第6話 〇教仏僧

ガンガンと足を蹴られる。

 またしても寝てしまったようだ。

 既に昼になっている。

 発情王子は木のベットの上で胸に暗殺少女を抱き寝ている。寝息は穏やかで暢気だ。

 今回蹴ってきたのは清徹従娘だった。

 「この上に畑があるから少しハーブを取ってくる。貴女にも草の一束くらい運べるでしょ、ついてきなさい」

 運べるし! 何でこんな人に命令されなくてはいけない! 清徹従娘は昨日の夕方に会っただけだし、何様?

 清徹従娘が砂炎踊姫に話しかけている。

 「本当に発情王子は凄い。化け物を二人も連れてきた。あの暗殺少女はなに? 魔人なの? 一人でも虎にでも勝てるでしょ」

 「虎の話をすると虎が来ますよ」

 砂炎踊姫が清徹従娘を咎める。

 「でも、あの自称女騎士は何? 女としても人としてもみっともない。『噂」以上だわ」

 聞き捨てならん。

 「『噂』って何!」

 私は怒鳴るような口調で、怒りを伝える。

 砂炎踊姫はがっかりして、私を無視して坂を上り始める。

 取り残された清徹従娘が嫌そうに、仕方なく答える。


 東砦に頭のおかしい女あり、

 ごきげんようの一つも言えない礼知らず。

 剣を棍棒のように振るう、

 その姿は蛮族のよう。

 煤けた顔は醜く、

 痘痕は日焼けで隠せても、

 心の卑しさは隠しきれず。

 暴君王妃は恥ずかしさのあまり、

 暗殺者を刺し出すが、

 女好きの発情王子が返り討ち。

 発情王子は暗殺されないようにと、

 女を騎士として取り立てる。

 女騎士はしてやったりと高笑い。


 ああ、心優しき発情王子様。

 王子の気を引くために、

 私も裸で町を歩こうかしら、

 それだけでは無理ね、

 町では棒で股でもこすりましょう。

 きっと発情王子が現れて、

 私に服をくれましょう。

 きっと発情王子が現れて、

 私を護ってくれましょう。

 

 「女性の可能性を示してくれる暗殺少女と女の尊厳をことごとく貶めていく女騎士。発情王子はどうしてこの二人を脇に置くのかしら。懐が深すぎて全く読めないわ」

 更に『女騎士は死ねばいいのに』を連呼して清徹従娘はさっさと行ってしまう。


 私だって、頑張らなかったわけじゃない。

 やれることをやっただけ。

 それがちょっと人と違っただけなのに。

 あんまりの噂だ。

 そして『噂以上』だなんてあんまりの評価だ。


 昼に出てきたが時間的には暑い時間。

 土くれだけの山の斜面に緑が広がっている。

 既にハーブを摘んでいた砂炎踊姫が声を掛けてきた。

 「どう、凄いでしょ。発情王子の立案でここまで大きな畑が作れたの、上には小麦畑が広がっているわ、蕎麦や綿もあるわ。これなら今年は山に住んだ人たちもお腹いっぱいご飯を食べられるわ。ね、凄いでしょ」

