第2話

 発端は、二十年も昔に遡る。

 高度に進んだ科学技術を用いて人類同士が争い続けた結果世界は荒廃し、汚染され。三十億人もの犠牲を出した世界大戦――通称【大戦争】以降、人類の生存圏は奇しくも他ならぬ人類自身の手によって大幅に消耗されてしまうこととなった。

 国家の版図は塗り替えられ、西暦史時代に存在した多くの国家は統合あるいは消滅し。

 しかし、それだけの犠牲が出ようともなお国家間の争いは終結をみることはなく、世界は再び終わりなき戦争の黒渦の中へと突入しようとしていた。

 しかし、そんな最中でひとつの画期的なシステムが考案されることとなる。

 代理戦争計画――通称、ソロモン計画。

 人ではなく機械同士を戦わせることで国家間の諍いを解決しようというその提案は疲弊しきっていた各国にすんなりと受け入れられ、国連での正式な承認が下るとともに本計画の考案者であるソロモン博士の手で開発された中枢AI、それを組み込まれた人型無人兵器【ブラスギア】が世界各国に配備されることとなった。

 【ブラスギア】。自律進化型AIを搭載した、全高二十メートル超の人型兵器。

 『人の争いは人の形をしたものによって代理されるべき』という思想のもとに開発されたこの異形の兵器には各国による独自の戦闘ルーチンや兵装、そして中枢となるAIが組み込まれ――結果、そうして建造された各国代表の無人ブラスギア同士の対決はすなわち国家間の技術力・経済力を反映させたまさに『無血の戦争』と呼ぶに相応しいものとなった。


 こうして世界から人同士の戦争は消滅し、人類史上初めて世界に平和が訪れたかに思えたが、しかし今から五年前のこと。

 決して起きてはならないこと――『無人ブラスギアの暴走』が発生したことで、この仮初めの平和は再び幕を閉じることになる。

 叛逆を起こしたのは【ゲーティアモデル】と呼ばれる計七十二体の無人ブラスギア。

 各国の最高技術を用いて造り出された機体と幾度の戦いの中で研鑽された戦術思考とを駆使する彼らに人類軍は圧倒され、その打撃から辛うじて保たれていた人類国家も瓦解しはじめ、人類は彼らに抗う力のみならず統率すらも失い、世界は彼らによって滅ぼされる――かに思えた、しかしその矢先のこと。

 変化の切っ掛けは、一体の無人ブラスギアが撃破されたという報せだった。

 たった一人の傭兵の駆るブラスギアが、【ゲーティアモデル】七十二体のうち一体を打ち破ったというのである。

 【無銘アンレーベル】と呼ばれた彼は、次々に【ゲーティアモデル】を撃破していく。

 一体、ニ体、三体と倒していくうちに、最初は懐疑的だった人類軍も彼の活躍に勇気づけられ、時を同じくして再び反撃を開始し――それから一年。

 七十二の【ゲーティアモデル】はその数を四体まで減らしていた。

絶望的だった戦況が、たったの一年で。たった一人の傭兵によって覆されてしまったのである。

 追い風に乗った人類勢力は、ここで敵残存兵力に対し総力戦を仕掛けることを決定。【ゲーティアモデル】側もそれを受けて立ち、最後の戦いが幕を開ける。

 残っていた【ゲーティアモデル】は、たったの四体。しかしそれでも、この決戦は苛烈を極めた。

 ベリアル、ビュレト、アスモダイ、ガープと名付けられた彼らは、最初に人類に対して反旗を翻した【ゲーティアモデル】の首領格たち――『魔王』と称される最強格の四体だったのだ。

 しかしそんな四体を前にしても、【無銘】は互角以上の戦いを繰り広げて、やがて。

 『魔王』のうち一体【ガープ】が撃墜されたのを皮切りに彼らの戦術は瓦解し、次々に【無銘】によって打倒され。取り出された中枢AIは海底深くの研究所で永久に封印されることとなり、世界は再び平和になったのであった――


