第38話 橘その1
洋服ならちょっとしり込みしてしまう大人びたデザインも、着物だと合わせる帯で随分印象が変わるから挑戦しやすい。
なんせ伊坂家には知晃の母親が大量に残してくれた素晴らしい着物たちがまだまだ残っているのだ。
それらを定期的に虫干しして、手入れしながら丁寧に保管するのは、音々の嫁としての最大の仕事だと思っている。
着物が苦手ならともかく、こうして毎日好きな着物を着て過ごせる毎日が楽しくてしょうがないのだから、山のような着物を順番に虫干しする手間だって苦ではない。
居間と縁側に衣桁を並べて眠っていた品々をじっくり眺める時間の楽しさったらないのだ。
アンティーク着物は特に、柄に時代が反映されていることが多いので、新しい発見がいくつもあってどれだけ見ていても飽きることが無い。
今では考えられないような大胆な柄も見受けられたりする。
あの時代に青春を謳歌していた女学生たちの抜群のセンスは本気で脱帽ものだ。
もしも時間旅行が可能になったら、和装と洋装が入り乱れていた時代に行ってみたいと思う。
「今日は橘の柄なのねぇ」
「松本のおばあちゃん!おはようございます」
「おはよう。いいわねぇ若いと鮮やかな色がよく似合うわぁ」
「ほんとですか?ありがとうございます。虫干しした時に見つけて、ずっと着ようと思ってて、なかなか合わせられそうな帯が見つけられなくて・・・」
岩群青に赤やピンクで橘が描かれたアンティーク着物は、かなり華やかな印象で、それに負けないポップな帯を締めたくて、先日知晃と一緒に出掛けた仕入れ先で菜の花色の格子模様の帯を見つけてこれだ!と即決した。
今朝姿見の前で自分の姿を確かめて一気にテンションが上がったし、知晃も似合うと褒めてくれたので、今回のコーディネートは自信作である。
「着物だとちょっと派手なのも可愛らしいものねぇ」
「そうなんです!不思議と馴染んじゃうから、抵抗が無くって・・・」
「うふふ。こういう話が出来るのはやっぱり女同士よねぇ」
「ですよねぇ」
「あ、そうだ。これね、大根と厚揚げの含め煮、今回ちょっとしょうがを効かせてみたから」
頷いた松本のおばあちゃんが、手に持っていた紙袋を差し出してくれて、慌てて受けとる。
中身はずっしりと重たいいつものタッパーだ。
「これ大好きなやつ!」
「でしょう?音々ちゃんにいっぱい食べて欲しくてね」
「遠慮なく頂いちゃいますね」
「そうしてちょうだい。今日は、知晃くんは?」
最近、朝は一緒に店に出ていることが多い知晃の姿が見えないことに気づいた松本のおばあちゃんが、まだお家かしら?と首を傾げる。
「今日は、朝から西園寺さんと、西園寺建設の事務所に出かけてて・・・ほら、今度神社のお社新しくするでしょう?」
「ああ、そうだったわねぇ、回覧板に書いてあったわ」
思い出したように頷いた松本のおばあちゃんが、大変ねぇと零した。
「面倒だって言いながら、西園寺さんから呼ばれると断らないんですよね。絶対知晃さん、西園寺さんのこと好きだと思う」
「あらあら、旦那さんのお友達にヤキモチ?」
「え!いえ、そんなんじゃないですけど・・・・・・私はまだ、この町で友達がいないから、羨ましいなぁって・・・」
「みんな大学に入ると地元を離れちゃってそのまま就職する子がほとんどだからねぇ・・・音々ちゃんくらいの年の子は、ほとんど残ってないのよう」
「ですよね・・・」
ウエノマートでも見かけるのは、お年寄りと主婦ばかりだ。
西園寺は遠慮なく瑠偉姫と仲良くすればいいと言ってくれるが、日本画が趣味のお嬢様と話が合うとも思えない。
それに、西園寺家当主夫人に何か失礼があっては大変だ。
気兼ねなく何でも話せる女友達が欲しいな、というのは、ここ最近の音々の一番の願望だった。
どうしても話を聞いて欲しい時は、タイに居る姉に連絡したりもするが、向こうで仕事を始めている姉のプライベートな時間を邪魔するのも忍びなくて、基本はメッセージのやり取りだけで済ませている。
「年は離れすぎてるけれど、私じゃ駄目かしら?おばあちゃんだと思ってくれたら嬉しいし、趣味友達だと思って付き合ってくれたらもっと嬉しいわ」
「え!?ほんとですか!?」
「本当よう。周りの着物好きの人は老人ホームに入っちゃってるから、なかなか話が合う人がいないの」
「ええええぜひ!!!」
思わず松本のおばあちゃんの手を握れば、皺が刻まれた目元を和ませて彼女が柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、お友達記念に、橘の柄について教えてあげるわね。この柄はねぇ子孫繫栄や子宝の意味があるのよう」
「そうなんですか!?知らなかった・・・不老長寿は聞いたことがあったけど・・・」
「橘は常緑樹だから、実をつけたまま次の開花を迎えるすがたが縁起がよいとされてるのよねぇ・・・コウノトリさん、来てくれるといいわねぇ」
ふふふと穏やかに笑った松本のおばあちゃんが、とんとんと自分の首筋に指で触れた。
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