第15話

 一週間後。二十六番湾岸地区東、八十五号大通り。

 夕刻の人通りが増え始めた頃――その片隅にてレジャーシートを広げ、音響機材を設置しているベリアルたちの姿がそこにはあった。


「ぶぇっくし!」

「どうしましたベリアル、風邪でもひきましたか」


 勢いよくくしゃみをしたベリアルに、隣で機材のコードを整理していたアスモダイがそう声をかける。鼻をすすりながら、ベリアルは首を横に振った。


「バカを言うな。無機物である我々が病気になどなるものか」

「では、どこかで噂されていたのかもしれませんね。極東の民俗学的な考え方として、噂をされるとくしゃみが出る、というものがあるそうです」


 そんなことを二人が言っていると、スピーカーのチェックをしていたビュレトが鋭い表情で声を上げた。


「阿呆なことを言っているな、二人とも。開始時間までもうあまり余裕がないのだぞ!」


 気迫に満ち溢れた彼女に、ベリアルとアスモダイはバツが悪そうに顔を見合わせながら、ぽつりと呟く。


「やる気たっぷりだな、あいつ。前はあんなに不満たっぷりだったのに」

「そもそも今日出発が遅れたのも、ビュレトがぎりぎりまで練習したいと言い張ったからでしたよね」

「うぐっ……うるさいわ、貴様ら!」


 そんなやり取りをしていると、三人に通信が届く。


『ふふ、皆さんお元気そうでいいことです。……そろそろ準備は終わったみたいですね』


 声の主はベルだ。口を動かさぬまま、通信のみでベリアルは会話を続ける。


『ああ。お前からもちゃんと見えているようだな』

『はい。……本当はもっとお近くで拝見したいですけどね、あんまりスペースがないので、ここから応援しています。もし何かあればすぐに駆けつけるので、そこはご安心を』


 そう言う彼女がいるのは、少し離れたところに停車している車両の中だ。


『Pもちゃんと見ているだろうな』

『もちろんですよ。今もすっごく心配そうに貧乏ゆすりしてます』

『はっ、舐められたものだ。余計な気をもむな、と伝えておけ』

『わかりました~』


 それで通信を終了すると、ベリアルは他の二人を見回して、それから時刻を確認する。

 そろそろ、予定した開始時間だ。近隣の商店などにはPが事前の告知と宣伝の依頼をしていたらしく、遠目からこちらの様子をちらちら伺っている者もいた。

 とはいえ、通行人たちはほとんどが無視して通り過ぎていく。たまに好奇の目を向けてくる者こそあれど、足を止める者はいない。

 それはそうだろう。まだあの復興支援イベントのライブで一度人前に出ただけの無名アイドル。気にする者など、あろうはずもない。

 ……だが、それでよかった。


「お前たち、準備はできているな」


 ベリアルの言葉に、アスモダイもビュレトもしっかりと頷く。それを確認すると、ベリアルはにんまりと笑って通行人たちを一瞥した。


「人間たちは、我々になぞ見向きもしない。あの反乱で人類を脅かした天敵たる我々がここにいるにもかかわらず、誰一人としてそんなことは知りもせずに通り過ぎる。ならば――もう一度、奴らに見せてやろうではないか」


 置いていたマイクを手にとって軽く握りながら、ベリアルは続ける。


「我々はアイドルとして我々の名を、存在を奴らの脳髄に刻み込む。奴らに我々を知らしめ、そして我々もまた人間を知る。……今日はそのための、第一歩だ」


 そう言い切るとともに、ベリアルはマイクの電源を入れ、二人に目配せする。

 そうして――スピーカーから音楽が、流れ始めた。


<ここにいる――私たちの、声を聴いて……>


 ベリアルの切なげな歌声が第一声となり、静かな前奏から一転し、弾けるように旋律が巻き上がる。

 それと同時に両サイドのアスモダイとビュレトもステップとともに前に出て、マイクを持って歌い出す。


<いつか天に届いた翼、けれど私は地に堕ちた>

<届くはずだったその指先は、焔に焼かれて灰になる>


 通行人たちの視線が、ちらちらとベリアルたちに向き始める。けれどそれはまだ、「何をしているんだろう」程度の意味合いしか持たない。

 だからベリアルは、彼らを見返して歌を歌う。


<考えても分からない、世界の歯車を回すのは私? 貴方? 分からないまま終わらせるなんて、立ち止まるなんて性に合わない>

 拙いステップで広がりながら、ベリアルたちは通行人たちを見続けて歌う。


<<だからもう一度、進もうと――私たちは決めたから>>


 アスモダイとビュレトの合唱に、さらにベリアルの声が重なって。


<<<だからこうして歌うんだ――貴方たちを、知るために!>>>


 弾けるような、叫ぶようなその歌声に、通行人たちは足を止める。

 今度は確かに、ベリアルたちを見て。彼女たちの歌に――耳を傾けている。

 決して、お世辞にも上手とは言えない歌だ。たった一週間の付け焼き刃、練習方法もほとんど我流で、ベルの寄越した仮歌をなぞりながら音を合わせただけの歌。

 ダンスだって同じ。以前にPが見せた手本、その記憶を頼りに練習し、三人で動くことを考えて独自のアレンジを加えた――そのせいでかえって煩雑な動きになって、お互いぶつかりそうになったり、つまづきそうになったり。