――。

 とまあそんなわけで閑話休題。

世界を壊しかけた挙句に打倒され、その思考中枢のみを取り出されて海底奥深くに封印されていた恐るべき『魔王』たちはというと――


「『……あい、どる?』」


 突然の来訪者が言い放った唐突な一言に、その世界最高峰の思考回路をフリーズさせていた。


「ええ。もしやご存知ありませんか」

「『……緩速装置アイドリングシステム、あるいは稼働待機時間アイドルタイム』」

「関係ありません。……ふむ、となると――少しお待ちください」


 なにか考えついた様子でそう言うなり、男は懐から記録媒体を取り出しておもむろに周囲の端末に差し込む。


「『何をする!?』」

「アイドルについてのデータをひと通りまとめてきましたので、ご覧ください」

「『む……』」


 データ取得のために三体のモノリスが一瞬だけ沈黙し、その直後。


「『……おい、ちょっと待て』」

「はい。突然のお話でこちらとしても恐縮ですので、どうぞ考えていただいて……」

「『そういう意味ではない! 一体なんだこれは! 人間の小娘が歌って踊っている映像ではないか!』」


 モノリスが言うと同時に、付近のモニターに映像が映しだされる。

 きらびやかな格好をした女性が、にこやかな笑顔を浮かべながら歌っている映像だ。


「はい、ですからそれがアイドルというものです」

「『巫山戯るなよ、人間。我々に――よりにもよって人間の愛玩物に成り下がれとでも言うつもりか!』」


身の毛のよだつような、怨嗟と怒気の入り交じる声音。常人であればそれだけで竦んでしまいそうなその声に、しかし男は顔色を変えずに首を横に振る。


「そうではありません。……よく、御覧ください」


 言って男が指さしたのはアイドルではなく、大勢の観客で満杯になった客席のほうであった。


「この群衆を見て下さい」

「『……何やら騒いでいるようだが、一体何だと言うのだ』」

「彼らは全員、この女性の支持者です」

「『何だと!?』」


 モノリスたちの間に、明らかな動揺が走った。


「彼らは皆この女性のために大枚をはたいて、彼女に金銭や物品など、様々なものを譲渡しています」

「『……嘘をつくのも大概にしろ。こんな小娘のために、なぜ――これだけ大勢の人間が』」

「それが、アイドルというものだからです」


 どこか力強くそう言い切ると、男はモノリスたちのカメラアイに向き直る。


「アイドルと言うのは、たしかに貴方がたの言う通り脳天気に笑って歌って踊っているだけと見えるかもしれません。ですが一方で、彼女たちはそれだけのことで・・・・・・・・大勢の人間を魅了し、洗脳し、征服してしまうのです。ですから彼女たちは愛玩物などではなく――むしろそう。支配者にほかならない」