 『凄い』を押してくるが、どれくらい凄いか見当もつかない。

 上にあるという畑の方から人らしき物体が駆け下りてくる。

 砂炎踊姫と清徹従娘も見つけたらしく指さしている。

 砂炎踊姫は「仏僧かしら」と漏らしている。

 草をかき分け、男性が落下してくるように私たちの横を男が駆け抜ける。

 「逃げろ!」と短く叫んで男は通り過ぎる。

 仏僧を目で追うと、すれ違うように下から黒い影が仏僧より速い速度で駆け上がってくる。

 あんなことができるのは暗殺少女に違いない。

 暗殺少女はすれ違いざま砂炎踊姫の腕を引っ張り、砂炎踊姫は坂を数歩下る。

 ドンと私は腰を押される。

 清徹従娘が私にタックルを仕掛けている。

 私は転んだあと、清徹従娘を怒りをこめて睨む。

 清徹従娘の太ももには彼女より大きな黄色い毛の塊がくっついている。

 「剣を!」と砂炎踊姫の声が轟く。

 私は立ち上がって剣を抜くがそこで黄色の毛の塊が虎であることに気づく。

 虎と目が合う。

 猛獣の殺気が全身を駆け抜ける。

 全身が金縛りにあう。

 虎は悠々と清徹従娘の腹に食らいつく。

 そこに虎よりも強い殺気を出しながら暗殺少女が低い姿勢で一歩一歩進んで行く。

 虎も食事の口を止め、暗殺少女とにらみ合う。暗殺少女も歩みを止める。

 見えない圧力が呼吸することすら許さない。

 先に動いたのは虎の方だ。

 プイと顔を後ろに向けると悠然と山に戻っていく。

 姿が植物に隠れて見えなくなる。

 圧力が遠のいていく。

 砂炎踊姫が清徹従娘の下に駆け寄り膝枕する。

 私の足元に清徹従娘がいる。

 内臓が飛び出し、ひも状のものが大地に広がっている。

 ただ、息はある。強く呼吸は出来ないがそれでもゼイゼイと息をしている。

 砂炎踊姫が清徹従娘に声を掛ける。

 「私がついて来いと言ったばかりに」 

 「……良いんです」と言っているようだ。ほとんど声になっていない。

 清徹従娘は私を見つめてくる。

 私は顔を清徹従娘に近づける。

 「……王子が選んだ……貴女。役に立ちなさい」 

 何とか聞き取れた。

 清徹従娘が暗殺少女を見る。

 暗殺少女は清徹従娘の首筋に『懐刀』走らせる。

 あふれるように首から血が滴り、膝枕している砂炎踊姫のズボンを濡らしていく。

 清徹従娘は遠く西の方角を眺める。

 ふーと清徹従娘は息を吐くと目を開けたまま動かなくなった。

 アァァァァァーーーーと砂炎踊姫は叫ぶ。

 仏僧がゆっくりと上ってくる。

 入れ替わるように暗殺少女が坂を下っていく。発情王子の下に戻るのだろう。

 砂炎踊姫は清徹従娘の瞳を閉じさせると、膝枕から清徹従娘の頭をゆっくり地面に置く。砂炎踊姫は立ち、振り返り、そこに立っている仏僧の胸倉を掴む。

 「お前は仏僧だろ! 何てことしやがる! この人殺し!」

 砂炎踊姫は振り向くと私の胸倉を掴む。

 「あんたがボヤボヤして無ければ、死なずに済んだかもしれないのに!」

 アァァァァァーーーー 

 アァァァァァーーーー

 ァー。

 砂炎踊姫は天を見ながら、独り言のように呟く。

 「知ってる。清徹従娘を殺したのは虎。悪いのは虎。判断を謝ったのは女騎士ではない。女騎士の能力は知っていた。つい私だったらと考えてしまった。女騎士は私ではない。私ではない。知っている。判断を謝ったのは私」

 何度も砂炎踊姫は同じことを繰り返し呟く。

 まるでお経のように。

 仏僧も清徹従娘の傍らに立ち、お経を唱え始める。




 私と砂炎踊姫と仏僧とで、清徹従娘を埋めた。

 彼女たちの故郷が見える山の西面、畑の脇に墓穴を堀り、土とは言えない砂を掛けて埋めた。

 私が駆け下りてくる仏僧を見た時、危険を感知していれば。

 私が虎に怯えず、剣を振り下ろしてさえいれば命まで落さなかったかもしれない。


 夕方に私と砂炎踊姫と仏僧は言葉も無く、発情王子と暗殺少女の居る水場に戻る。

 発情王子は座った状態で壁に寄りかかり、暗殺少女を抱っこしている。

 私達三人はバツが悪く、水場の前で突っ立っている。発情王子が暗殺少女を抱っこしたまま立ち上がり、こちらに寄ってきて声を掛けてくる。

 「夕方ですが出発します。準備をしてください。服を洗い、体を洗い、水を補給してください。私の水袋には水を補給してあります。桶の水は全部使って構いません」

 仏僧は水を飲み、水袋の水を入れ替える。私は仏僧と入れ替わりに水を飲み、顔を洗う。

 振り返ると砂炎踊姫と発情王子は無言で向かい合っていて、発情王子は砂炎踊姫を見つめているが、砂炎踊姫は下を向いている。

 バシン。

 発情王子が砂炎踊姫の頬を叩いた。

 発情王子はそれでも下を向いたままの砂炎踊姫を冷たい声で叱る。

 「砂炎踊姫、貴女は優れている。特に大局を把握し、大衆を動かすのにも優れている。その故、個々の事象、細かな問題は軽視する傾向がある『大局には影響がない』と。貴女の初動の遅れ、それが清徹従娘を失った原因です」

