第14話
その日の夕方。「もう大丈夫よ、ありがとうね」というママの言葉でアルバイトを切り上げると、ベリアルたちは事務所に戻ってきて早々にジャージに着替え、レッスン室にいた。
アスモダイとビュレト、真剣な表情の二人を順に見つめてベリアルは頷くと。
「よし、早速練習――」
「その前に、失礼します」
意気揚々と宣言しかけたベリアルが言い終わるより前に、そう言ってPがレッスン室へと立ち入ってきた。
盛大にずっこけながら、ベリアルは恨みがましい目でPを睨む。
「なんだお前、我々がこれから練習を始めようと意気込んでいる時に!」
「それ自体はとても喜ばしいことだと思います。ベルさんの思いつきも、たまにはアテになるものですね……と、それはさておき。練習に先んじて一件、皆さんにご報告したいことがありまして」
「「「報告?」」」
声を重ねて訊き返す三人に、Pは頷きながらこう続けた。
「皆さんの、次のライブの段取りが決まりました」
「なに! それは本当か!」
ぱあっと表情を明るくすると、わくわくした様子でベリアルは問いを重ねる。
「どこでやるんだ、いつなんだ、勿体をつけずに早く言え!」
そんな彼女たちに、Pは懐から携帯端末を取り出して確認しながら――
「日付は一週間後。場所は二十六番湾岸地区東、八十五号大通りです」
「……大通り?」
「はい。……ああ、許可などの件についてはご安心を。周辺地域の商店などには了承を得ています」
「いや、そういうことではなく!」
首をぶんぶんと振って、ベリアルは困惑げな顔でPに向き直る。
「ライブというのは、昨日のあれのようにステージを使用して行うものではないのか?」
「なるほど、そういうことですか。……これはいわゆる路上ライブというもので、これもライブの一形態なのです」
淡々とそう語るPに、隣でビュレトが疑わしげな目を向ける。
「場所を確保できなかっただけではないのか?」
「それもありますが」
あっさりとそう認めながら、Pはしかし言葉をさらに続けた。
「厳しいことを言うようですが――恐らく、今の皆さんではステージを借りてライブを開催したとしても集客は振るわないでしょう。今はまず、皆さんのことを世間に知ってもらう必要がある……そのための宣伝活動としての路上ライブとお考え下さい」
そんなPの説明にベリアルたちは互いに顔を見合わせて。それからやがて、肩をすくめて頷く。
「……いいだろう。どのみち、何かしら直近での目標がなければ動きづらかった部分もあるしな」
「一週間後なら丁度いい腕試し、といったタイミングですね」
「はっ、腕が鳴るわ」
そんな彼らの表情を見回した後、Pもまた小さく頷き返して踵を返す。
「それでは、頑張って下さい。……今の皆さんならきっと、昨日とは違うライブを作ることができるはずです」
そんな彼の言葉などすでに聞こえていない様子で、ベリアルたちはもう、練習の準備を始めていた。
――。
そんな彼女たちとはまったく関わりもない場所で、世界は静かに歯車を回し始める。
南太平洋洋上、南緯四七度九分、西経一二六度四三分に浮かぶ人工島「ルヴェイユ」。
その中枢、地下五十三層に位置する「ルヴェイユ・インダストリ」本社議事堂――役員たち全員が集結するその中に、若い女性秘書を侍らせた一人の男が入ってきた。
輝くような金髪を後ろに撫で付け、その白皙の顔立ちは端麗。三つ揃えの真っ白いスーツを着こなした、まだ若い……二十代か、せいぜい三十に届くかといった程度の若い男だ。
だが彼が入ってきた瞬間、その場にいた役員たちは皆立ち上がり、誰が号令するでもなく一様にその頭を垂れる。
そんな異様な光景の中。底の見えない笑みを浮かべながら、男は議事堂の最奥――社長の椅子へと足を運び、悠然と腰を下ろす。
「――着席せよ」
男の側に控えた女性秘書が怜悧な声で告げたその瞬間、席につき直す役員一同。
それを見回して確認すると――やがて男はゆっくりと、口を開いた。
「さて皆、ごきげんよう。本日は緊急の会議招集となり恐縮だが……役員一同、誰一人欠けることなくお集まり頂いたことにまず感謝をしよう」
涼やかな声でそう言って両手を組み、彼が顔を軽く動かすと、側の秘書が背後の大型モニターを起動させる。
世界地図の表示されたそのモニターを背に、社長席の男は静かに告げた。
「本日諸君に集まってもらったのは、他でもない、我々ルヴェイユの今後について話し合うためだ。……五年前の【ゲーティアモデル】の反乱以降に新興したばかりの我が社は、諸君の日々の努力の甲斐もあって今日に至るまで業績を伸ばし、着実に力を付け、こうして洋上に独立領土を保有するまでに至った。これは本当に素晴らしい、見事なことだと言う他ない――けれどね」
背後の世界地図が色分けされ、その各地にいくつかの紋章が浮かぶ。
「国家体制というものが喪失されて久しい今、我々軍需企業こそが国家の代替として民を導いている。だがそれゆえに――今の世界には、法がない。互いに隙を見せれば食い荒らされる、実力社会の行き着く果てだ。そんな中で、我々にはまだまだ力が足りない。北には『トリグラフ設計局』、東には『メタトロン総合商社』、そして西を『スサノヲ重工』に囲まれた状況で生き残るだけの力が。そして何より、あの【ゲーティアモデル】の――悪魔、あるいは魔王と呼ばれたブラスギアの力が」
モニターの映像が、移り変わる。映し出されたのは、いくつものブラスギアの機影。
五年前の戦争中に撮影された、【ゲーティアモデル】と呼ばれる機体たちの姿だ。
