第18話

 それからというものは、これまでにも増して怒涛の日々だった。

 Pとベルはそれぞれ営業であったり、オンライン上での宣伝活動だったりで奔走し。そういった広報は彼らに任せ、ベリアルたちは一日中リンカの指導を受け続ける。

 リンカのレッスンは彼女自身も言ったようにスパルタそのもので、ベリアルたちが疲れ果てて倒れていようが知ったことではないとばかりに叩き起こしてきた。

「そもそもあの女、ダンスの練習と言いながら思いっきり格闘の訓練を仕掛けてくるではないか……」というのは練習の合間にビュレトがぼやいた台詞。人間の体での動きになれるために、という理由から、ダンスの練習の一環としてリンカが選んだのはベリアルたちとの徒手による組み手だった。

 今はアイドル活動をメインにしているとはいえ、現在進行系でスサノヲ重工の警備部門にも籍を置いている彼女。その戦闘技能にベリアルたちでは到底敵うわけもない。

 三人がかりで飛びかかり、返り討ちにあってレッスン室の床に倒れ伏しながら――ベリアルは悔しげに呻いた。


「なんたる屈辱――本来の体なら、格闘戦は十八番なのに……ッ」

「人間の体はやはり非力です……」

「まだまだ、負けてたまるか――ぐおぁ!」


 諦めずに立ち上がってリンカに向かっていったビュレトだったが、すぐにぐるりと一回転してまた床を舐めていた。

 こうして傍から見ていると、リンカの身のこなしは一番最初、Pと出会った時の彼の体捌きと似ているように思える。

 床に伏したままなんとなくそんなことを考えつつ――さりとてそれ以上の思考は意義が薄いと判断。代わりにベリアルは、仁王立ちのリンカを見上げて呻く。


「くそ……こんなことに何の意味があるんだ。ダンスや歌の練習をもっとするべきではないのか?」

「それもやってるじゃない。それに、今の貴方たちにより大事なのはこっち――『体の動かし方』の方だから」


 そんな彼女の言葉に、起き上がったアスモダイが首を傾げた。


「体なら、動かせているではないですか」

「そういう意味じゃないわよ。例えば――ビュレトちゃん。さっき床に転がされた瞬間、貴方はとっさに何をしようとしていたかしら?」

「それは――姿勢制御バーニアを使って、体勢を立て直そうと」

「人間はね、そういう時受け身を取ろうとするのよ」


 苦笑しながらそう返して、リンカはベリアルたちを見遣る。


「貴方たちの動きはまだ、人間としての肉体じゃなくて元の体――ブラスギアとして動こうとしてしまっている。ジャンプをする時はバーニアを吹かそうとして、体や手足をひねるときも関節部のアクティブサスペンションとモーターの機動を意識している。貴方たちの動きはまだ、あくまでシステムとして刻み込まれた挙動を捨てきれていない。だから人間の体みたいに柔軟に動けないの」

「……むう」


 言われてみれば、その通りではあった。

 ダンスの練習の時こそあまり意識していなかったが、指摘されてみれば確かにそう――無意識のうちに自分がかつて持っていたはずの翼に、ブースターに、全身の姿勢制御バーニアに頼ろうとしていることが分かる。