 砂炎踊姫が発情王子を睨む。

 発情王子は冷たい声のまま続ける。

 「私の下から暗殺少女が駆け出した時点で問題は解決したはずです。暗殺少女は相手が天使だろうと悪魔だろうと、負けはしないです。となると、誰かがドジったんです。私は暗殺少女にあなた達二人が重要人物であることを伝えた。私は砂炎踊姫、清徹従娘の順で紹介した。ちなみに女騎士への指示は何もしていない。暗殺少女は女騎士が死のうと生きようと女騎士の為には動かない。そして、帰ってきたのが砂炎踊姫と女騎士、清徹従娘は帰ってこなかった。暗殺少女は砂炎踊姫がドジってなければ、清徹従娘の助けに入れたはずです。仮に女騎士がドジって清徹従娘が助けに入ったとしても、砂炎踊姫がドジってなければ、清徹従娘を助けられたはずです。つまり、暗殺少女は砂炎踊姫のミスのリカバリーに入り清徹従娘を見殺しにせざるを得なかった。貴女が仏僧が走ってきたことを軽視しなければ清徹従娘を失うこともなかった」

 砂炎踊姫が大きく息を吸い、何かを言いかけた瞬間、発情王子は右手で砂炎踊姫の口を塞ぐ。

 砂炎踊姫は言葉の代わりに大粒の涙をダクダクと流す。

 「貴女のすべきことは、泣くことではない。清徹従娘を自分の中に住まわせること。清徹従娘の良いところはどこですか? 小さな問題も丁寧に処理するところ。理解も納得が出来なくても行動する、行動しながら理解し納得していく。『初動の速さと丁寧さ』それこそが清徹従娘の特出した能力だと思います。清徹従娘ならこんな時どうしただろう、清徹従娘ならどう考えるだろうと考えなさい。清徹従娘の魂をその身に宿しなさい、砂炎踊姫」

 暗殺少女がスルスルと発情王子の背中側に回る。

 発情王子は胸というか肩を砂炎踊姫に貸し、優しく抱きしめる。

 砂炎踊姫は子供のようにメソメソ泣く。

 しばらくして、発情王子が呟く。

 「清徹従娘なら今の貴女を見て、どんな小言を呟く?」

 砂炎踊姫は黙って服を脱ぎだす。

 発情王子は砂炎踊姫から離れて、ベンチに座り、暗殺少女を抱っこする。

 砂炎踊姫は服を脱ぎ終わると、頭を水で洗い顔を洗い、体を洗い、服を洗った。

 服をギュウギュウに絞ると、乾かしもせず、服を着ていく。

 砂炎踊姫は両頬を両手でパンと叩き、気合を入れる。

 「ハイ、現状を確認します。発情王子は東砦で王位継承権争いをしています。現在、第一王子に指名手配を受け、東砦を追われています。私、砂炎踊姫は砂漠の民ですが農耕民族に嫁に来ました。残念なことに騎馬民族によって国は滅亡、避難民となってこの地に着ました。発情王子のご厚意もあってこの地に定住し山で畑を耕し、避難民もようやくお腹いっぱい御飯が食べれるようになりそうですが私は村を追放されました。今、山の村は発情王子の圧力が無くなり、男が女を襲っています。それが昨日のこと。そして、仏僧、あなたは誰?」

 「私は〇教の仏僧。知識を求めに△王国に来た。△王国には『神殺しの術式』があると聞いた。それが何であるかを知りたい。国とは関係なく、個人的な興味で来た」

 〇教仏僧は誠実に答える。

 発情王子「あるよ」と平然と答える。

 〇教仏僧が興奮して「どんな!」と聞く。

 発情王子は答える。

 「それは『不確実性理論』と呼ばれている。×教の牧師が見つけたものだ。×教も△教も神が一緒だ。神の作ったこの世界は完璧である。この『不確実性理論』は神にもコントロールできない事がある事を証明している。神は完璧ではない。つまり、『×教も△教も嘘を言っていた』×教も△教も神は人間の作りだした虚像でしかなく『神は存在しないもの』を証明した理論だ」

