7-2.地下室
「で、気がついたらこの世界にいたわけ。」
男の長い昔話は終わった。
「でも、あの地震のあとわざわざ沿岸部の方まで行くなんて危ないですよ。」
俺にはいくら知的好奇心を満たすためとはいえ、命を捨てる覚悟で遺跡を見にいくという感覚は理解できなかった。
「まあ、普通はそうだろう。」
男は愉快そうに続ける。
「だが、俺みたいなのは普通じゃない。知りたいことがあるなら例え火の中、水の中、怪しい地下室の中に飛び込むのが研究者魂ってやつなんだ。後先顧みないのも研究者には必要な才能だ。」
シルヴィアも大きく頷いている。どうやら俺は少数派らしい。
気まずいので話を変える。
「つまり、東北の遺跡の地下にあった扉をくぐるとここに来ていたってことですか?」
「そういうこと。理解が早い奴は好きだぜ。」男はにっこりと笑う。
「そのあとここに来るまでは何をしていたの?」
シルヴィアも興味深そうに質問する。
「何って、その後彷徨ってたら西部のやつら拾われて、言葉もわからないんで仕方なく港の倉庫の整理をして飯を食わせてもらいながらここの言葉を学んで、そこのガキたちに勉強を教えたりしてた。それで日本のことをきかれたから喋ってやったら、その次の日に憲兵が俺を捕えに来たんで、泳ぎが達者な俺はそのまま海に飛び込んで逃げて逃げて逃げまくってここに辿り着いた。
ここは良い所だ。日本の話しても捕まらないし、西部では事あるごとに差別されてたがここではそういうのもない。
きっとお前らもその内気に入るだろうさ。」
「言葉がわからなかったんですか?そういえば俺は最初からここの言葉がわかったような。」
「個人差があるのか?どうなんだろう?」
俺の疑問に男も不思議そうな顔をする。
「私が本当の勇者を召喚した場合粗相のないようにそう設定して召喚したの。」
偶然そうなったかのように言うのは侵害だと言うように口を挟む。
「へえ!そんなことができるのか!お嬢ちゃん凄いな!」
男の率直な称賛をまともにくらったシルヴィアの頬がみるみるとろけていく。すぐに顔に出るなこいつ。
確かに、彼女は祖父以外魔術に力を入れておらず、頑張って俺を召喚した次に日には死刑判決を受けるという人生を送ってきたのだから自分の技術を正当に評価されるのは相当嬉しいのだろう。俺も今度褒めてみようと思った。
「つまり君たち二人の故郷とこの世界を繋ぐゲートがどこかにあるって事なのかな?」
「そう考えられるな。ただ、俺も何度か最初に目が覚めた地点を訪れて調査したが、何も手がかりになりそうなものはなかった。一方通行って可能性もある。」
「ただ、この世界には君とヒデオという二人の日本人がいる。これは偶然ではないだろう。昔からこの世界と日本には何らかの繋がりがある。本来交わることのないはずの二つの世界が例外的に交わりやすくなっているんじゃないだろうか。」
「そういう仮説を立てることはできるが、いまいち根拠がない。たった二件だけの事例を見てそう判断するのはいささか早計に思える。
そもそも俺とお嬢ちゃんの召喚は時代も背景も全く違うものであって同一視するべきじゃない。ある程度分けて考える必要があると思うがね。」
「うーん、だが、探せば君みたいな日本出身者がいるかも、あとアメリカだったか、そっちの世界で一番偉い国なんだろ?そこから来た人もいるかもしれない。」
「いるかもしれないが、俺みたいなマヌケじゃない限り自分が転生者だとは絶対に言わないだろうな。」
「どうしてですか?」
学術的な会話で疎外感を感じていた俺はすかさず会話に入る。
「ペトロバツは異常なほど異世界から来た人間を毛嫌いしている。今生き残ってる異世界出身者は全員ペトロバツの異常なまでの恐ろしさが身に沁みてわかっている。この町で奴は警察権を行使することができないが、奴の間者は大勢潜んでる。この街の領域を出た瞬間お縄さ。だから生き残った賢い奴は絶対に正体を喋らない。」
「どうしてペトロバツは俺たち、異世界人をここまで毛嫌いするんでしょうか。」