「戦闘訓練なら、貴方たちにとって馴染み深い体の動かし方になるでしょう。だから、こうするのが一番手っ取り早いのよ。『体の使い方の違い』を分かってもらうためにはね」


 体の使い方。人間と、機械である自分たちとの間にある差異。

 彼女の言葉に、不意にベリアルはあの四年前のことを思い出す。

 【ゲーティアモデル】最強の機体であったベリアル。その攻撃をことごとく躱し、受け流し、挙句の果てに撃墜したあの白い死神のことを。

 【無銘】と呼ばれた、名もなき神殺しのことを。


「……人間としての動き方。なるほど、それを理解すれば、次は『奴』にも負けないかもしれんな」

「何か言った?」

「いや、なんでもない」


 そう一人呟くと、ベリアルは立ち上がってリンカに向かって構え直す。


「……さあ、続けてもらおうか。悪いが我々は諦めが悪い方でな、人間に負けっぱなしというのは性に合わん」

「それは素敵ね、アイドルに向いてるわ」


 にっこりと嫌味のない笑顔を浮かべながら――まるで疲れを知らない速さでリンカが動き、ベリアルの体は宙を舞う。


――。

「なあ、リンカよ」


 そんな調子で練習を重ねて、指一本動かせないくらいに疲弊して床に転がったまま、ベリアルは近くで汗を拭いているリンカに向けてふと問うた。


「お前は、Pとどういう関係なのだ?」

「あら、そんなこと知りたいなんてどうしたの? もしかしてプロデューサーちゃんに恋しちゃってるのかしら?」

「恋? なんだそれは。そんなよく分からんことではなくだな――単純に、気になったのだ。お前の体術、それはあのPとやらのものとよく似ていたから」


 そう返すベリアルに「つまんないの」と子供っぽく唇を尖らせた後、彼女は鏡を背に座って天井を仰いだ。


「あの人とは、戦争中からの付き合いでね。そう、なんていうのかな。私の先生でもあり、仲間でもあり……うーん、そう。私にとっても『プロデューサー』って感じの存在だったかな」


 そんな彼女の発言に、ビュレトが半眼でぼやく。


「意味が分からん」


 そしてその横のアスモダイが、何かに気付いたようにぽつりと口を開いた。


「戦争中から、パイロットだった貴方の知り合いだったということは……Pさんは軍人だったのですか?」

「うーん、そうとも言えるけど、そうじゃないというか。……本人が貴方たちに言ってないなら、私がこれ以上言うことじゃないかな」

「勿体ぶらずに話せ」

「あら、ビュレトちゃん。まだ投げられ足りない?」

「ひぃ!」


 そんなこんなで三人を煙に巻いた後、リンカはほとんど疲れた様子のない顔で再び立ち上がると、三人を見回してにんまりと笑う。


「それじゃあ、私に一回でも勝てたらあの人とのこと、もっと詳しく話してあげる」


 ……結局その後、三人がそれ以上の秘密を知ることはなかった。


――。

 そんな日々がまたたく間に過ぎて、気付けば日付はすでに、二日後にライブを控えるところまで来ていた。

 宣伝も順調に進み、ライブ券の事前売れ行きもこんな新人アイドルのライブとしては悪くない。加えてリンカの指導のおかげもあって、ベリアルたちの歌やダンスも以前の彼女たちとは比べ物にならないほどに上達を見せていた。

 今日、明日で会場でのリハーサルを行い、二日後の本番に備える。そのための準備は着実に整いつつある。

 誰もがそう思っていたその時。そういう時にこそ、運命というのは得てして望まぬ方向に歯車を回す。


――。

「……すごいな」


 リハーサルのために会場入りして、ベリアルはそこで作業に従事している人間たちを見て感嘆の声を漏らした。

 数にして十数人はいるだろうか、それだけの数の人間が、自分たちのためにステージのセッティングを行っていたのだ。その事実に三人は、少なからず驚いていた。


「どこから集めたのだ、この人間たちは」

「……とある協力者のご厚意とでも思って頂ければ。今回は人手が必要になるので、融通を利かせて頂きました」


 なんとなく引っかかる言い方ではあったが、とはいえそれ以上は大して気にすることなく、ベリアルたちは早速ステージ上に登る。


「おぉ……」


 一度登ったことのあるステージ。身にまとうステージ衣装も、あの時と同じ。観客こそいないが、そこからの眺めは何ひとつ変わらない。

 けれど――携えている緊張感は、あの時とはまるで違った。

 両隣、各々の立ち位置に立っていたアスモダイとビュレトを見やると、彼女たちもまた同じような表情をしている。

 お互い確かめずとも、その顔だけで理解できる。……それはこれまでの時間で、彼女たちが学んだことのひとつだった。


「それでは、まずは立ち位置と、照明のテストをします」


 Pが指示を飛ばす中、スタッフたちはきびきびと各々の配置につく。その動きは、もはや統率のとれた軍人のそれのようにすら思えた。

 照明がいくつか切り替わり、次は音響の確認。イヤホンマイクで声を出すと、音量やスピーカー配置などをPが微調整する。

 そういった細々とした作業が済んだところで、Pがステージ上に登ってくると全体を見回して目視で最終確認をする。

 そんな様子を漫然と眺めていた――その時のことだった。


「……電磁場が、震えている。これは……まずい、ベリアル!」

 何やらビュレトが天井を見上げて呟いていたかと思うと、急に血相を変えてそう叫び。

 彼女に倣って上を向いたその瞬間。

 視界を光が埋め尽くして、一拍遅れて轟音が響き渡る。


 それは、世界の歯車が回る音。

 彼方数千kmの洋上から放たれた高速荷電粒子砲の直撃によって、ウズメドームの天蓋が崩落するその音であった。

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