第4話
人気のない廃墟群、少し開けた場所を見つけて巧みにヘリを着陸させると、Pはベリアルたちを連れて瓦礫の間を慣れた足取りで進んでゆく。
やがて人気と喧騒とが感じられるようになり、周囲の景色も、瓦礫の撤去されたある程度整然とした街並みへと変わりつつあった。
道行く人々の風体は様々。薄汚れた格好でジャンク部品の詰まったリヤカーを引く子供、破れた野戦服を着てしゃがみ込む男性、きわどい服装で街角に立つ女性――人間の文化風俗についての知識はそう持ち合わせていないが、ベリアルの目から見ても、ぴっちりとスーツを着込んだPの姿はこの街ではいささか浮いているように思えた。
「ここは?」
ベリアルの問いに、前を進むPが答える。
「旧極東地域、二十六番湾岸地区――俗称、『廃棄街』。戦後四年と言っても、極東では中央部の復興がようやく一段落した程度でしてね。現状この極東を支配している『スサノヲ重工』にとっては、この辺りは復興計画の対象外なんです」
「その割に、人間が住み着いているようですが」
アスモダイの言葉に頷くP。
「復興の対象外であるということは、企業による管理の対象外でもあります。企業による庇護を受けられない孤児や、あるいは何かしら事情のある者――そういった者たちが身を寄せ合って暮らしているんです」
「企業とやらは、ここにいる人間をどう思っているんだ?」
ベリアルのその質問に、Pは少しだけ沈黙して。
「……『なんとも思っていない』というのが、一番適切な表現でしょうね。今この世界を支配している、数多の企業。彼らが手を差し伸べる相手はあくまで商品に対して対価を支払える者――つまり、『顧客』。それ以外の人間は、彼らにとっては存在しないのと同じことです」
「対価に応じて資源を供与する。対価の払えない者には、サービスを提供しない……というわけですか。人間にしては論理的で、正しい選択です」
顎に手を当てて頷くアスモダイに、Pは「そうかもしれませんね」と頷く。
「ですが、それゆえに反発する者も出てくるのが人間というものでしてね。こういった『廃棄街』には、企業に対してよく思っていない者も少なくはない……と、言われています」
「非合理的ですね、人間というのは」
そんな会話をよそに、歩きながらずっと眉間にしわを寄せていたビュレトが口を開いた。
「……ふん、人間風情の事情などどうでもいいわ。それよりPとやら、貴様は我々をどこに連れて行く気だ」
「ああ、失敬。まだお伝えしていませんでしたね。……じき、見えてきます」
言いながら、薄汚れた雑居ビルの並ぶ区画へと入り込んでいくP。蜘蛛の巣のように張り巡らされた細い通りを進んでいくと――
「ここが、目的地です」
そう言って彼が立ち止まったのは、路地裏の日陰にひっそりと佇む三階建のビル。
よく見ると三階の窓には裏打ちで何か、文字が張ってある。それは最初にPが寄越してきた名刺にあった名前と同じ。
「プリンセスプロダクション。こちらが私どものプロダクションの、事務所になります」
そう言ってPは、ベリアルたちに向かって再び頭を下げてみせたのであった。
――。
ビルの外観とは裏腹に、入ってみると内部は案外綺麗なものだった。
無論、老朽化の様相はあちらこちらに見え隠れしていて壁や床に細かなひび割れなどは見えるが、それでも定期的に掃除が行き届いているのか、土埃などは目立たない。
「二階がレッスン室、三階が事務所となっております。まずは、事務所の方へ」
そう告げたPに連れられ階段を上り、軋んだ音を上げる扉を開けると――
「あー、プロデューサーさん、おかえりなさい~~~~っ!」
きんきんと響くはつらつとした声とともに、いきなりベリアルの視界を埋め尽くしたのは巨大な胸だった。
白いエプロンに包まれたその胸はベリアルの顔面をもっちゃりと包み込んだかと思うと、そのままぐいと身体を抱きしめてくる。
「ぬおぉ!」
「あーもう心配したんですからね、通信傍受の危険があるからってわたしのオペレートなしで『スサノヲ』の懐に一人で行っちゃいますし~~~!」
「あの、ベルさん」
「しかも聞きましたよ、途中で警備部隊に絡まれたって! こっちに着いたら連絡するって言ってたのに全然通信入れてくれなかったですし、本当に本当に心配したんですからね~~~!!!!」
「ベルさん、私はこっちです」
「あら」
Pがそう声をかけるとようやく、ベリアルを窒息死させんとしていた胸が離れる。
事務所の入り口に立っていたのは――いわゆるメイド服を着た女性だった。
身長はベリアルたちよりほんの少し高い程度だが、胸元はそれと不釣り合いに豊満。髪の色は銀色に近いが、アスモダイの人間態とは少し違い、やや緑がかったような不思議な色合い。
ベリアルたちをぐるりと見回した後、彼女はPに向かって苦笑を浮かべた。
「あはは、おかえりなさいませ、プロデューサーさん。慌てちゃってつい間違えちゃいました。……ご無事に戻られたということは、ひょっとしてこのお三方が?」
