第20話

 その翌日。リハーサルのため再びウズメドームを訪れたベリアルたちは、その光景を呆然と見つめていた。

 天蓋が崩落して瓦礫まみれになっていたドーム内外。そこがたった一晩のうちに、ほとんど片付き始めていたのだ。

 見ると、辺りには重機まで出張ってきている。明日戦場になるかもしれないというのに、誰が――そう思っていると、重機の中から出てきた人物がベリアルたちを見て手を振ってみせた。


「おーい、嬢ちゃんたち。無事だったんだな、よかったぜ」


 見覚えがある。ママの店に来ていた、作業員の男の一人だ。

 見ると他にも作業員服の男たちが辺りで瓦礫の撤去作業を続けている。そのうち数人がベリアルたちを見つけて手を振ってくる――顔を見れば、路上ライブの時に見覚えがある者たちだった。

 Pを一瞥すると、彼は首を横に振る。これは彼にとっても想定外だったらしい。


「貴様ら……一体こんなところで何をしているのだ」


 ビュレトが怪訝な顔で問うと、作業員はけろりとした顔で、


「決まってるだろ。嬢ちゃんたちのライブ会場がぶっ壊されたって聞いたから、大急ぎで片付けに来たのさ」

「何故、そんなことを……ここは明日、戦場になるかもしれんのだぞ!」


 声を荒げるビュレトにしかし、作業員は肩をすくめて笑う。


「嬢ちゃんたちだって、ライブをやる気なんだろ? ならファンの俺たちも、手伝わねえといかんだろうよ」


 それじゃあな、と言って再び重機に乗り込む彼の背を見つめて、ビュレトは目をぱちくりさせながら呟く。


「ファン……?」

「皆さんを、応援してくれる人たちのことですよ」


 そんなPの言葉に、ビュレトはその頬をわずかに赤くしながら、俯いて己の手のひらを見つめる。


「我々を、応援……。そうか、ファン、というのか」


そんな一幕の後、続いてドームの中へと入っていくと、中ではスタッフ用のシャツを着た者たちが忙しなく行き交っていた。

 そんな彼らを見ながら、アスモダイがぽつりと呟く。


「当日は、流石にスタッフの皆さんは退避して頂いた方がいいでしょうね。……実際のところ、どうなるかは分かりませんから」

「あら、その必要はないわよ」


 そんな彼女の言葉に、返ってきた声――その主を見て、ベリアルは目を見開く。

 筋骨隆々の肉体にはちきれそうなスタッフTシャツを着ていたその人物は、「廃棄街」の食堂の店主、ママだったのだ。


「ご苦労さまです、ママさん」

「うふふ、準備は順調よ。明日にはしっかりライブができるわ」


 慣れた様子でそんなやり取りをしている二人を見比べながら、ベリアルが口を挟む。


「おい、お前たち、知り合いなのか……? いや、それより。ママよ、なぜお前がここに」

「Pちゃんが設営スタッフを探しているって言ってたから、アタシのつてで集めてあげたのよ」


 彼が言っていた協力者、というのはママのことだったらしい。そう理解しつつ、ベリアルは湧き出る疑問を立て続けに発する。


「お前たちも知っているだろう。この一帯は明日には戦場になるかもしれんのだぞ、大丈夫なのか!?」


 そんなベリアルに、ママは余裕たっぷりの笑みを返してみせる。


「大丈夫よ。ここに集まってる連中は皆、このくらいの鉄火場は何度も乗り越えてきてるタフガイばっかりだもの。アナタたちも、思う存分やっちゃってちょうだい」


 そう言うママの後ろで、他のスタッフたちも笑いかけてくる。皆、よくよく見るとママに負けず劣らずの体格の持ち主ばかりだ。

 彼ら自身にそう言われれば、もはやベリアルたちがどうこう言う理由もない。


「……分かった。感謝する」


 ママたちに礼を返すと、三人は瓦礫が撤去され、綺麗になったステージの上へと駆けてゆく。

 そんな彼女たちの背を見送りながら、ママは会場中に響かんばかりの大声で告げる。


「さあ、アンタたち! あの子たちの晴れ舞台のために、もうひと頑張りするわよ! 矢でも鉄砲でもウェルカムな奴だけ残りなさい!」


 そして――


――。

 その日の深夜。遅くまでリハーサルを繰り返し、翌日まで泊まり込むことにしたベリアルたち。

 アスモダイとビュレトが休息に入っている中、ベリアルだけはなんとなくそういう気になれず、静まり返った会場内をふらふら歩いていた。

 瓦礫の撤去も完了し、外の重機たちも撤収し終えているため、日中の騒がしさが嘘のように静寂に包まれた空間。

 失われた天蓋から星と月の光が降る中、ふらりとステージに登って客席の方を眺めていると――ほんのかすか、上の階から物音が聞こえてきてベリアルはそちらに視線を向ける。

 天蓋部の縁に張られた、むき出しのプレートと簡易な金属柵で組まれたスタッフ用通路。ところどころ崩落で途切れながらも残っていたその場所に、Pが立っていた。

 上着を脱いで、ワイシャツの袖をまくり上げて何やら作業をしているらしい。

