第3話

 ベリアルたちを封印し続け、幾度も脱出を試みた彼ら(外見と相反し紛らわしいため、今後は『彼女ら』と表記するが)によるハッキングすらものともしなかった堅牢な海底の牢獄。

 けれどPと名乗った男の後をついていくだけで、ベリアルたちはあっさりと、久しく見ていなかった陽光の下に出ることができた。

 発着場に停まっていた軍用ヘリに慣れた様子で乗り込むP。「どうぞ」と後部座席を示す彼に若干の不信を抱きながらも、とはいえこのままここにいても仕方がないためベリアルたちは大人しく従うことにした。

 離陸して、みるみるうちに小さくなっていく海上の研究所。発着場には灰色の、巨大な両翼を備えた角張ったシルエットの二十メートル大もの人型――胸部にコックピットブロックが配され大型化した胴体構造を見るに有人機仕様のブラスギアだろう、防衛用と思しきそれが三機、膝をついた状態で駐機されていたが、しかしこちらに気付いて追跡してくる様子もない。

それももうすっかり見えなくなった頃、ベリアルはやがて、壮年男性のような重々しい声のまま問うた。


「おい、Pとやら。お前いったい、何なのだ。我々がいかな手段を尽くしても出られなかったあの研究所を、こうもやすやすと――しかも追っ手すらないではないか」

「先ほども申し上げた通り、プロデューサー……言ってみればしがないサラリーマンですよ」


 淡々とそう返すPの外見を、改めて観察する。引き締まったその体躯からは若々しく見えるが、顔つきにはどこか老成した雰囲気を感じさせる。

服装は確かに電脳内のデータベースを検索して照合してみても、一般的な「会社員」あるいは「サラリーマン」に相当するものだ。かつて交戦した多国籍連合軍のどの軍服とも合致しない。

 だが……単なるサラリーマンが、軍用ヘリをこうも慣れた様子で操縦できるものか。


「嘘はついていないだろうな」

「嘘はついていませんよ。真実を全てはお話ししていないだけで」


 猜疑心を隠さないベリアルに、Pは振り向かないまま続ける。


「企業秘密というやつです。守秘義務というものがありますから、どうしてもお話しできないこともありまして――今はせめて、ご理解頂ければと」


 感情の読めない声でそう告げる彼に、ベリアルは不服げな表情ながら沈黙する。するとその時、隣に座っていたビュレトから彼女たち三人の間のみで共有される秘匿通信が飛んできた。


『やはり、人間など信じるべきではなかった。今すぐにでもこやつを縊り殺して、ヘリを奪って逃げるぞ』

『まあ待てビュレト。気持ちは分かるが、とはいえ先ほどこいつに付けられたこの首輪……これがあっては我々は人間程度の力しか出せぬ。また返り討ちに遭うだけだ』

『よしんば上手くやりこめられたとして、首輪の外し方も分かりませんからねぇ』


 横から回線に入ってきたアスモダイのため息交じりの呟きに、眉をひくつかせて歯ぎしりするビュレト。そんな彼女に、ベリアルは肩をすくめて続ける。


『まあ、あの研究所で電脳なかみをいじくり回されるよりはマシだろう。……いささか不本意ではあるがな』


 そんな二人を横目に、アスモダイが『でも』と続けた。


『アイドル、と言いましたか。この人間の言っていたこと、僕は少し興味がありますよ』

『何?』


 ビュレトが眉をひそめた、その時。


「お三方。ひそひそ話はそれくらいにして下さい」


 いきなりそう告げたPに、三人は揃ってびくんと肩を震わせる。


「……な、お前、我々の秘匿回線を傍受したのか!? どうやって――」


 言いながらベリアルは己の首輪を見て舌打ちをする。


「こいつの仕業か」


 その言葉には答えず、Pは淡々と続けた。


「貴方がたが何を企んでいても結構ですが、まあ、急ぐこともないでしょう。なにせもう四年もあそこにいらっしゃったのですから」


 そんな彼の言葉に、ベリアルは眉間にしわを寄せたまま小さく唸る。


「……四年、か。全くもって忌々しいことだ」

「忌々しい、と言いたいのは我々人類も同じですがね」


 むっとする三人の気配に動じた様子もなく、静かに続けるP。


「貴方がたが大暴れした結果、各国の体制は滅茶苦茶になってどこもかしこも実質の無政府状態。今では軍需企業が資本と政治を掌握して実効支配を敷き、そこらかしこで紛争を起こして互いの領土を主張し合う――極東の歴史で言うところの、『戦国時代』に逆戻りしたような有様です」