 〇教仏僧は興奮して質問が怒号に近い。

 「それを詳しく!」

 「仕組みは簡単だ。暗い部屋に居るとする。外は明るい。針の穴ほどの穴を壁に開けるとする。そうすると穴を通して入ってきた光はぼんやりとする。もし窓を開いたなら、日向と日陰がくっきりするが、穴を通した光はぼんやりする。光が神のコントロールを離れ、あっちこっちに曲げられた結果、ぼんやりとした明かりになる。『光が小さい穴を通る時、神の意思を無視する』という理論が数式で示されている」

 「その数式は!」〇教仏僧ががっつく。

 「すまん、私は数式に疎い。式の意味が理解できなかった」

 〇教仏僧は膝から崩れ落ちる。

 発情王子は「でも」と言い言葉を続ける。

 「世界中の禁書を納めた東砦王家の『禁断の書庫』に保存されているよ。私はそこに入れる」

 〇教仏僧は飛び上がると「それは凄い事です」と言い、言葉を続ける。

 「〇教は言葉で論理を極めてきました。それはどの宗教と比べても劣っていないと思っています。ただ、数式からの論理へのアプローチは弱いと思っていました。ぐふふ、数式でこの世界を表せたら、誰もが悟りをすぐに理解できるのでは?」

 〇教仏僧はニヤニヤしながら、「発情王子にご協力いたしますぞ」と言っている。

 砂炎踊姫は「では!」と言い、言葉を続ける。

 「我々の目的は、発情王子を王位に付け、〇教仏僧を禁書庫に送り込むでよろしいか?」

 

 「砂炎踊姫の目標は?」と発情王子は問う。

 私は、と砂炎踊姫は口ごもる。

 「私は分からないけど、発情王子と共に行動していれば自分の能力が磨けると思う。まだ目標は見つからないけれど、見つかった時に能力が高い方が良いのは間違いない。行動しつつ私の目標は考える」

 発情王子は砂炎踊姫の頭をナデナデする。

 発情王子は「次の行動は」と砂炎踊姫にさらに問う。

 「山の避難民は我々を狙うでしょう。それと、第一王子の親衛隊、そして、×教が東砦に入場しているなら×教の傭兵隊と×教の聖騎士隊。東砦軍は発情王子が手懐けたから余程の事がない限り大丈夫。今の我々ではどの隊と出くわしても戦力不足。発情王子が死ぬ確率がある。今は、海の避難民に合流して助力を願うしかない。元将軍が強力なカリスマ性で海の避難民を束ねている。元将軍に助力を乞うしかない。我々でどれだけ元将軍に利益を提示できるか分からないが」

 発情王子が「えっ」っと驚いて意見する。

 「元将軍は私の指示で海の避難民を纏めているし、元将軍は女騎士の祖父だから、女騎士にべらぼうに甘いし、私の弟と妹も居るしね。そこに合流出来れば、万事、解決」

 砂炎踊姫はがっくりと、うなだれる。

 「何で、山の避難民のところに来た? 鼻から海の避難民のところにいけば良かったじゃん!」

 発情王子は柔らかく答える。

 「それは妹が厄介者だから。妹を取り込めれば、状況が大きく好転しそうだけど、自分より頭の悪い人の言うことは聞かないし、知性が高いのに、感情で動くし、お転婆だし。私には制御不能。今は弟の言うことだけは聞くけど。妹を取り込むなら暗殺少女で脅して、砂炎踊姫が説得して、私が問題を起こせば何とかなるかなぁ」

 砂炎踊姫は頭がクラクラしているようで右手で額を押さえながら「それどんな化け物」と呟く。

 発情王子はハッキリと言う。

 「砂炎踊姫には頭脳で妹を超えて貰わないと困る。妹は、私と砂炎踊姫と清徹従娘を合わせたより頭が良いけど、よろしく頼む」

 「……ハイ、拝命しました。清徹従娘の分も頑張ります」

 しどろもどろに答えた後、砂炎踊姫は意を決したらしく力強く言う。

 「敵の全ては特定できませんが、明日の朝には山の避難民が山狩りを始めると思われます。我々は、山を東側に周り、山の避難民の村を通り越した後、南に向かい海の避難民に合流します。だから、今は手持ちの食料を腹いっぱい食べるべき。次はいつ戦闘になり食事が出来るか分からない。今は、食すべし!」

 その合図とともに暗殺少女の背負い袋の塩漬け肉と乾燥肉、そしてカチカチのパンを水に戻すのであった。

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