「共同体において排他的な活動が起こるにはいくつかの要因がある。まずは民族問題だ、だが俺たちアジア人顔の奴らは西部の港に大勢いる。そもそも人外だって普通にうろついてるんだ。ムキになって捕まえに来る理由としては弱い。もう一つは宗教。宗教対立ってのはどこでも起きる。だが、この国は主に精霊信仰の国だ。一神教とは相性が悪いのかもしれないが、多神教である日本人の俺たちが目の敵にされるってのも納得がいかない話だ。」
「とするとどうして。」
「軍と財務省は仲が悪いの。」
シルヴィアがぼそっと口を挟む。
「そう。軍と財務省ってのは古今東西仲が悪いもんなんだ。軍隊を動かすには膨大な金がいる。
だから軍は国の財布を握っている財務省に金をくれと頼む。
だが、財務省は金を守るのが仕事だから、軍隊を動かすなんて金のかかることは認めたがらない。
どっちも考えてることは正しい。だからこそ軋轢が生まれる。ヒデオ、お前も習っただろ?昔軍人が財務大臣を襲撃して殺害した事件。」
「五・五一事件ですね!」
早押しのように答える。ちなみに盛浜市は関西にある。
「違うな。二・二六事件だ。蹶起した陸軍将校たちが軍の予算を削減しようとしていた高橋是清蔵相たちを襲撃した。元の世界に帰った時恥かかないようにちゃんと覚えとけ。
あと五・五一じゃなくて五・一五事件な。」
「はい。」
まるで先生だ。
「財務省との不仲が一つ、あと考えられるのは軍としてはぽっと出の勇者が自分達を上回る活躍をした場合自分達の立場が危うくなるのを恐れているんだろう。」
「立場を守りたいってだけでこんなことしてるんですか。腐ってますね。」
そのような理由でこんな目にあったと言われれば怒りも湧く。
「だがなぁ、ヒデオ君、奴らの考えにも一理あるぞ。勇者だって一人の人間だ。圧倒的武力とカリスマ性を持ち合わせた英雄の存在は一時だけ国に栄光を与える。
だが、不滅のものなど存在しない。圧倒的カリスマを失えば、それまでそいつに頼って蔑ろにしていた部分が武力もカリスマ性も持ち合わせない凡人たちに重くのしかかる。今の帝国がこの状況なのはまさにそれが原因だろう。
次のカリスマが生まれるのは何年後になるかわからない。そんなものに頼っていてはすぐに限界が来る。一人のカリスマに頼らない。凡人達でも十分な成果をあげられる体制を整えた組織を作るのもまた重要なことだ。」
「そ、そうかもしれません。」
今まで飄々としていた男が急に真面目な組織論を語り始めたので気圧される。
「まるでペトロバツの肩を持つみたいな言い方じゃないか。」
シルヴィアが突っかかる。
「俺だってペトロバツは嫌いだ。だが、カリスマという不安定な存在に頼らなくても力を発揮できる組織が良いという意見を歴史学徒として述べただけだ。勘違いしてもらっては困る。」
なんだか険悪な雰囲気になってきたので急いで話題を変える。
「そういえばお兄さんは何をやられているんですか?」
「俺か?俺はここで考古学者をやっている。今は特に言語学をメインにやってる。この街は昔からあって、解読されていない古語の資料が山ほどある。それを解読するんだ。あと、迷宮内の落書きだな。
冒険者達は下層に行くと嬉しくなって到達日とかメンバーの名前を壁に書くんだ。俺はいつも強いパーティーに同行してそういう資料を集めてる。最近も57層で消えかかった落書きを発見したんだ。
古語より古い文字で書かれてる。今それを解読中なんだがそれが煮詰まって今ここで酒を飲んでる。」
「まさか祖語?」男との論戦で劣勢に立たされて不貞腐れていたシルヴィアが跳ね起きる。
「おお!よくわかったな!お前やっぱり賢いんだな。知的な女は好きだぞ。」
その言葉に再び頬を緩めるシルヴィア。
「マジで面白いんだ。祖語と古語は全く違うんだ。古語が使われていた地域使っていた民族も文化も宗教観も祖語のころのものと変わりがないんだ。実際に武具に刻まれた彫刻なんかは祖語時代からの延長だと言い切ってもいいほどの共通点がある。人骨の特徴だって祖語時代から現在まで変わってないから民族も同じ。だが、祖語と古語とで明確に言語が違うんだ。祖語に関しては俺にもわからん。独自の言語体系で表音文字なのはわかっているが解読には至ってない。もっと資料が必要だ。だがこれ以上資料を手に入れるため下層に潜ろうとすると俺は生き残れない。もっと資料さえあればな。だが、古語は資料も比較的多くて解読は簡単だ。しかも、古語にはすごい特徴がある。それは祖語にはなかった印欧祖語、簡単に言うとインド・ヨーロッパ語族の特徴が見られるんだ。確かにこの世界は印欧祖語が話された地域と気候が類似しているが、異世界においてここまで特徴が一致するのはおかしい。ありえない!そう思うだろ?シルヴィアさん!」