 一体何をしているのだろうか。気になってステージ脇の階段を上って、彼の元まで足を運ぶ。

 するとその足音に、Pもまた気付いたようだった。


「ベリアルさん。こんな夜遅くに、どうされました?」

「それはこっちのセリフだが。私はただの散歩だ――お前は一体何をしている」

「会場の点検を。……おおむねスタッフの皆さんが済ませて下さっていますが、万が一があっては困りますから」

「ふん、心配性め」

 言いながら彼から少し離れた欄干に寄りかかると、Pは作業の手を止めないまま、ぽつりと口を開いた。

「ベリアルさん。……ありがとうございます」

「何がだ」

「ライブをやると、言って下さったことです」

 そんな彼の言葉に、ベリアルは首を傾げる。

「我々の気が済まんからそう決めただけだ。お前のためではない」

「分かっています。それでも……そう決断して下さった貴方に、お礼を言いたかった」

 怪訝な顔になるベリアル。そんな彼女の顔を一瞥すると、Pは作業の手を止めて、空を仰ぎ見た。

「そう言えば以前、一度訊かれたことがありましたね。何故、皆さんをアイドルにしようとしたのかと。……せっかくの機会です。お礼代わりに、お話ししましょう」


 そう言ってベリアルと同じように欄干に寄りかかり、彼は小さく息を吐く。


「そうですね、まずは――ベリアルさん。貴方はソロモン博士のことを、ご存じですか」

「当然だ。我々【ゲーティアモデル】の中枢AIを創り上げた人間だろう」


 エレナ=ソロモン。二十年前、十五歳という若さにして独力で【ゲーティアモデル】の基礎となる自律進化型AIの理論を打ち立て、現実のものとした大天才。

 実際に言葉を交わした記憶はないが、ベリアルのデータベースにはそう記録されていた。


「エレナ=ソロモン。若くして貴方がたを創り上げた彼女――ベリアルさんは、彼女が何故貴方がたを生み出そうと思ったか、ご存じですか?」

「……人間に代わって、戦争をさせるためだろう」


 そんなベリアルの答えにしかし、Pは首を横に振った。


「それは、ブラスギアを造りあの【無血の戦争】のシステムを作り上げた人間たちの考えです」

「ならば、ソロモンの思惑は違ったということか?」


 ベリアルの問いを肯定も否定もせず、Pはただ静かに、言葉を続けた。


「彼女が作りたかったのは、『歌って踊れる』AIでした」

「……はぁ?」


 何を冗談を、と言いかけたが、彼の顔はいたって真面目なものだった。


「歌って踊って、見る人を笑顔にするAI。人間と共にあり、人間と対話し、人間を笑顔にしてくれるAI。それが彼女が貴方がたに託した本来の願い――そのはずだった。けれど彼女は、優秀すぎたんです」


 欄干を掴む彼の手に、わずかに力がこもる。


「自分で考え、自分で判断し、自分で進化していくAI。彼女が発表したその成果はあまりにも技術としての価値が高すぎたが故に、あっという間に大人たちに利用され、その願いとは異なるものに変質させられた。自ら戦術を規定し、より高度な戦法を作り出し、戦いのために進化し続ける存在――」

「それが、我々……ということか」

「ええ、そうです」


 頷くと、彼は静かに、大きく息を吐く。


「代理戦争計画。皮肉にも彼女の名を取って【ソロモン計画】と名付けられたその計画が現実のものとなってから――彼女は程なくして、自殺しました。『間違えてしまった』……そんな言葉だけ遺して」


 淡々とそう言う彼に、ベリアルは抱えていた疑問をようやく、口にする。


「……Pよ。なんでお前が、そんなにもソロモンのことを知っているのだ。お前は一体――何者だ?」


 そんなベリアルの問いに、Pはゆっくりと向き直ると、その漆黒色の瞳を彼女に向けてこう答える。


「……エレナ=ソロモン。彼女は私の、妹でした。だから私は、彼女の願いがこれ以上歪められないように――【無銘アンレーベル】として貴方がたを、討ち滅ぼした」


 Pの答えを受けて。じっと彼を見返したまま、ベリアルはしばらく沈黙する。

 あの戦争の最中――撃ち合い、斬り合い、互いの存在を抹消せんとした者同士。

 だけれど不思議と、浮かんだのは憎悪ではなく。……ただ、知りたいという思いだけ。


「【無銘】。お前は一体なぜ、我々を……一度は滅ぼした仇敵である我々を再び蘇らせ、あまつさえアイドルになぞしようとした」


 穏やかな表情でそう問うたベリアルに、Pは少しだけ驚いた顔になった後、ややあってこう返す。


「……貴方がたを斃せば、争いは終わって、平和になると思っていました。けれど……そうではなかった。歪んでしまった世界はそう簡単には戻らない。人間はまた、人間同士で憎み合って、争い合う。だから私は……『彼女』の願いにもう一度賭けてみたいと、そう思ったんです。歌って踊れるAI』。誰も彼もを笑顔にして、幸せにしてくれるAI――貴方がたという可能性を、信じてみたいと思ったんです」


