第5話

 翌日。事務所内の仮眠室からPが出てくると、ソファにはぐったりとした様子の魔王たちが横たわっていた。


「あ、プロデューサーさん。おはようございます」


 にこにこししながら挨拶してくるベルに、Pはソファの惨状を指差しながら問う。


「ベルさん、これは?」

「いやぁ、皆さんなかなか声作りに苦労されていたので、サンプルとしてわたし秘蔵の戦前アイドルソングメドレーを六時間ほどみっちり頭に叩き込んでもらいました」

「なるほど……ご苦労さまです。それで、どうでしょうか」

「成果は上々ですよ。ね、皆さん?」


 そう彼女が促すと、倒れていたベリアルたちはよろよろと身を起こしながらPを見て口を開く。


「うぅ、まだ電脳がガンガンするぞ……」


弱々しいが芯の強そうな、凛とした張りのある声でそう言ったのはベリアル。


「……歌が。歌が、聞こえます……うぅ……」


 少し大人びた、落ち着いた声音でそう呟いたのはアスモダイ。そして、


「おいP、この女おかしいぞ、我々を椅子に縛り付けて頭にヘッドホンを――」

「あら、せっかく特訓に付き合って差し上げましたのに、なにか不満でも?」

「ひぃッ!」


 ひときわ怯えた様子ながら、理知的な声色でそう言ったのはビュレトであった。

 三人とも、もともとの男性的な声音からがらりと変わって、外見相応の可愛らしさ、何より各々の性格とよく合った声である。


「あとは喋り方も矯正できるとよかったんですけどねぇ。まあそこはアイドルとしてのキャラ付けと考えるのもアリかなと思ったので、このままにしておきました」

「結構だと思います、ありがとうございます、ベルさん」

「えへへ」


 嬉しそうに目を細める彼女に一礼した後、Pは疲労困憊した様子のベリアルたちをぐるりと見回して、ぱんと両手を叩く。


「では皆さん。ボイストレーニングが終わったところで、次はいよいよ、ダンスと歌のレッスンです」

「何だと? 少し休憩を……」

「皆さんに疲労の概念はないでしょう、問題ありません。……それに少々、急がなければならない事情もあるのです」

「どういうことだ?」

「これです」


 そう言うと、Pはそばのホワイトボードをばん、と叩いて勢いよくひっくり返す。

 裏面には「二十六番湾岸地区復興イベント!!」と妙に整った字で書かれていた。


「実は近々、この辺りで復興支援のための大規模なお祭り企画が予定されていまして。その一環として、アイドルを招いてのステージイベントも用意されているのです」

「ほう」


 疲弊を見せていた三人の目に、興味の色が浮かび始める。


「参加に実績などは不問で、私たちのような新参でも参加可能な貴重なイベント――しかも今年はあの『復興の女神』も参加するとのことで、動員数も見込めることでしょう。私はそのステージを、ぜひ皆さんのファーストステージとして利用したいと思っています」


 そんなPの説明に、ベリアルがにやり、と不敵な笑みを浮かべた。


「……なるほどな、悪くない。我々としても行動を起こすならば早い方が良いからな。……それで、そのイベントとやらはいつ開催されるのだ? 急ぎだとお前は言っていたが」

「明日です」

「ほう、明日。………………明日?」


 訊き返すベリアルに、頷くP。


「ご安心下さい、昨晩のうちに参加の申請は済ませてあります」

「そっちを心配しているわけではない! 正気かお前、我々は昨日初めてこの身体を造ったばかりなのだぞ、歌に、ダンスだと――」


 昨晩、大量の音声データを覚え込まされるついでにアイドルのステージ映像も一緒に見せられた。どれも激しく、複雑な動作の組み合わせ。慣れない人間の体であれと同じことをしろというのは、かなりの難易度だろう。

 だがPは、珍しく意外そうな顔をしてベリアルを見る。


「できないんですか? ……【ゲーティアモデル】の最高峰、その中枢AIであった貴方がたが、人間風情にもできることをできないと?」

「ぐっ……」


 論理のすり替えも良いところだったが、頭に血が上っていた上に昨晩の拷問めいたボイストレーニングのせいもあって、ベリアルの判断力は大きく鈍っていた。それゆえだろう、ぎりりと歯噛みした末、彼女は思わずこう言葉を返す。


「で、できないとは言っていない! 我々AIの本質は『学習』と『進化』――その程度のことを覚え込むなど、造作もないわ!」

「ああ、やはり流石は『魔王』と呼ばれた方々です。では早速レッスンを始めていきましょう。時間は待ってはくれませんからね。運動着に着替えて、二階に集合して下さい。私も先に向かっています」

「じゃ、お着替えしましょうね、皆さん」


 言いながら早々に立ち去るPと、入れ替わりにいつの間にか揃いのジャージを抱えて三人のそばに立っているベル。


「はてさて、これは非合理的なことですね」


 他人事のようなアスモダイの言葉が、薄暗い事務所でしんと響く。

 ちなみに妙に静かだったビュレトを見ると、すでに昨晩のアレでオーバーヒートしたようで、べっちょりと倒れ伏していた。


――。

 しぶしぶ練習用のジャージに着替えると、三人は事務所ビル二階のレッスン室へと足を踏み入れた。

 正面に大きな鏡が備え付けられた、板張りの空間。片隅には映像確認用だろう、モニターも置いてある。


「では、始めていきましょうか」


 スーツを着た昨日と変わらぬ服装のまま言うPに、整列した三人は眉根を寄せる。


「どうするのだ」

「先ほども申し上げた通り、時間がありませんのである程度いっぺんにやっていきましょう」

「いっぺんに?」


 頷くと、いきなりスーツの上着を脱いで近くの手すりに掛けるP。


「今から皆さんのための歌を、音源でお聞かせします。ダンスに関しては、不肖この私が手本を示させて頂きますので――一度で覚えて下さい。皆さんであれば、記憶するという点に関しては造作ないことでしょう」