「ええ。『魔王』の皆さんです」
そう返した後で、Pは「失礼しました」とベリアルたちに向き直って、彼女を手で示して続けた。
「こちらはベルさん。うちの事務所で事務員をして下さっている方です」
「宜しくお願いしますね、可愛い『魔王』さんたち」
ぺこりと一礼する彼女――ベルをじっと見つめて、ビュレトがわずかにその目つきを鋭くした。
「……なんだ、貴様。人間ではないではないか」
「あら、流石は魔王さん。ええと……この登録コードはビュレトさんですね。お見通しですか」
動揺したふうもなく笑顔のままそう返すと、彼女はスカートの裾をつまんで改めて一礼をする。
「改めまして、事務用AIのベルと申します。便利なので、義体を使って事務所のお掃除とか、プロデューサーさんのお茶くみとか、そういうのをお手伝いしてるんです。可愛いでしょう、この義体」
義体。もともとは人体の欠損を修復・代替するために作り出された医療技術であるが、接客などの対人コミュニケーション用途を重視するAIがその名の通り擬似的な肉体として利用する場合もあるらしい――データベースの検索により、ベリアルは彼女についてそう理解する。
「ふん、下らん」
鼻を鳴らしてそっぽを向くビュレトに気分を害したふうもなく、彼女は人間味たっぷりの笑みを浮かべながら続けた。
「プロデューサーさん、プロデューサーさん。魔王さんたちがこうして事務所まで来てくれたってことは、アイドルの件、受けてもらえるってことなんですか?」
「ええ、手はず通りに」
そんな二人のやり取りに、ベリアルは慌てて割って入る。
「……確かに、興味はあると言った。この首輪がある以上はお前に抵抗することもできんしな。だがまだ、我々には情報が不足している。お前の言う『アイドル』とやらになるために、我々は何をすればいい?」
「決まっています! アイドルと言えばまずは、ライブです!」
Pより先にそう言ったベルに、三人は揃って怪訝な顔をする。
「「「らいぶ?」」」
「最初に映像でお見せしたようなものです。大勢の観客たちの前で歌とダンスを披露する興行。それがライブ活動です」
「何の意味があるのだ、それに」
「一体感ですよぅ、一体感!!」
ずい、と割って入りながら、ベルが両手を組んでうっとりとした顔で続ける。
「弾ける音響、ファンたちの掲げるまばゆいサイリウムの光、その中央で輝くアイドルたちの放つきらめき! それらが一体となった瞬間、そこに至上の調和が生まれるのですっ!」
「なるほど。音響と視覚刺激による洗脳……合理的な手法ですね」
何やら納得したようにふんふんと頷くアスモダイは置いておいて、ベリアルは腕を組んで肩をすくめる。
「……まあ、その意義は理解した。要はその集会活動によって集団洗脳を行いながら、征服活動を進めていけばよいのだな」
「表現にいささか問題は感じますが、概ねそういう理解でよろしいかと」
頷くPをじっと見つめて、ベリアルは視線を鋭くする。
「それで? 我々の活動に手を貸して、人間であるお前に何の利益がある」
「音楽データにライブの入場料、グッズの販売と、アイドル事業は何かとお金になるんですよ。今のご時世だと多くの人が縋るもの、生きる希望、そういったものを求めていますから需要も高いですしね」
「胡散臭いな。我々を――一度はお前たち人間を滅ぼそうとした『魔王』である我々を呼び寄せてまでするのが、そんな下らん小銭稼ぎか」
不信をあらわにするベリアルを、Pは漆黒色の瞳でじっと見返して。
それからやがて、ぽつりとこう続ける。
「……皆さんなら、世界最高のアイドルになれる。そう思ったからスカウトした、それだけですよ」
先ほどまでと変わらぬ平坦な口調。だがそこにわずかな、ほんの少しの奇妙なゆらぎを感じて。だからだろうか、ベリアルはなぜかその言葉を、嘘だとは思えなかった。
「……ふん、まあよい。我々とて利用できるものならば、利用してやるまで。アスモダイ、ビュレト、今はお前たちもそれで良いだろう」
ベリアルの促しに、アスモダイは「そうですね」と頷いて。ビュレトもまた、意外にもその首を縦に振る。
「ベリアル、貴様がそう判断するならば、我はそれに従おう。今度こそ、我々の力を愚かな人間に見せつけてやるのだ!」
そんな二人に頷き返すと、ベリアルはPへと向き直った。
「それで、まずはどうすればいい。我々は『アイドル』とやらについて未知なことがまだ多い。癪ではあるが、お前の意見を聞こう」
「では、そうですね……」
顎に手を当ててしばし考えた後、Pはこう続けた。
「まずは、ボイストレーニングです。その声では、アイドル以前の問題ですから」
「「「なに?」」」
返ってきた三人の声は、最初からずっと変わらぬ、威厳に満ちたバリトンボイスだった。
■
事務所の片隅、ホワイトボードのある簡単な話し合い用の一角。
「なるほど、アイドルとは女の声でなければならんのか」
