返しているのはお前たちも知っていると思う。その結果、世界の間に揺らぎが生じ、亀裂が入った。その結果、異世界から流入した『理』──列挙すればノックスの十戒、ハインリッヒの法則、テセウスの船、シュレーディンガーの猫、七つの大罪、ゲシュタルト崩壊、スタンフォード監獄実験、ってとこか。それらが具現化し、受肉に近い形で現界した。それが俺を含む『概念体』だ」

 専門用語の羅列だが、ついてこられない者は不思議といなかった。地球人のカノンはもとより、アルミリアたち傭兵団の面々も出身世界にいた元地球人から聞いて最低限の知識は持っている。そして意外なことに、フロンティア出身のはずのガルテアも、その専門用語をさも知っているかのように頷いて聞いていた。

「なるほどねぇ……。つまり君も何かしらの概念の具現化だってわけだ」

「話が早くて助かるよ」

「先程の話やエルピスというお名前から察するに、その……あなたが司る概念は『パンドラの箱』……いえ、その中に眠る『希望』ですか?」

「な、なんでガルテアさんそんなに詳しいにゃ!?」

「ニッポンのカルチャーを履修する上では基礎知識だって誰かが言ってました!」

「ニッポンっていうか、発祥はギリシャにゃんね。まぁ日本の創作物にも死ぬほど使われてるにゃんけど」

 ある意味、ニッポン人の「海外文化を取り入れて魔改造する」という文化が功を奏したのかもしれない。ガルテアが眼鏡を輝かせて、表紙に「ニッポンを知るキーワード660211選」と書かれた異様に分厚いメモを取り出そうとしたが、カノンはやんわりと押しとどめた。……いや正直に言うと、純粋にそのメモに好奇心が惹かれはしたが、今はエルピスの話を聞くのが先だ。

「エルピスさん。続きを」

「ああ。……竜の方、お前の推測で正解だ。俺は絶望の概念体パンドラの一部。パンドラの箱に眠る『希望』。そしてパンドラの中の『希望』があるのなら、同じくパンドラに封じられた『絶望』の箱……πίθοςピトスもまた存在する。その箱が開くとき、その場の全ての生命は問答無用で死に絶えるだろう」

「うわなにそれ最悪じゃん引くんだけど」

「そ……そんなの、この世にあっていい代物じゃないですよ!」

「でも壊すにしても、その箱はどこにあるんデスか?」

「……本当に最悪なのはここからデス。ピトスは今、かの竜王エッツェルの心臓と同化していマス」

「はぁ!?」

 思わず全員が声を上げ、あるいは息をのむ。想像していた以上に最悪の事態だ。単体でも世界級の危機たる『絶望』が、よりによって暗黒竜王と同化しているなど。

「……ありえないだろ」

「そう、本来ならありえない。起こりえない事態なんだ。ピトスは滅びかけていた竜王の身体を修復し強化し、この世界を滅ぼすため竜王を動かす。だが竜王は逆にピトスを呑み砕き、支配下に置いた。絶望を甕ごと喰らうなど、本来はありえない事態。……だが、俺たち『概念体』の存在そのものがイレギュラーだ。だからこれは、もしかするとピトスが望んだ形なのかもしれない」

「なのかもって……どっちにしろ世界の危機には変わりないじゃないか……」

「……で、私たちはなにをすればいい」

 静かに動揺していた場の空気が、アルミリアの言葉で水を打ったように静まり返った。彼女はいつもと変わらぬ無表情のまま、エルピスに問いかける。

「貴殿は『助力を乞いたい』と言ったな。よもや無策のまま泣きついてきたわけではあるまい。なにか対抗策があるのだろう?」

「ご明察だ」

 頷き、エルピスはフードを深く被り直す。その声が強い意志を帯び、静まり返った場に朗々と響き渡った。


「私は、エルピスは絶望ピトスの発動に際し詰んだ状況を打破するために存在する」

「……つまり?」

絶望ピトスを取り込んだ今、竜王は私のカウンターがその身に特攻を宿すように変質している。即ち、私が加護を施した者の攻撃も竜王に通じる。……貴殿らが望むなら、我が希望の加護を施そう。そしてもう一つ……より多くの勇士に加護を施せるよう、多くの戦士が集まる場に私を連れて行ってはくれないだろうか?」

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