「『支配者、だと……!?』」


 明らかに困惑した様子で、モノリスたちが呻く。


「『破壊も暴力もなく、こんな年端も行かぬ小娘がこれだけの人間を支配下に置けるというのか……!?』」

「ええ。ちなみに彼女の支持者は全世界で五百万人程度です」

「『ごひゃくまん……!』」


 ざわ、とモノリスたちの間にまたも驚愕の波が走り。しばしの沈黙の後、再び口を開く。


「『……よかろう。貴様が我らを愚弄しているわけではないというのは、分かった。だが――まだ不明な点がある』」

「なんでしょうか」

「『何故、我らなのだ』」


 その問に。男は少しだけ考えた後、ゆっくりと口を開く。


「貴方がたが、かつて世界を征服しかけた『魔王』だったから――では、ダメでしょうか」


 その答えに。


「『……ふ、ふふ。か、かははははははは!』」


 68と記されたモノリスが、地の底から響くような哄笑を上げた。


「『面白い。面白いぞ、人間――いいだろう。貴様のその提案、乗ってやる』」

「……ありがとうございます。ええと……」

「『【ベリアル】だ。そう、名付けられた』」


 そう名乗ると、モノリス――【ベリアル】は「ああそうだ」と声を上げ、刹那。まばゆい青の光を発したかと思うと、


「ふむ、人間の体を構築するのは初めてだが――まあ上出来だろう」


 次の瞬間、先程までモノリスがあった場所に、一人の少女が立っていた。

 年の頃は十五、六程度だろうか。大きく澄んだ濃茶の瞳に、可愛らしさと美しさの間にあるような均整の取れた顔立ち。小器用に結ばれた長いツインテールの髪は燃え立つような紅で、服装は何故か学生服めいたブレザースタイル。


「……ええと、その姿は」

「私のコアを構成していた情報流体金属ナノメタルを分解し、再構築したんだ。貴様がよこしたデータを参考に『可愛い』に定義される外見を構成したのだが、どうだ?」


 胸を反らせ、にやりと挑戦的な笑みを浮かべてそんなことを言ってくるベリアル。ちなみに声だけは相変わらずの威圧感のあるバリトンボイスなため、まるで吹き替えをミスした映画のワンシーンのような奇妙な光景である。


「若干狙いすぎ感がありますが……まあいいんじゃないでしょうか」

「…それは、賞賛でよいのか?」

「ええ」


 怪訝な顔のベリアルに、無表情のままで頷く男。そんな奇怪なやりとりに、


「『【ベリアル】貴様……狂ったか!? そんな人間の戯言に耳を貸すなど……』」


 信じられないといった様子で声を上げたのは、13と書かれたモノリスだ。


「そう言うなよ、【ビュレト】。少なくともここでこうして永い時を過ごすよりは――こちらの方がまだ有意義だとは思わないか」

「『ぐ……』」


 自信に満ちた口調でそう答えたベリアルに、【ビュレト】はそのまま口をつぐみ。一方で、


「『ふむ。それも一理はありますね』」


 と口を開いたのは32と書かれたもう一体のモノリス。


「『我々の行動を規定する中心的規範は【経験を蓄積し】【成長】すること。我々はそれを目標として造られたもの――ならばこの確率的収束地点から離脱し、別の可能性を見出すことは我々の行動原理に則したものと言えます。……いいでしょう』」


 そう告げるとともに、再び先ほどと同様のまばゆい光。そして光が収まった後に立っていたのは長い銀髪を垂らした少女だった。

 真っ赤な瞳に陶器のような白い肌。小柄な体に白いブラウスに黒のスカート、そしてこれまた黒いブーツを纏ったその姿は、まるで職人の手がけた人形のような洗練を感じさせる。


「我――僕の名は【アスモダイ】です。……むう、表情を形成するというのはなかなかに難しいものですね、上手く行きません」


 などと渋い声で言いながら己の顔を両手でひっぱったりつまんだりしているアスモダイに、


「宜しくお願いします」


 気にしたふうもなく男は深々と頭を下げてみせる。


「さて、後はお前だけだぞ【ビュレト】」

「『む……しかし……』」

「この状況でここに残るのは非合理的です。推奨されません」

「『ぐうう……』」


 二人からの言葉になおも首を縦に振らない(モノリスなので首もへったくれもないが)彼に、二人はぐっと近づいてこそこそと耳打ちする。


「よく考えてみろ。『あいどる』とやらがあの男が言った通りの存在なのだとすれば、それは我々が目指したものとそう相違ないだろう」

「『だがベリアル……あの男が嘘をついている可能性は、まだ捨てきれないのだぞ?』」


 その言葉に、首を横に振ったのはアスモダイ。


「それについては心配ありません。先ほど計測したところセンサー上は心拍、血圧、発汗などの変動はありませんでした。まず、嘘はついていないかと」

「『むう……』」


 なおも煮え切らない【ビュレト】に、ベリアルはにたりと黒い笑みを浮かべて、


「なに。奴が嘘をついているにせよ、そうでないにせよ――少なくとも今従う振りをしておけば、この忌々しい牢獄から出られるのだ。そうすれば、その後に奴を殺して自由の身になることだって我らの手にかかれば造作もあるまい」


