第13話

 昼下がりになって、客足も途絶え始めた頃。「そろそろ休憩しましょ」というママの一声で、三人はテーブルについていた。

 目の前には、まかないとしてママが振る舞ってくれた料理が並んでいる。ナポリタンの上にふんわりとした柔らかなオムレツが掛けられたもの――ママ曰く「オムナポリタン、うちの隠しメニューなのよ」だそうだ。


「ふむ、なるほど……オムナポリタン。鶏卵を使用したオムレツと呼ばれる料理とトマト調味料、豚肉、ピーマンおよびオニオン、そして小麦粉を細長く成形した麺類で構成された複合料理ですか。同じくオムレツと炭水化物、トマト調味料を主軸として作られるオムライスという料理も存在するようですから、その類型とも言えましょうか――なるほど、これは実に興味深い味覚情報です」


 表情が乏しくて分かりづらいが、明らかに興奮した様子で出された食事を平らげていくアスモダイ。人間の食事に妙に執着を持っていた彼女にとって、絶好の機会なのだろう。


「あらあら、そんなふうに美味しそうに食べてもらえると作りがいがあるわぁ。……みんな、今日はありがとうね。午後はお客さんもそんなに来ないから、ゆっくりしてちょうだい」


 明らかに非人間的なアスモダイの言葉を大して気にした様子もなく、そう言い残して店の奥に入っていくママ。その背中を見送った後、ベリアルもまた食事をつつきながらビュレトに声をかけた。


「どうした、食べないのか。アスモダイではないが、なるほど食事というのは確かに中々悪いものではないぞ」


 先ほどからずっと何か考え込んでいる様子のビュレト。ベリアルの言葉に顔を上げると、彼女は珍しく物憂げな表情で呟いた。


「なあ、ベリアルよ。……人間というのは、何なのだろう」

「どうした、いきなり」


 眉根を寄せるベリアルに、ビュレトはぽつぽつと続ける。


「……人間は、愚かだ。奴らはいつまでも互いに争い、奪い合うことを望み、その願いの果てに我々を生み出した。なのに――なぜ奴らは、平和を願う? あんな顔をして、平和を望む? そんなの、矛盾しているではないか」


 そんな彼女の問いかけに、ベリアルは腕を組んで黙考し。やがて肩をすくめながら、こう返す。


「……わからん。だがその『わからなさ』は恐らく、私が昨日感じたものと関連性の高いものだ」

「……ベリアル」

「人間は、戦争のために我々を生み出した。人間同士の殺し合いを、我々に全て押し付けた。それゆえに我々は考えた、『人間は、愚かだ。彼らは常に争い、奪い合う生き物である』と。だが……それだけではないのかもしれない。そう考えたから私は人間をより正確に、深く理解する必要があると感じた。……お前はどうだ?」

「我は……」


 言いよどむビュレト。すると沈黙していたアスモダイが、いきなり彼女の口にオムナポリタンを巻きつけたフォークを突っ込んできた。


「っ、む~~~~……!! っぷは、何をするかアスモダイ!」

「どうでしたか、食事の味は。『未知』だったでしょう」

「当たり前だ、人間の食事など摂取したことはないのだから――」

「僕は昨日、Pさんに色々買ってもらって摂取しました。『ヤキソバ』『タコヤキ』『リンゴアメ』――どれも食感や嗅覚情報、味覚情報ともに全く異なる食事でした」


 言いながら彼女は自分でも一口食べて、


「ふふぁひへふへ、ひゅへほはふ」

「嚥下してから喋れ」

「つまりですね、ビュレトさん」


 ハムスターのように頬張っていたものを飲み込んだ後、アスモダイは真面目な表情で続けた。


「食事と同じ、人間にも色々な類型、思考パターンがある……そういうことだとは思いませんか。それこそ僕たちが、そうであるように」

「だから、知っていく必要があると?」

「ええ。……あの戦いで僕たちが負けたことには、意味があると思っています。僕たちはまた経験を蓄積し、進化していく必要がある――同じミスをしないためにも」


 そんなアスモダイの言葉に、ビュレトは眉間を押さえて口をぎゅっとつぐんだ後。


「~~~~~ああもう、よく分からん!」


 そう叫んだかと思うと、目の前のオムナポリタンを勢いよく口にかきこんであっという間に食べ尽くし――ベリアルとアスモダイを順に見つめて、ケチャップのついた口で続けた。


「分からんが、分かった! 演算に必要な情報が不足している今、思考に意味はない! とにかく今は、アイドルとして進化するために必要なことはなんでもする――ああ、なんでもしてやるとも!」


 丁度その時、ドアベルが鳴って客が数人入ってくるのが見えた。ベリアルが立ち上がろうとするのを手で制して、大股で接客に向かうビュレト。


「いいい、いらっしゃいませ!!」


 人見知りは続いているようで、声は震えていたが……ぎくしゃくしながらもそうしている彼女を見て、ベリアルはアスモダイとともに顔を見合わせ、肩をすくめる。

「休憩は終わりだ。我々も、進もうではないか。経験の蓄積と、さらなる進化のために」


――。

 そんな彼女たちが知らぬところ。店の裏手で、ママは一人の男と並んで一服していた。

 ……と言っても、煙をくゆらせているのはママの方だけだったが。

 紫煙を静かに吐くママに、隣の男――Pは丁寧に頭を下げた。


「彼女たちを受け入れて下さったこと、感謝します」

「あら、古い馴染みなんだから気にしないで。それにお礼を言いたいのはこっちの方よ。よく働いてくれてるし、お客さんたちからの評判も良いしね。……むしろ良かったの? 貴重な練習時間を割いてまで、うちでウェイトレスなんかさせてて」


「二十六番地区の顔役である貴方のもとにいれば、多くの方に彼女たちの存在をアピールできますから」

「正直に言うのね、嫌いじゃないけど」


 くすりと笑いながら携帯灰皿に吸い殻を落として、ママは腕を組む。


「それにしても、あの子たちがあの『魔王』とはねぇ。貴方から聞いたんじゃなければ、冗談だと思うところだわ」

「無理もありません。今の彼女たちに、当時のような力はありませんから」


 大真面目にそう返すPに少し苦笑しながら、ママはかぶりを振る。


「そういう意味じゃなくてさ。あの子たち――すっごく不器用なのよ」

「……損害が出ているなら、後で請求して頂ければ」

「だからそういう意味じゃなくて。なんていうのかしらね、とっても一生懸命に、バカ正直に、いろんなことと向き合おうとしてる。効率や論理とは違うものを、少しずつ掴もうとしている……まるで人間の子供みたいに」


 呟きながら、ママは建物の隙間から見える空を見上げてぽつりと続ける。


「あれが、『彼女』が望んだカタチなのかしら」

「……分かりません。ただ、今は信じたいと思います。彼女たちのことを」


 それだけ返すと、Pは腕時計を一瞥してママに一礼する。


「では、すみません。この後の予定があるので失礼します。……重ねてありがとうございます。『大佐殿』」

「国連軍はもう消滅してるんだから――今度その呼び方したらキレるわよ」

「失礼しました、ママさん」


 そう言っていそいそと踵を返すPの後ろ姿を見送りながら、ママは再び小さく苦笑する。


「……不器用なのは、あいつも同じか」


 それは、彼女たちの知らぬところ。彼女たちが知りようもない、二人の話だ。

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