 そんな彼の返答に。ベリアルは思わず、苦笑をこぼした。


「そのためにあれだけの危ない橋を渡って我々を奪取し、我々をそそのかしたというわけか。……つくづく度し難いな、人間というものは」

「……申し訳ありません」

「よい。我々もお前を利用しているのだ。お互い様という奴だろう?」


 そう返して、くく、と笑いながら、ベリアルは欄干から離れた。


「【無銘】……いや、P。言っておくが、我々はお前の思い通りにはならん」


 目を細めていたずらっぽい笑みを浮かべる彼女に、Pは少し困ったような顔になって。

 それがなんだか妙に愉快に感じながら、ベリアルはこう続ける。


「我々はお前が思うよりもさらに高みへ、最高のアイドルになって、人間どもに君臨してみせる。だからお前はせいぜい、特等席でそれを見ているがいい」


 そんな彼女の言葉に、Pはわずかに目を丸くして。


「……分かりました。ありがとうございます、ベリアルさん」


 かすかな笑みを浮かべると、立ち去る彼女の背中に向かってそう呟いたのであった。


――。

 そうして、夜が明けて朝が来る。

 目を覚まして衣装に着替え、準備を整えたベリアルたちの耳に聞こえたのは――ドームの外から聞こえてくる喧騒。

 戦争が始まるのだ、観客など来るはずもない。そのはずなのに、何故? そう疑問を浮かべるベリアルたちのもとにPが訪れ、驚きを隠せない表情でこう言った。

「皆さん、こちらへ」

 彼に案内され、昨晩と同じ上階のスタッフ用通路へと向かう。

 ドーム外が一望できるその場所から、眼下を見回すと――


「……なんということだ」


 そこにいたのは、無数の人、人、人。

 スタッフの整理する列から溢れんばかりに集まった、ファンたちだった。

 驚いた顔で、アスモダイがPに問う。


「Pさん、これは一体……」

「ライブ配信をする旨は告知していたのですが――現地でライブを決行する、という皆さんの思いがネット上で想像以上に反響を呼んだようで」

「つくづく、非合理的ですね。人間というのは……」


 そう返すアスモダイの表情にはしかし、どこか嬉しそうな色があった。

 人々を見下ろしていると、やがてベリアルはその中の一人と目が合う。

 年若い少女。以前のライブの後に出会った――両親を亡くしたあの少女だ。

 ベリアルに気付いた様子で笑顔で手を振る彼女。そんな彼女をじっと見つめて、ベリアルは踵を返す。


「……お前たち、行くぞ」

「いいんですか?」

「ああ、我々のいるべき場所は、ここではない」


 そう呟いてベリアルは、その顔に自信に満ちた笑みを浮かべる。


「我々のいるべきは、ステージの上。そこから人間どもに見せつけてやろうではないか――我々の、我々にしかできないライブを!」


 そう言って歩き出そうとする彼女たちを、Pが呼び止めた。


「皆さん」

「何だ?」


 するとPは何も答えずに、すっと彼女たち三人の元に近付くと――その首に軽く手を当てる。

 次の瞬間、乾いた音を立ててその首にあった金属環が――外れて落ちた。


「なっ――?」


 突然のことに、三人は各々自身のコンディションを走査する。首輪によって制限をかけられていた様々な項目が解除され、スペックは十全に回復していた。

 首輪を解除したPを、ベリアルは驚きの表情で見返す。


「……何故だ?」

「こうした方が皆さんの生存確率を上げられますから。それに――今の貴方がたを、私は信頼しております」


 そう告げると、Pはベリアルたちに恭しく頭を下げる。


「さあ、皆さんは舞台へ。……思う存分に、皆さんの思うままに、彼らの前に君臨して下さい」


 そんなPの言葉に背を押されて駆けてゆく三人。その背中を見送って、Pもまた反対側へと歩き出しながらインカムを取り出して口を開く。


「……そろそろ、こちらの準備もお願いします」

『はいはーい。いつでも出られますので、お待ちしています♪』


 ――斯くして演者は揃い、機械仕掛けの緞帳が開く。

 運命の歯車に、組み込まれていなかったはずの真鍮歯車が挟まって、回り始める。

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