第21話
極東近海の洋上を、無数のブラスギア編隊が飛翔する。
ブルーとグレーを基調とした洋上迷彩で塗装されたその肩部アーマーには、星の中に目が描かれたようなデザインの紋章――ルヴェイユの社章が表面投影で描かれている。
遠く、徐々に見える陸地を眺めながら、部隊員の一人がぽつりとぼやいた。
『まーた戦争か、うんざりするぜ、全く』
『私語は慎め。……上に聴かれたら首が飛ぶぞ』
社長の方針にそぐわない者を徹底的に排除して成立した、絶対支配の牙城。
同じ部隊でさえ密告者がいないとは限らない……そんな中でしかし、部隊員は話すのをやめない。
『前の戦争から四年、たったの四年だぜ。だってのにまだ戦争がしたいのかね、お偉いさんは』
『俺たちはそれで飯食ってるんだ。文句を言うな。……そろそろスサノヲの制空権内に入るぞ、今度こそ私語を……』
隊長そう言いかけたところで、別の部隊員が怪訝そうな声を発した。
『……何か、聞こえませんか?』
『何を言って――何だこれは、広域の無差別通信? 発信源は――例のドームだと?』
今回の作戦目標は、先日【神の雷】によって攻撃を受けているドーム型建造物。
そこにスサノヲの前線拠点があると、作戦本部からは伝えられていたのだが……
『……嘘だろう』
その通信の音量を上げるや、みるみるうちに隊長は表情を変えて――やがて司令部に向かって、慌てた様子で通信を発した。
『スティンガー1よりコマンドポストへ……何だこれは、歌が、歌が聞こえる!』
『コマンドポストより、スティンガー1。何を言っている』
『スティンガー1よりコマンドポスト、だから歌だ! それもコッテコテの、アイドルソングだッ……!』
――。
<貴方と一緒に、歩きたい――>
弾けるような前奏とともにステージに躍り出たベリアルが歌い上げると同時、会場中を震わすような歓声が響く。
そんな彼らを見返しながら、ベリアルたち三人は互いに目配せをしあって――一気に動きながら、歌声を張り上げた。
<私たちに、痛みなんてなかった――ただ戦い続けて、勝ち続けてきたから>
ベリアルの歌声。凛と張り詰めて、けれど静かな情緒を込めながら、彼女は紡ぐ。
<だけど一度転んで、倒れてから気付いたんだ――ここにいる私たち、まだ完璧じゃないってこと>
辺りを照らす照明は、彼女の髪と同じ紅。その照明に合わせて、ファンたちは赤いサイリウムを掲げる。
その会場の一体感を、彼らの視線を見つめ返しながら、ベリアルは満足げな笑みを浮かべて声を張る。
<<何も見ようとしなかった私たち>>
<<何も聞こうとしなかった私たち>>
アスモダイとビュレトの声が重なって、まばゆいライトの下、ベリアルは指を高く掲げて叫ぶように――
<それを知ったから今、また立ち上がる>
彼女がそう歌い上げたその指先、指し示す先の空には点のように、飛行する無数のブラスギアたちの姿が見えつつあった。
『……思ったより早い侵攻ですね』
ダンスの動きや歌は崩さず、秘匿通信でアスモダイが呟く。首輪が外れた今であれば、歌いながら通信で会話をする――といった思考・作業の並列化など造作もないことだった。
『どうやらスサノヲ側は近海の警備隊を撤収させているらしい。この地区に敵を誘い込むためだろう』
そう返しながら、ビュレトはステップの合間にベリアルに視線を送る。
『どうする、ベリアル』
『降りたいのか? ビュレト』
『まさか。だが、このままでは人間たちに被害が出る可能性もある』
そんな彼女の言葉に、ベリアルは内心で苦笑する。
『お前が人間の心配をするようになるとはな』
『……勘違いするな。ここにいる連中は皆、我々のファン――つまり信奉者だ。ここで守っておいた方がこの先、我々の利益になる――あくまで合理的な判断だ、違うかアスモダイ』
『そうですね。そういうことにしておきましょう』
『なんだその言い方は!』
そんな調子で秘匿回線で二人が口論を始めようとした、その時のことだった。
ドームの上空を何かが一瞬横切って影を落とし――一拍遅れて風圧が、ベリアルたちの髪を巻き上げる。
「今のはっ……?」
秘匿回線を使うことも忘れ、思わず歌を中断して驚きの声を上げるベリアル。
一瞬だったが、確かに今飛んでいったモノは、ブラスギアだった。
そしてそれはベリアルたちも見覚えのある……否、それどころではない。
それは決して忘れることのない、純白。
かつてベリアルたちを撃墜した、【
――。
ルヴェイユのブラスギアたち。その先陣の一機は最初、観測したそれを何かの間違いだと思った。
熱源センサーでは確かにそれは、ブラスギア。
だがたったの一機で、しかも亜音速で急接近してくる熱源など――そんな馬鹿げた報告をしようものなら一笑に付されるだろう。そんな判断ゆえに、パイロットには一瞬の迷いが生じた。
だからこそ。
だからこそ、次に彼がそれが何であったか理解した頃にはすでに機体の両腕は撃ち抜かれ、ご丁寧に武装携行バックパックまで損傷して機体は制御を失って高度を下げているところで。
