第8話
「ぬ、ぬ、ぬう…………」
ひととおり会場を見回り、段取りの説明などを受けた後。ステージ袖の控え場所でしゃがみこんで唸っていたのは、ビュレトだった。
意外にも人見知りらしいことが判明した彼女。どうやら周りで出番を待っている出場者たち、そして何よりステージ前に集まった大勢の観客たちを前にして完全に萎縮しているらしかった。
「【ゲーティアモデル】でも最高クラスの探査・索敵能力を持っていた貴方が人見知りとは。これは意外な」
「うるさいわ! す、少しばかり状況把握のために演算処理がかさんでいただけだ!」
無表情ながらどこか愉快そうに呟くアスモダイに、ビュレトはすっくと立ち上がって首を横に振る。
「それより貴様こそ、先ほどからきょろきょろと落ち着きのない。本番でまでそんな調子で、失敗でもしないだろうな?」
「問題ありません。……あ、そうそうPさん。先ほど言っていたことですが、ちゃんと屋台で指定した食料品を買ってきておいて下さいね」
……などと、今ひとつ緊張感のないやり取りの中。「魔王」三人のうち一人、ベリアルはというと関係者入り口から入場してずっと、不満げな視線をPに向け続けていた。
というのも。
「……おい、P。何なのだ、この……我々のグループ名は」
そう言って、首から下げていた入場証を持ち上げるベリアル。そこに書かれていたのはグループ『無名』」という印字であった。
「ああ、すみません。昨日すぐに登録しなければいけなかったもので、暫定的にそのように」
「……理由は分からんでもないがな。だがよりによって、『無名』だと? 【ゲーティアモデル】たる我々に、よりにもよってあの仇敵と同じ名を背負わせるとは、どういう了見だ!」
「おっしゃりたいことは分かりますが、今は飲んで頂ければ。……グループ名については後々に改めて考えましょう。それよりも、皆さん」
声を掛けられ首を傾げる三人に向かって、Pはこう続けた。
「皆さんは、まさかとは思いますがステージでも、そのままのお名前を名乗られるおつもりですか?」
「……む」
言われてそこで、ベリアルもPの意図することを理解した。
ベリアル、アスモダイ、ビュレト。その名は人間にとって、もはや特別な意味合いを持ちすぎている。
アイドルとして、大人数の前でその名を名乗ることが流石に非現実的であることは、ベリアルたちにも理解できた。
「……だが、どうする。我々を識別する呼称は、これ以外にはあとは型式番号くらいしかないぞ」
「ええ、そうでしょう。そう思ったので、私が用意しておきました……と、ベルさんからの言伝です」
「あいつか」
苦い顔をする三人に向かって、Pは懐からメモ書きを取り出すと順に指差して続ける。
「まず、ビュレトさんが『びーちゃん』」
「なっ!?」
「アスモダイさんが、『あすも』」
「安直ですね。合理的ですが」
「そしてベリアルさんが、『ある』」
「適当すぎる……」
文句たらたらの三人に、Pも微妙な顔をしながら頭をかく。
「とはいえ今は代案もないですし、何より今回の出場では皆さんのこと、この名前で登録しているので諦めて下さい」
「もう少し何とかならんのか、もう少し!」
「そうだぞ! 我など貴様とほとんど同じではないか! まぎらわしいぞ!」
「びーちゃん」ことビュレトが怒り心頭でPに食って掛かっていると、ステージからこちらにも届くくらいの大きな音が響いてくる。
拍手と、人々の喝采。それらに後押しされるようにしながら、直前に出場していた別のアイドルグループたちが戻ってきていた。
笑顔で、涙すら浮かべている彼女たち。一体なぜそんな顔をしているのだろうか?
ベリアルが疑問を浮かべていると、会場スタッフがこちらに向かって声を掛けてくる。
「『無名』の皆さん、そろそろ出番でーす」
「分かりました」
スタッフに頷くと、Pは三人に向き直りこう告げた。
「……というわけなので皆さん、言いたいことは色々あるかとは思いますが、まずは宜しくお願いします」
「ちっ、後で覚えておれよ!」
言いながらステージへの階段に足をかけるビュレトとアスモダイ。
そしてベリアルもそれに続いて――Pに一度振り返ると、にやりと笑ってこう告げた。
「見ていろよ人間。我々は完璧に、こなしてみせるぞ」
そんな彼女の言葉に、Pは少しだけ。ほんの少しだけその表情を歪めて。
「……そうですか。では、ご健闘を」
と、それだけ呟いた。
――。
ステージ上に立って、まず最初に感じたのは光。
そして――三人を迎える無数の、人間たちの視線だった。
『……人間が、こ、こんなにっ……』
『落ち着け。たかが人間ごときに思考を乱されるな』
秘匿回線で上ずった声を漏らすビュレトに、ベリアルはなだめるように返す。
そんな中、挨拶をするでもなく沈黙している彼女たちの様子を緊張ととったのか、司会進行の女性がにこやかな笑みとともに紹介を始めた。
「ええと、皆さんはなんと今日初デビューの新アイドルグループだそうです! ええと、名前は……『無名』? わぁ、これはこれで逆に個性的なグループ名ですね! それでは『無名』の皆さん、お一人づつお名前を教えて頂いてもいいですか?」
そんな司会の振りに、ベリアルたちはぶっきらぼうな様子で口を開く。
「ベリ……いや、『ある』だ」
「あすも」
「びー……ちゃん」
各々そう告げて。それからベリアルは、仕切り直すように司会に向かってこう続けた。
「おい、こんな紹介をして何になる。我々は、ライブとやらをしに来たのだ」
