第15話 毬その1

「スーパー・・・あったんですね」


白ご飯とお味噌汁さえ用意しておけば、おかずには事欠かない生活を始めてからしばらく経ったある日の夕暮れ。


お醬油が切れていることに気づいた音々を知晃が連れて来てくれたのは、この町唯一のスーパーウエノマートだった。


コンビニは駅北の一軒のみ。


18時を回れば一気に町全体が暗くなり、夏場に聞こえてくるのは虫の音だけ。


この辺りのお年寄りは隣町のスーパーの個別配送を利用している人が多いらしく、そのおかげで朝どれ卵の恩恵を受けることが出来ている。


知晃はもともと食にこだわりがないタイプで、音々も姉と二人で生活していくのがやっとで贅沢をした記憶が無いので、あるものを美味しく頂くことが身についていた。


そんな二人なので、これまで一度も食料品を買い出しに行く機会が来なかったのだ。


小梅屋と母屋以外の場所をほんとどうろつかない音々は、どこか郷愁漂う昔ながらのスーパーを前にそんな感想を口にした。


「おい、田舎舐めんなよ。これでもかなり重宝してんだぞ」 


このあたりの学生はコンビニ代わりにここで買い物すんだよ、と知晃がぶっきらぼうに付け加えた。


「えっ舐めてたわけじゃ・・・・・・私、この町好きですよ。みんな優しいし・・・」


これまで住んでいた町の数倍こぢんまりとした小さな集落は、静かで穏やかで、温かい。


24時間音楽とざわめきが止まないネットカフェの片隅で、就職情報サイトを見ながら頭を抱えていた頃から比べたら、ここは本当に天国だ。


「道、覚えたな?」


「はい、ばっちりです」


「ん、でも夜は一人で来るなよ。人通りもなくなるし、明かりも減るから」


相変わらずぶっきらぼうなのに、知晃は絶対にこういう気遣いを忘れない。


だから、お見合い相手が追いかけてくるのだ。


偽装妻相手にこれだけの優しさを差し出せるのだから、本物の奥さんはどれほど大事にされるんだろうとしみじみ思う。


想像しかけて、やめた。


虚しくなるだけだから。


自動ドアをくぐり抜けて明るい店内に入っていく知晃の後を追う。


19時を過ぎているスーパーは、がらんとしていた。


「・・・・・・じゃあ、夕飯の時になにか足りないものがあったら、旦那様にお願いする事にしますね」


「ん、そうしろ」


「え、行ってくれるんですか?」


「頼まれりゃ行くよ。俺が四六時中ぐーたらしてると思ってんだろ、おまえ」


「そんなことありませんよ。最近はよくお出かけになりますし」


音々が小梅屋の仕事に慣れるまでは、終日母屋と店先を行ったり来たりしていた知晃だが、最近は西園寺を伴って出かける機会が随分増えた。


西園寺メディカルセンターや、オメガ療養所コクーンが作られても、まだまだ働き盛りの世代が少ないこの町の若者は、役場関係の仕事を振られることが多いらしい。


知晃のような男は特に。


スーツ姿の旦那様は、見違えるほど凛々しくて素敵だけれど、ちょっと近寄りがたい雰囲気なので、やっぱりいつもの着流し姿がしっくりくる。


和服姿の知晃を見ると安心すると伝えたら、彼はどんな顔をするだろう。


きっとそこに含めたこちらの気持ちには、気づいてくれないはずだ。


「来週も外仕事だよ・・・最近緒巳の顔ばっか見てる気ぃすんな」


久しぶりにウエノマートにやって来たらしい知晃が、調味料コーナーを探して視線を巡らせる。


その顔が渋面で、可笑しくなった。


「嫌なんですか?」


「そりゃ嫌だろ。どうせならおまえの顔見てたほうがいいよ」


さも当然のように返されて、珊瑚色の地に毬が描かれた着物の胸元を慌てて押さえた。


「・・・・・・っえ!?」


最近知晃からの不意打ちが多すぎる。


何の脈絡もなく繰り出される口説き文句にどうして良いか分からない。


偽装夫役がすっかり身についている彼はきっと無意識のうちに口にしているのだろうから、わざわざ反応を返す必要は無い、流せばよいと頭では思っても、心はそうはいかない。


ばくばく暴れだす心臓を押さえて、冷房が強めになっている冷凍食品コーナーにわざと近づいた。


火照った頬をどうにかしなくては。


「・・・過剰反応しすぎ」


こちらを振り向いた知晃が、眉を下げて楽しそうに笑う。


伸びて来た手が赤くなった頬をひと撫でした。


親指の腹で輪郭を擽られてぎゅっと目を閉じる。


夫婦としてのスキンシップならこれは合格なのだろうが、雇用主と従業員のスキンシップとしては完全にアウトだ。


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