ざっと説明を受けて、ソファに座っていたベリアルはぽんと両手を打った。そんな彼女に、Pは珍しく若干困惑した顔で続ける。
「必ずしもそういうわけではないのですが……」
「そうなのか?」
「男性のアイドルも、世の中には普通にいますから。ただ、今の貴方がたの姿を考えると、その姿に見合った声にするのが適切かと思いまして」
「なるほど、合理的な判断ですね」
「気に入らんが、間違ってはおらんな」
口々に言いながら頷くアスモダイとビュレト。ベリアルもまた、納得した様子でふむと唸った。
「最初に貴様に見せられた『アイドル』の映像から、人間の女性の外見をベースに設定したが――なるほど、必ずしもそうである必要はなかったのか」
「ええ。私としても内心驚いていましたが、なるほどそれでお三方は女性の外見になられていたのですね」
「てっきり魔王さんたち、そういうご趣味なのかと思ってました~」
横に立っていたベルが微妙に失礼めいたことを口にするが、幸いベリアルたちはその意味をはかりかねたらしい。特に気に留めた様子もなく、Pに向かって続けた。
「だが、そういうことならば我々としては男の外見に変えたいぞ。先ほど街を歩いていて思ったが、どうにもこの体は人間の中でも弱そうに見える」
「そうだな。もっと筋骨隆々としていた方が強そうだ」
うんうんと同意するビュレトにしかし、Pは首を横に振って返した。
「残念ながら、それはできません。最初にもご説明した通り、貴方がたの首に付けさせて頂いた制御装置は、貴方がたの体を構成している情報流体金属の機能を制限するもの。外見を変えるなどの大幅な形態変化は使えません」
「む……またしても、忌々しい」
舌打ちするビュレト。ベリアルはPを見ながら、腕を組んで続けた。
「つまりは、声の方を変えるしかないということか」
「そうなります。サンプルはこちらで用意させて頂きましたので、まずはこちらを聴いて、音声出力のチューニングを行って頂ければ」
彼がそう言うのと同時に、ベルが古めかしい音声再生機器――電脳内のデータベースによればラジカセと呼ばれる骨董品だ――を持ってきて、再生ボタンを押す。
すると流れてきたのは、最初にPから見せられたアイドルの映像、その中で歌われていたのと同じ音声だった。
「『復興の女神』と名高い、今もっとも話題のトップアイドル、リンカ=エーデルワイスさんの新曲ですよ! まだ音楽データが発売してないのでラジオ音源のダビングですけど!」
「こちらを参考にして頂ければよろしいかと」
「ふむ、造作もない」
自信満々に頷いて、三人は目を閉じて流れる歌に聞き入って。それから十数秒ほどしたところでゆっくり頷くと、三者三様にその口を開く。
「もうよい、完璧だ」
「合理的に、再現を完了しました」
「どうだP、恐れ入ったか!」
…………三人とも、ラジカセから流れていたリンカ=エーデルワイスのそれと、まったく同じ声で。
「うわ、気持ち悪っ」
「ああ、まあそうなりますよね」
ドン引きするベルと、若干諦めが垣間見えるP。そんな二人の態度に、自信満々だったベリアルたちもまた困惑する。
「な、なんだその物言いは。我々の声紋解析は完璧のはずだろう」
「それについては否定しませんが……」
「人間の声って、みんなそれぞれ違うんですっ! 魔王さんたちだって全くおんなじ識別信号の機体が三機もいたら気味悪いでしょう!」
「「「確かに……」」」
そんなベルの指摘に、驚愕の表情を浮かべる三人であった。
「……なるほど、そういうことか。だが、だとすると……【コウスレバ、イイノカ?】」
そう言ってベリアルが発したのは、およそ聞くに堪えないような違和感に満ちた合成音声。それを聴いたPはゆっくりと首を横に振る。
「人間には、聴いていて心地よく感じる声というものがあります。単に個体識別のためだけに音声を変化させても、それではアイドルは務まりません」
「なら、どうすればよいというのだ」
そう問い返すビュレトに、「はい!」とベルが手を挙げた。
「お任せ下さい。不肖このわたしが、皆さんの激きゃわアイドル声作りをサポートしちゃいます!」
「む、本当か。それは助かる」
同じAIであるベルならば、教わるにしても分かりやすい。素直に感謝を示したベリアルたちを見回した後、ベルはPへと向き直り、びしりと敬礼をしてみせた。
「というわけでプロデューサーさん、一日、魔王さんたちをお借りします!」
「大丈夫ですか、ベルさん?」
「モチのロンです! 明日の朝には皆さんのこのおじさまボイスが、きゃっぴきゃぴのアニメ声に大変身しちゃってますよ――それじゃあそうと決まれば皆さん、早速二階のレッスン室へ行きますよぅ!」
「「「うむ!!」」」
意気揚々と事務所を出ていく四人を見送った後で、Pはぼそりと、ひとりごちる。
「……大丈夫ですかね、魔王の皆さん」
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