 歌もダンスも、到底完璧には程遠い。精々六十点程度といったもの。

 だけどそれは、ベリアルたちが必死に考えて、自分たちの力で到達した六十点。

 まだ見ぬ誰かに。「観客」という存在に自分たちの声を、存在を伝えるために組み上げた、全力の歌。

 ――だから、なのかもしれない。

 いつの間にか大勢の人々が、彼女たちを真剣な眼差しで見ていて。

 そんな彼らの顔をひとつひとつ見つめて、瞳に焼き付けて。ベリアルたちは全力で、歌い上げる。


<私たちは、立ち上がる。貴方たちを、理解するため>

<私たちは、立ち上がる。見ようとしなかったものを、見つめ直すため>

<私たちは、立ち上がる――もう一度、もう一度、はるかな高みに、進化するため!>


 ――そうして終奏とともに、音楽が止んで。ベリアルたちは最後の振り付けとともに頭を下げる。

 しんとした静寂の中、ただ地面だけを見つめていると――やがて聞こえてきたのは、ぱち、ぱち、というまばらな拍手の音。そして、


「よかったぞ、嬢ちゃんたちー!」

「いいじゃん、いいじゃん!」


 わっと弾けるような声援に顔を上げると、彼女たちの周りを取り囲む人だかりに、無数の笑顔が咲いていた。

 腰の曲がった老婆であったり、小さな子供を連れた女性であったり。ママの店に来ていた客たちもの姿も見て取れる。

 降り注ぐあたたかな声援を前にして、しばらく呆然として――やがてベリアルは意を決したように、彼らに向かって口を開いた。


「……ご清聴、感謝する! 私たちは『無名』――まだ生まれたてのアイドルだ。私はベ……ある、こっちがびーちゃん、こっちがあすもという! 名前だけでもいい、今日はどうか、覚えて帰ってくれ!」


 叫ぶようにそう言い切った彼女に、「いいぞー!」とか「覚えたぜー!」とか、そんな言葉たちが返ってきて。

 そんな観客たちを前にして、ベリアルは他の二人と顔を見合わせる。

 その表情は、自然と綻んでいた。


――。

 路上ライブを撤収し、Pの用意した車で事務所に戻る最中。

 アスモダイとビュレトの二人は、疲れたのか車内でぐっすりと目を閉じて休息しているようだった。本来彼女たちに疲労という概念はないはずなのだが、人間態をとっていることで自然と生活サイクルが人間に近付きつつあるのかもしれない。

 そんな彼女たちに挟まれながら、ベリアルが流れる外の景色を見ていると――不意に運転席のPが、口を開く。


「ベリアルさん」

「うん?」

「素敵な、ライブでした。……本当に、とても」


 妙にたどたどしいそんな感想に、ベリアルは苦笑を浮かべながら返す。


「当たり前だ。だがこの程度、序の口に過ぎぬ。我々はもっと、もっと進化するぞ――お前の想像など、及びもつかないほどにな」


 そんな彼女の答えを受けて、Pは「はい」と頷いて。


「……楽しみにしています」


 そう告げたその声音は、どこか嬉しそうに聞こえた。

 運転するPの後ろ姿をぼんやりと眺めながら、ベリアルはなんとなく、声をかける。


「なあ、Pよ」

「なんでしょうか」

「お前は何故、我々にアイドルをさせようと思ったんだ?」

「皆さんなら、最高のアイドルになれると思ったからです」


 そんなベリアルの問いかけに、Pが返したのはいつかのそれと同じ答え。


「……答えになっていないな。それだけの理由で我々を盗み出すというのは、やはり無理がある」


 指摘するとPはしばし沈黙し、やがてぽつりと、こう続けた。


「……申し訳ありませんが、今はまだ、言えません」

「いつなら言える」

「いずれ、必ず」


 そんなPの答えに、ベリアルは小さく鼻を鳴らして。


「そうか、ならよい。少なくともそれまでは、この余興に付き合ってやろう。それもまた、悪くはない――」


 そう呟くと、シートに深く体を沈める。

 意識が曖昧になって、体を動かすのが億劫に感じられてくる。

これが「眠気」という感覚か――その心地よい気だるさに包まれながら、アスモダイたちと同じように、ベリアルはそのまま目を閉じた。


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