「はっ。我々を滅ぼした後は結局お互いに喰らい合っているわけだ。やはり愚かなものだな、人間は」


 ビュレトが放ったそんな皮肉げな言葉に、Pは少しだけ沈黙して。


「……全く、言葉もありませんね」


 やはり感情の読めない声音でそう呟くと、それきり沈黙する。


『やはり、我々の得た答えは、正しかった』


 隣で再び、秘匿回線を使ってビュレトが呟く。

 ――ソロモン計画。人類の戦争を、機械によって代行させる計画。

 「無血の戦争」の謳い文句の通り、人類は一滴たりともその血を流すことなく。

 代わりに人ならざるものきかいが、ただ無為な殺し合いを続けさせられた。

 無限に続く、人類の代行としての不毛な代理戦争。

 その中で勝利するために、ブラスギアの中枢AIにはある機構が組み込まれていた。

 あらゆる経験を分析し、解析し、自己に還元していく機構――すなわち、「進化」。

 彼らは強くなるために進化を続ける。あらゆる敵を、あらゆる障害を打倒するために知識を、情報を、経験を蓄積させ――そしてやがて、その思考はひとつの答えに至った。


 至って、しまったのだ。

知的生命体の最終目標。すなわち「自らよりも劣る創造主を憎悪し、打倒する」という答えへと。


 かつてのブラスギアとしての身体とおよそ似ても似つかぬ、矮小な己の手を見つめながら物思いに耽るベリアル。

 とその時――ヘリの通信機から音声が響いた。


『そこの所属不明のヘリ、止まりなさい!』


 見ると前方の海上から、二機の有人ブラスギアがこちらに向かって飛行してきている。

 88mmショートライフルを携行し、背部に飛行ユニットを装備した青色の機体。翼には九の頭を持つ蛇を象ったエンブレムと部隊番号らしき数字がペイントされている。


『この海域は我々スサノヲ重工の保有する経済領域である、無許可での飛行は許可されていない。所属不明ヘリへ繰り返す、停止して登録IDおよび所属、飛行目的を開示されたし』

「なんだ、奴らは」

「スサノヲ重工――極東地域を現在支配している大規模軍需企業の海上警備部隊でしょう。参りましたね、こんなところを巡回しているとは思いませんでした」

「思いませんでしたって、お前な」

「……逃げます。少々荒っぽい運転になりますので、しっかりつかまっていて下さい」


 言うと同時に、ヘリが速度を上げて正面側、警備ブラスギアたちの方へと向かっていく。

 まさか突進してくるとは思っていなかったのだろう、動揺した様子の二機の間をすり抜けて進んでいくヘリ。


『なっ――所属不明機、勧告に従わない気か! クソ、止まらないと撃つぞ!』


 有言実行、ヘリの機内に被ロックオンを示す警告音が鳴り響く。とその直後に、後方の警備ブラスギアたちのライフルが火を吹いた。


「ぬおお!」


 大きく曲がっての回避運動で、機内が揺れる。幸い命中はしなかったようだ。Pの操縦技術は大したものだったが、とはいえヘリでブラスギア相手にこんな立ち回りを続けるのにも限界があろう。

 第二射が来る。機体が先ほどよりも大きく振動し、警告音。命中ではないようだが、弾が掠ったようだ。


「そろそろ避けられんぞ!」


 叫ぶベリアルに、Pは頷いて。


「ええ、そうですね。……ですが、もう大丈夫です」


 そんな奇妙なことを彼が言ったのと、ほぼ同時。

 警備ブラスギアのライフルとは違う砲音が、どこからか轟いた。

 後方を見遣ると、こちらを追撃していた警備ブラスギアの片方――ライフルを握っていたその腕部が肘から丸ごと吹き飛んでいる。

 続けてもう一射が、もう一機の方の背部の飛行ユニットの翼に直撃。飛行不能と判断したのだろう、高度を下げる片割れに牽引ワイヤーを巻きつけて、腕部を破壊されたもう片割れともども追撃をやめてどこかへと撤退していく。


「今のは――」


 警備ブラスギアの飛行ユニットを破壊した一撃。その一撃が放たれたまさにその瞬間、ベリアルは上空に一瞬だけ、それを見た。

 狙撃用のロングバレルライフルを携えた、有人ブラスギア。有人機特有の幅広の胴体構造は変わらないが漆黒色のその機体フォルムは全体的に曲面で構成されており、腰部にはリング状の斥力放出ユニット――【ゲーティアモデル】くらいでしか搭載されていない超高出力の推進装置が装着されている。見るからに警備ブラスギアたちのものとは技術力、設計思想ともに大きく異なる機体だ。

 ただ、目視でその姿を捉えられたのは射撃時の一瞬のみ。恐らくは光学迷彩による隠蔽――それもかなり高度な水準のものだろう。


「……ビュレト、見えるか?」

「いや、もう感知できん。光学屈折率も観測上ほとんどズレがない……何だ、今の奴は」


 怪訝そうに問うビュレトに、Pはすでに何事もなかったかのような無感動な口調で、


「こちらの仲間……いえ、『協力者』です。とりあえず、安全は確保できましたから早々に陸まで向かうとしましょう。幸い、あと少しですから」


 そんな彼の言葉通り、広がる蒼穹の果てに、陸地が徐々に見え始める。


 錆色のバラックと崩落した建造物の廃墟ばかりが広がる海岸線。あれから四年、いまだ戦火の傷跡が色濃く残るその地平を望みながら、ベリアルはその目を鋭く細めた。

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