 言いながら軽く腕のストレッチをするP。ずっと真顔なので分からないが、冗談を言っているわけではないらしい。


「では、ベルさん。音源を」

「はいはーい。あ、ちなみに仮歌と作曲はわたしです」


 至極どうでもいい情報とともに、ベルがラジカセの再生ボタンを押す。軽快でポップなメロディが始まると――呆気にとられるベリアルたちの前でPが動き出した。

 長い手足を俊敏に動かして、要所要所で可愛らしいステップとポーズを決めていくP。踊っているのが無表情の成人男性であることを除けば、なかなかに魅力的なダンスと言えよう。

 呆然とその振り付けを視覚記録に収めていると、やがて曲が終わり、最後の決めポーズのままの姿勢でPが三人に顔だけ向ける。


「とまあ、こんな感じです。記録されましたか?」

「う、うむ……問題ない」


 結構激しいダンスであったにもかかわらず、汗ひとつかいていないP。彼は再び上着に袖を通すと、「では」と出口に向かって歩き出した。


「どこへ行くのだ」

「少々、外回りの業務が立て込んでおりまして。……本当ならばレッスンに立ち会いたいところなのですが、私もベルさんも留守にせざるを得ません。音源や、参考映像として振り付けの映像はそこのモニターにデータとして入れてありますので……非常に申し訳ないですがお三方だけで今日一日、自主練をして頂ければと」

「自主練……」


 顔を見合わせる三人に、わずかに申し訳無さそうな表情で、Pはこう続けた。


「日程的にも強行軍です。私がこんなことを言うのも変な話ですが――決して完璧を求める必要はありません」

「完璧でなくて、いい? それはどういうことですか」


 不思議そうな顔で問うたのはアスモダイ。そんな彼女に、Pはこう続ける。


「……アイドルのライブは、パフォーマンスの提供である以上に観客との交流です。ライブは、その手段でしかない――それを念頭に、どうか練習に励んで頂ければと」


 それだけ言い残して、レッスン室を後にするPとベル。

 残された三人は顔を見合わせて、皆一様に、首を傾げる。


「……よく分からんことを言うだけ言っていなくなったぞ、あいつ」

「非論理的な内容です」

「ふん、巫山戯よってからに……。ベリアルよ、あんな人間風情の言いつけなど守る必要あるまい!」


 声高に言うビュレトに、ベリアルはしかししばらくの沈黙の後、首を横に振る。


「まあそう言うなよ、ビュレト。我々はこの体になってまだ間もない。その上いまだこの首輪を外す目処もついてはおらぬ状況だ、少しでもこの矮小で脆弱な体にも慣れておく必要はあろう」

「……まあ、そうだが」


 不承不承頷くビュレトに、ベリアルはぴんと指を立てて。


「そのための肩慣らしとして、やつの言う『ダンス』とやらを練習するのも悪くはない。それに――このままあの人間に侮られたままというのも癪だろう」


 そんなベリアルの言葉に、アスモダイもまた頷いた。


「そうですね。それに、あの人間が言い残したことも気にはなりますから」

「我やベリアルと違って貴様は昔から細かいからな、アスモダイ」

「未知への探究を最重要命題として設定しているだけです」


 肩をすくめてそう応じるアスモダイ。ともあれ三人とも、方針は一致した。


「では、早速始めようではないか。……なに、あんな人間風情ですらできることだ、我々にできぬはずがない!」


 自信満々にそう言うと、ベリアルはラジカセの再生ボタンを勢いよく押す――


――。

 一方その頃。

 事務所を後にして「廃棄街」を歩きながら――ベルは一歩前を進むPに向かって、いたずらっぽい調子で口を開いた。


「意地悪ですね、プロデューサーさん。もう少し分かりやすく言ってあげた方がよかったんじゃないですか?」

「いいんです。こういうことは自分で気付かなければ、本当に意味があるとは言えませんから」

「でも、あれじゃきっと、上手くいきませんよ?」


 そんなベルの言葉に、珍しくわずかな感情のゆらぎを込めながら、彼は続ける。


「それでいいと思っています。一度失敗するくらいの方が、こういうことはかえって近道になるものですから。……ベルさんも、そうだったでしょう?」

「なるほど。まだまだ人間というのは、奥が深いですね」


 愉快そうにうんうんと頷く彼女を一瞥し、Pは「それより」と続けた。


「ベルさん、昨晩は予定通りに?」

「ええ、ばっちりです。皆さんグロッキー状態でしたから、データのサンプリングも簡単でした」


 手でOKの形を作りながら言うベルに、Pは頷いて。


「であれば、準備は全て整いましたね。……急ぐとしましょう。あまり考えたくはありませんが、場合によっては早々に、必要になってしまうかもしれませんから」


 そう呟きながら、薄暗い路地を足早に進んでいく。

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