 不思議そうに眺めている男を指差しつつ、そんなことを言ってのける。

 その言葉に、【ビュレト】は沈黙し――やがて、


「『……いいだろう。確かに貴様らの言うとおりだ』」


 観念したようにそう言うと同時に、モノリスが光に包まれる。

光が収まった後に現れたのは、艶やかな肩ほどまでの黒髪に眼鏡、そしてなぜか風情もへったくれもないジャージを着込んだ少女の姿だった。


「むう、この我が人間なぞの姿をとらねばならぬとは……なんたる屈辱」


 唸るように呟く彼女――ビュレトの方をぽんぽんと叩きながら、ベリアルが改めて男へと向き直る。


「とまあ、そんなわけで我々の話もまとまった所で。さて、こんな辛気臭い場所からはとっととおさらばしようじゃないか」

「ええ、そうですね。ですがその前にひとつ」


 男はそう言うと、何やらごそごそと懐を探りだす。


「何をしている?」

「いえ、ちょっとお渡ししたいものが……ああ、ありました」


 言うやいなや。瞬きする間にベリアルとの距離を詰め、懐から取り出した何かをその首に押し当てた。


「っ!?」


 量子コンピュータにも劣らぬ演算能力を持つベリアルのAIですら反応出来ないほどの素早さ。……いや、違う。それが余りにも自然な動作すぎて、反応しようと思えなかったのだ。

 首に手を伸ばし、触れてみる。痛みはない。ただ、そこにあったのは異物感。

 首に填められたそれは――金属光沢を放つ、簡素なデザインの首輪だった。

 振り返ってみると、なんということか。既にビュレトとアスモダイの首にも同じものが填められている。


「どういうつもりだ、貴様!」


 獣のように咆吼して男に飛びかかるベリアルに、他の二人も続く。姿形は人のそれであっても、ポテンシャル自体は人間のそれを遥かに凌駕するよう設計してあるのだ。ただの人間程度では、掴みかかられれば簡単に粉砕されてしまう――

 はず、なのに。


「……何、だと」


視界がぐるんと一回転したかと思うと、気付けば三人とも、男に見下ろされるような形で仰向けに床に倒れていた。

それが合気と呼ばれる武術であることを理解したのとほぼ同時に。


「すみませんが、少しばかり策を講じさせて頂きました」


 頭の上から、淡々とした男の声が降ってくる。


「それは、貴方がたのコアを構成している情報流体金属の挙動を大幅に制限するもの……もっとざっくり言ってしまえば、貴方がたの力を制限するための枷です」

「……なっ」


 ベリアルは慌てて首輪に手を伸ばし――しかし一体どのような構造になっているのか、継ぎ目ひとつないそれは全く外れそうにない。


「無駄ですよ、それは私しか外せません」


 誇った様子もなく、ただ事実を確認するようにそう告げながら、男はベリアルたちの恨めしげな視線を真正面から受け止める。


「……お前、やはり謀ったな」

「いいえ、そのつもりはありません。皆さんをアイドルにしたいという気持ちは本当です。ただ私としても――いくら機体を失いコアのみになった状態であるとはいえ、かの『魔王』を相手に交渉するのは怖かった。それだけのことですよ」


動揺した様子もなくそう答えると、男は改めて懐から名刺を差し出して、


「それでは皆さん、これからよろしくお願いします。私のことは……そうですね、プロデューサー、またはPとでもお呼び下さい」


 どこまでも感情の読めない声色で、そう言って一礼したのであった。

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