「ここにいる諸君は知ってのことと思うが――あの戦争以降、名だたる企業たちは水面下である密約を交わした。あの戦争の中で鹵獲した【ゲーティアモデル】の中枢を、互いに分配し合うというものだ。二十年前、『悪魔の頭脳』エレナ=ソロモン博士によって生み出された自律思考によって際限ない進化を遂げるAI――そのブラックボックスから吸い上げられる技術情報、戦術的価値は計り知れないものだ。それを各企業が保有することで相互に抑止力とし、【ゲーティアモデル】を保有しない企業に対しては絶対的な優位性を保つ。トリグラフもメタトロンも、そしてスサノヲも、この密約に加盟している企業たちだ。だが……数日前、その均衡を揺るがしうるひとつの情報を手に入れた」
モニターが、切り替わる。今度は、海上に浮かぶ基地のような場所……ベリアルたちが収容されていた、あの研究所である。
「スサノヲ重工所有の、秘密研究所。そこに収容されていた機体コード68,13,32……【ベリアル】【ビュレト】【アスモダイ】の三機の思考中枢が何者かに奪われたらしい。スサノヲは必死で隠そうとしているようだけれど、各企業にバレるのも時間の問題だろう。だから、ここで僕から諸君に提案したい」
椅子から立ち上がって役員たちを見回して、彼は高らかに告げる。
「今こそ、我々が動くべき時。諸企業のどこよりも先駆けて、スサノヲに手傷を負わせようじゃないか」
その言葉に、議事堂全体がざわつく。そのざわめきの中で、一人の役員が挙手をした。
「発言を許可します」
「しゃ、社長。……社長の先進的なお考えは素晴らしいものです。しかし、もし本当にスサノヲが【ゲーティアモデル】を失っていたとして、我々の保有する戦力でスサノヲと渡り合うことができるものでしょうか」
震える声で告げた役員に対して柔和に微笑むと、社長と呼ばれたその男はゆっくりと頷いて口を開く。
「いい質問だ、そして実に、尤もな不安だ。今まではちょっかいを出す程度だったから向こうも本腰を入れて反撃してくるわけじゃなかったけれど、今回は違う――本格的に、戦争を仕掛けようっていうんだからね。あの大企業スサノヲと、所詮は新興企業に過ぎない我々。残念ながら保有しているブラスギアの性能から言っても技術力では向こうの方に分がある――勝ち目があるのかと疑うのももっともだ。けれど……安心して欲しい。僕は何も、勝つことを目的にしているわけじゃない」
その言葉に聞き入るように黙り込む役員たちを睥睨して、彼は嗤う。
「我々がやるのはあくまで一番槍。スサノヲが【ゲーティアモデル】を失ったことを世に知らしめて、他の企業にもスサノヲを叩かせる。そうしてスサノヲが潰れた後、おこぼれを貰いに行けばそれでいい――それに、こちらにはとっておきもある。口で説明するのでは味気ないから、諸君にも見てもらった方がいいだろう」
そう言って社長が指を鳴らすと、その背後のモニターが切り替わり、ひとつの映像を映し出した。
海上を飛行する、十機編成の無人ブラスギアたち。青を基調とした洋上迷彩で塗装され、エンブレムの類は見えないが――その角張ったフォルムは、スサノヲ重工特有の設計だ。
大口径ライフルとシールド、そして近接戦闘用のダガーを腰に、背面には長距離航行用の飛行ユニットが装備されている。肩部や胸部には一般的な海上警備隊の採用モデルと比較して追加装甲が重ねられており、全体的な仕様から見て強襲・制圧用のモデルと思われた。
「これは先日、うちの領海に侵入してきた『所属不明の』ブラスギアでね。スサノヲは関与を否定してるが、どう考えても彼らの保有する攻撃用の無人機だ。……一応、各社の協定として今後無人機の開発・運用は禁止する……と決められているはずなのだが、やれやれ、どこもかしこもそんな約束事は守るつもりはさらさらないらしい――と、そんなことはどうでもいいんだ」
社長がそう言っている間に、映像の中でスサノヲの無人ブラスギアたちは「何か」を察知したのか隊列を変更し散開……しようとしたその刹那、映像に強烈な光とノイズが走る。
次の瞬間、映し出されていたのは一気に数を減らして一機だけになったブラスギア。
残された一機は正面の「何か」を注視するように頭部センサーを前方に傾けて――撤退の判断を下したのか方向を変えようとするが、洋上迎撃システムから発射された巡航ミサイルに捉えられ爆散、そのまま海上に破片が散らばる。
たった数秒で、スサノヲのブラスギア十機が全滅。その映像を見てざわつく役員たちを睥睨した後で、やがて余裕たっぷりに、社長はこう続ける。
「この中にもひょっとしたらスサノヲのスパイがいないとも限らないから、詳細については今は明言を控えるが――どうだろう役員諸君。そろそろ議決へと進みたいのだが、異論はないかな」
返ってきたのは、沈黙のみ。それを確認した後、隣の秘書が続けて口を開いた。
「ではこれより、議決を取ります。本件に賛成の役員は、拍手を」
議事堂を包み続ける静寂。けれどやがて、まばらに手を叩く音が聞こえ始め――程なくして辺りに、割れんばかりの拍手が響き渡る。
「社長に、賛成!」
「ルヴェイユの未来に、栄光あれ!」
そんな声援をも飛ぶ中で、秘書が声高に告げた。
「では、これにて議決――満場一致で、クレト社長の議題を可決といたします!」
世界の歯車は、回り始める。
いつだってそれは神によるものでも悪魔によるものでもなく。まぎれもない人間の手によって、回されるものなのだ。
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