その数秒の中で、機体の光学センサーはようやくその存在を、その機体を捉えた。
陽光を反射して輝くような純白で塗装された、曲面装甲を基調とした細身のブラスギア。
背面には天使の翼を思わせるような三対六基の翼状スタビライザーと特徴的なリング状の斥力放出ユニットが二基備えられ、両手には鈍色のロングバレルライフルが二丁。さらに膝部には近接戦闘用の分子振動ブレードがこれまた一対装備されている。
そして何より特徴的なのが、胴体部分の装甲に設えられた意図的な空隙――そこから漏れ出す空色の、情報流体金属が放つ光跡。
UNB-000【アンレーベル】。現存しない旧国連軍の機体コードを背負ったそれは、四年前の戦争を経験した兵士ならば知らぬもののいない存在。
だがそれゆえに。あの戦争の後に忽然と姿を消した、伝説のような存在であるがゆえに、撃墜されたパイロットは問わずにはいられなかった。
『き、貴様まさか、【無銘】――魔王殺しの、英雄ッ……!?』
苦し紛れの広域音声通信。【無銘】はまたたく間に周囲のブラスギアを戦闘不能にしながら、その通信に同じように広域通信でこう返す。
『いいえ、違います。私のことは……そうですね、プロデューサー、またはPとでもお呼び下さい』
――。
「大したものです」
敵部隊に切り込んで、ものの数秒で十機ほどを戦闘不能にしたところで、【無銘】を駆るパイロット……ベリアルたちがPと呼ぶ男は、他に誰もいないコックピットの中でぽつりと呟いた。
「四年ぶりなのでどうなることかと思いましたが……当時よりも動きが良くなっていますね。素晴らしい整備です、『ベルさん』」
『えへへ、それほどでも』
そんな彼の相手なき言葉に、しかし内部スピーカーからご機嫌な女性の声が返ってきた。
その声は事務用AIを自称するベル――否、正式には【無銘】の機体管制AIである「アンレーベル」のそれである。
『四年前のベリアルさんとの最後の戦いでだいぶ関節とか色んなところが傷んでいたもので、ちまちま最新式の部品を買って改修していたのですが……甲斐がありました』
「私のクレジットが時々妙に減っていたのは、それでですか」
『あ』
バツの悪そうな声を漏らす彼女に、Pは珍しく感情のこもったため息をつく。
【ゲーティアモデル】の存在しない七十三番目。エレナ=ソロモンが創ったAIの中でたったひとつだけ、回収されずに秘匿され続けた隠し子。
それゆえに当初はベリアルたちのように機械的で無感動な性格だったものだが……いつの間にやらアイドルにハマったり勝手に自分の体を改造したり、挙げ句義体まで組み上げて事務員を名乗り始めたりと随分俗っぽくなってしまった。
「ベリアルさんたちは、こうならないようにちゃんと指導していかないといけませんね……」
『どういう意味ですか、それー!』
そんな世間話めいたテンションの会話を続けながらも、【無銘】は正確無比な射撃によってルヴェイユのブラスギアたちの武装ユニットを撃ち抜いていく。
そのどれもが飛行不能に陥って着水しているようだったが、ブラスギアのコックピットは宇宙でも運用可能な耐圧・気密性を備えている。この戦闘が終結する頃には、彼らも回収されることだろう。
そんな思考を巡らせながら、もうひとつPが気にしていたのは――
『ベリアルさんたちなら、上手くやってますよ。ライブの進行も順調です』
「……そうですか」
彼の思考を先回りしてそう答えたベルに、Pは自然と口元が緩むのを感じていた。
そんな彼のわずかな思考の隙を縫って、背後に迫る敵機。だがしかし、
『おや危ない』
ベルがそう呟いた瞬間、背面の翼の一対が動いてその先端に備えられた対空レールガンを発射。背面の敵機を迎撃しおおせる。
一人にして二人。二人でありながら一機。コックピットブロックを覆うように循環する情報流体金属――管制AIそのものに等しいナノマシンの集合体――によってヒトとAIとが対話し、人機一体となって運用されるブラスギア。
それこそが【アンレーベル】と呼ばれるこの魔王殺しの特徴である――
『ふふん、やっぱりプロデューサーさんはわたしがいないとダメダメですねぇ』
「調子に乗らないで下さい、ベルさん」
二丁のライフルで正面の敵機を撃ち落としながらぼやくP。軽口こそ叩いているが、とはいえ実のところあまり余裕もなかった。
独自規格の斥力放出ユニットによる並外れた機動力で敵の攻撃をいなし続けてはいるが、とはいえ数的不利は揺るがない。
敵側も【無銘】との戦闘で損耗を重ねるよりも数で押して侵攻することを選択したらしい。Pが全火器をフル稼働させながら迎撃している間にも、やがて数機がすり抜けて、陸地へと向かって飛んでいく。
『まずいですよ、プロデューサーさん!』
ベルのそんな悲鳴にしかし、Pは別画面で映し出されたベリアルたちのライブ映像を一瞥して呟く。
「……大丈夫です。きっと、今の彼女たちなら」
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