「え、は? ああ……なるほど。『無名』の皆さん、可愛らしい見た目によらずなかなかストイックな方々のようです! これは自信ありということでしょうか――それでは皆さん、ぜひとも『無名』の三人のパフォーマンスにご注目を!」
どうやらなかなかのベテランらしい。ベリアルの態度にも調子を崩さず司会はそう続けて、それと同時に音楽が始まる。
流れたその曲は、「復興の女神」リンカのそれ。観客たちが顔を見合わせる中、構わずにベリアルたちは動き出した。
体にプログラムとして記憶させた動作を再生。歌も同様に、ただ機械的に、そう入力した通りに出力していく。
ビュレトの動揺も、パフォーマンスに影響することはない。思考と動作を切り離して、ただ目的を「完璧に」遂行する。それがブラスギアたる、人工知能たる彼女たちの機能だからだ。
ただ、そう動くと設定した通りに動き、調律した通りに声を出す。その繰り返し。
目の前に広がる無数の人間たちなど、視界に入らない。そんなものは、何の意味も持たないから。
愚かな人間たちなど――そこにいようといまいと、どちらでも同じこと。
完璧なパフォーマンスさえこなせば、「アイドル」とやらになることなど、造作もない。
……音楽が終わると同時に、ダンスの最後のポーズを解く。
そこで初めて、ベリアルは前を見る。
――無音。そしてやや遅れて聞こえてきたのは、戸惑うようなざわめきだった。
「……何だ、あれ? 『リンカ』のコピーバンド?」
「すっげぇ上手いけど……上手いけどなぁ、なんか」
そんな人間たちの様子を見て、ようやくベリアルは違和感を覚え始める。ベリアルたちの直前にも、アイドルグループが出場していた。そしてその出番の後、彼女たちは拍手とともに、声援とともに戻ってきていた。
なぜ、そうなっていない? なぜ、目の前の無数の人間たちは、こんなにも静かなのだ?
そんな疑問が浮かび始める中、司会の女性がやや慌てた様子で声を上げた。
「……えっと、はい! 『リンカ』のライブを再現した素晴らしいパフォーマンスでした! いやー、初めてとは思えないほどの完璧な完成度でしたね! では皆さん、『無名』の三人にどうか拍手を!」
そんな司会進行でようやくまばらな拍手が鳴り始め、ステージ袖のスタッフの合図で戻っていく三人。
……後ろから聞こえてきた拍手の音は、すぐに止んだ。
「お疲れ様でした、皆さん」
ライブ後とは思えないほどの静けさの中で、気付くとベリアルたちの目の前にPがいた。
何の感情も読み取れないその無表情に向かって、ベリアルは浮かんだ疑問を投げかける。
「おい、P」
「はい」
「……なぜだ? なぜ、あの人間たちの反応は、映像の『アイドル』へのものと違ったのだ」
最初に彼から見せられた映像。そして、先ほどの別のアイドル。その両者とも、人間たちからは喝采と拍手を受けていた。
だが、今の自分たちへの反応は何だ?
「我々は『完璧』だったはずだ。なのになぜ、違うのだ?」
そんなベリアルの問いかけに、Pは三人を見つめ返して。それから――ゆっくりと、ステージの方を指差して告げる。
「いい機会です。今の貴方がたなら、直接見ればきっとその答えを、ご自身で掴んで下さるでしょう」
そんな彼の言葉に従うわけではなかったが。けれどベリアルたちは舞台袖からステージを見る。
そこに立っていたのは、リンカ=エーデルワイス――彼女だった。
「『無名』ちゃんたち、凄かったね! 初めてとは思えないくらいの完璧なライブだったから、私ドッキドキだよ。皆はどう?」
会場から、口々に観客たちが答える。その声に耳を傾けた後で、リンカは会場をぐるりと見回すようにして笑みを浮かべて――それからこう続けた。
「あの子たちのすっごいパフォーマンスの後じゃ、私も負けていられない。……とは言いつつ、用意してたのおんなじ曲だったんだけどね。どうしようかな、うーん……しょうがない! 予定とは違うけど今日は特別に、まだラジオでしか公開してない新曲、やっちゃいますかぁ!」
そう彼女が言った瞬間、会場を震わすほどの歓声とともに観客たちが沸き立って。
流れ出したイントロとともに、リンカの歌声が煌めく。
ステージ上の彼女の歌とダンス。「予定と違う」という彼女の言葉は真実なのだろう、歌声はほんの少しだけ逸っていて、ダンスもところどころ繋ぎの甘さが見え隠れする、即興らしさを感じさせるもの。
だが、それでも――おそらく「完璧」ではないはずのそのパフォーマンスでも、観客たちの熱狂は凄まじかった。
ステージ上に誰もが釘付けにされ、魅了され。時にコール&レスポンスを求められれば、喉が張り裂けんほどに観客たちも声を出す。
ステージ上と観客席が別ではなく、会場そのものが一体となっているような空気感。
目の当たりにしたそれを処理しきれず、ベリアルはただ、言葉を失う。……アスモダイとビュレトもまた、その顔に同じような表情を浮かべていた。
未知への恐怖。それだけではない、一抹の――
「……ッ!」
浮かんだその思考を認めたくなくて、ベリアルは気づけば、駆け出していた。
「ベリアルさん!」
止める声も聞かず、ステージの裏手を一目散に走っていくベリアル。
Pが慌てて追いかけるが、ごった返し入り組んだ舞台裏にはもう、彼女の姿は見当たらなかった。
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