第9話 薬玉その1

「あらぁ・・・これも可愛いわぁ・・・子供用の着物もあるって教えてくれてたら、わざわざ隣町まで行かずに済んだのに」


女児用の可愛らしい着物を手に取って、近所に住む常連の松本のおばあちゃんが皺が刻まれた顔で渋面を作った。


利益度外視で完全趣味経営を続けている小梅屋は、着物を柄や種類別に分けることなく展示してあるので、どこに何があるか分からない。


だから、店に来た買い物客は、ぐるりと店内を物色して、宝探しの感覚で気に入った着物を見つける必要があるのだ。


別々の棚から、色違いの着物が出てくることもあるし、銘仙の中に正絹の高級品が混ざっていることもよくある。


レジに着物を持ってくる買い物客の勝ち誇ったような笑顔を見るたび、音々は嬉しくなるのだ。


少し前の自分もこんな感じだったな、と思う。


毎回予算を決めてお店に来ていたのだが、いつもちょっと足が出てしまって、ご飯代をケチったりしてどうにかやりくりしていた。


けれど、それと引き換えに手に入れた着物は、食事を一食抜くくらいどうってことない!と思わせてくれるくらい素敵なものばかりで、家に帰って姿見の前で着付けする瞬間を想像するだけで頬が緩んだ。


そんな自分が、小梅屋の着物を好きなだけ着られる権利を一時的に得られている事が、未だにちょっと信じられない。


「俺もついこないだまで知らなかったんだよ・・・嫁が押入れの奥から見つけた、な?」


「部屋の掃除をしていて、偶然・・・」


現在音々が使わせて貰っている部屋は、知晃の亡き母が寝起きしていた部屋だ。


生前の頃のまま残された部屋を居候の身で好き勝手に弄るわけにもいかずに、部屋の片隅に自分の荷物を置かせて貰っている。


せめて住まわせて貰う間は掃除だけは隅々まできちんとしようと、知晃の許可を得て押入れの荷物を整理したところ、見たことの無い女児用の着物がいくつも出て来たのだ。


着道楽だった知晃の母親が、趣味で集めた小梅屋には音々が知る限り女児用の着物はなかった。


なにか特別な思い入れがあるのではないか、と尋ねたところ、俺は一人っ子だし分からん、と返されて、元通りにしまっておこうとしたら、折角だから店に出せと指示された。


生地や柄から最近仕入れたB級品だと分かり、知晃の母親が子供の頃着ていたものではなかったことにほっとした。


確かに、袖を通す子供がいないこの家にいつまでも女児用の着物を眠らせておくのはしのびない。


誰か気に入った人の手に渡って、沢山来てもらえる方が着物も嬉しいだろうと思う。


音々の言葉に松本のおばあちゃんが嬉しそうに目を細めた。


「まあ、そう。音々ちゃんはよく働くわねぇ・・・お店も朝から開けるようになったし、ご飯もちゃんと食べてるみたいだし・・・本当に知晃くんはいいお嫁さん貰ったわねぇ」


居候の間は、家事は任せて貰うことにしているが、基本的に知晃は自分のことは自分でするし、食事だって一人で済ませてしまうことがよくある。


外向きの妻としての役割はなんとな担えているとは思うが、実際のところは雇用主と従業員なので、そこに夫婦らしいなにかなんて存在しない。


だから、いいお嫁さん、と言われると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


苦笑いを浮かべた音々に代わって、知晃が口を開いた。


「だろ。あ、そうだばあちゃん、茄子の煮物美味かった。あれまた作ってよ。二人で取り合いして食ったよな」


「取り合いはしてませんけど・・・でもほんとに美味しかったです」


「あら、ほんとう?嬉しいわぁ。今度は沢山作って来るわね」


「いつもおかず沢山本当にありがとうございます!すごく助かってます」


「うふふ。いいのよう。一人分だと張り合いないからねぇ」


音々ちゃんも来てくれたことだし、作り甲斐があるわぁ、と目元を和ませる松本のおばあちゃんに、やっと笑顔を向けることができた。


彼女の中では、知晃と音々は仲睦まじい新婚夫婦に見えているのだろう。


この家にお世話になり始めた時から、夕飯のメニューで困ったことはない。


いつも誰かしらが差し入れを届けてくれるからだ。


定期的に訪れる西園寺は、毎回必ず家政婦さんお手製の総菜が詰め込まれたタッパーを山ほど携えてやって来る。


松本のおばあちゃんにしてもそうだ。


お店が開いていることを確かめると、昨日の残りよ~と言ってあれこれおかずを届けてくれる。

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