「え?はい。」流石のシルヴィアもこの話にはついていけていないようだ。
「とにかく祖語が書かれた資料なんかがあれば俺の研究もうまくいくんだが。」
「祖語かどうかはわからないけどありますよ、資料。」
シルヴィアは恐る恐る鎧武者の挿絵載っていた古い本を差し出す。
男は無言でその本をひったくると速読のような読み方でパラパラと読み始めた。そして呟いた。
「これは、祖語だ。」
「一部わかっているものがある。例えばこれ、”ウヌム”という読み方で役に立たないとか不要って意味だろうと考えられてる。”ウ”は”not”とか『〇〇ない』という否定系で”ヌム”が『使う』って意味なんだ。特にダンジョンの隅に壊れた武具や空き瓶が捨てられていてその上の壁に書かれているんだ。
そこからゴミとかいらないものを指す意味なんじゃないかと言われてる。あと、そう言える根拠は迷宮の分かれ道で正規ルートでないところには大きく”ウ”と掘られてる。これは『違う』を意味するつまり、それらを合わせて判断することで”ウヌム”が不要とか使えないとか役に立たないと言う意味で解釈できるんだ。」
男は鎧武者も上に書かれた文字を指さしながらそう言う。なんかこの鎧武者が役に立たないみたいに見える。でも実際俺も役に立ってない。
「だから、ここの”ウルヴ”も否定系の(中略)な!面白いだろ祖語!」
完全に寝ていた。面白いと感じる認識に齟齬が生まれているのだろう。祖語だけに。
あまりの寒さで眠気が飛んだ。不幸中の幸いである。
「この本を分析するから貸してくれないか?絶対返す。」
「信用できないからやだ。」
シルヴィアはキッパリ断る。
「絶対返す。返さなかったら俺をペトロバツに差し出してもいいから!」
男も食い下がる。
「なんか、失くされそう。お前絶対部屋汚いだろ。」シルヴィアも貸す気はないのだろう。
男は確かに部屋が汚そうな顔をしている。ちなみにシルヴィアの書斎もかなり汚かった。
類は友を呼ぶのだろう。ちなみに俺の部屋も結構汚い。男が黙ったので図星なのだろう。
「わかった。ここで覚える。俺は記憶力が良いんだ。」
「タダで?」
「わかった、金は払うよ。」
「じゃあ銀貨50枚。」
「そんなに持ってないんだ。頼むよ。」
「じゃあ三十枚だ。」
「三十枚…うう…」
「そうか、残念だ。帰るぞヒデオ。」
「あっ、はい。」返事をする。
「わかったわかった!三十枚出すから!出すから!」
交渉成立だ。男は本をパラパラと四往復してから本を返した。
「今ので覚えたのか?」
シルヴィアは怪訝そうな顔をする。
「言っただろ?俺は記憶力が良いんだ。」
そう言って男はこめかみを突っつく。
「じゃあ、また縁があれば会いましょう。」
そう言ってシルヴィアは宿街の方へ歩き出し俺もついて行こうとする。
「あ、そうだ!待て!後ろから声がする。まだ名前を言ってなかったな俺の名前は”タダヒロ”だ。ここに住んでるからまた来てくれ。」
二つ折りの紙を渡される。
「来てくれたら飯くらいは食わせてやるよ。ヒデオ、俺がこっちに来てから今まで日本で何かあったかまた教えてくれ!そしてシルヴィアさん、久しぶりにアカデミックな話ができて嬉しかった。また話そう!じゃあな!」
そう言ってタダヒロは走り去っていた。よほど早く家に戻って研究したかったのだろう。
「じゃあ、帰ろうか。」シルヴィアはまた歩き始める。気づけばすっかり夜になっていた。夜まで難しい話を聞いて銀貨30枚と考えれば悪くない。
「あの、シルヴィアさん。明日昼頃にタダヒロさんの家に押しかけて昼飯食べましょうよ。」
「いいね、賛成。」
シルヴィアは軽快にこっちを振り向くと満面の笑みでそう答えた。
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