第2話 鶴その2

「なるほど、それで和服・・・」


「受けがいいんだよこのほうが」


三つ揃えのスーツを隙なく着こなした西園寺と、和服姿の知晃は間違いなく人目を引く。


今日の会合の相手は年かさの女性が多いのだろう。


彼は自分の使いどころを絶対に間違えないのだ。


使えるもんは使っとけ、貰えるもんはもらっとけ、というのが彼の性分である。


そんな彼だから、行き場を無くした音々を家に置いてくれているのだ。


「でしょうね」


こくこく頷いた音々の顔を神妙に覗き込んで知晃が目を細めて笑う。


「納得すんなよ。誇らしげにするか、不貞腐れるかのどっちかにしろ」


「え!?」


客観的に見て知晃の見目の良さに惚れ惚れすることはあっても、それを誇りに思えた事なんて一度もない。


ついこの間まで、彼はあくまで着物のついでの鑑賞物だったのだから。


「ほ、誇れませんよ!」


いまは憧れプラスときめきが追加して胸に押し寄せていることは当然ながら内緒である。


二人の関係は仮初めなのだから。


「じゃあ不貞腐れな。他所の女にいい顔すんなって」


にやっと人の悪い笑みを浮かべた知晃のそれには、完全にからかいの色が含まれている。


これが本物の夫婦だったならば、普通にしていても目立つ容姿の夫がわざわざ戦闘服としか思えない上等な長着に身を包んだらそりゃあ不貞腐れて拗ねるだろう。


が、音々はあくまで仮初めの妻だ。


面倒なお見合い避けのために偽装結婚を持ち掛けてきた彼と音々の関係はあくまでビジネス夫婦。


だからここで不貞腐れるのは絶対に違う。


「どうぞお気を付けていってらっしゃいませ」


妻として店員としてにっこりと適切な距離で笑顔を返せば。


「ふーん」


眉を持ち上げて一瞬思案顔になった彼が顎に手を添えた。


「いいの見つけたな」


音々の本日の装いを頭のてっぺんからつま先まで確かめた知晃がうんうん頷いた。


「アールヌーヴォー、可愛いですよね」


黄みよりのピンクがかった中紅花なかのくれないのアールヌーヴォー柄の着物にくすんだ灰色の浮草鼠うきくさねずレース模様の帯を合わせた装いは、ここ最近のなかで一番のお気に入りだ。


「うん。可愛いな」


「・・・・・・」


黙っていれば貴公子の知晃は、意外と口は悪いし大雑把だ。


けれど、言葉を紡ぐ時には必ず相手の目を見て伝えてくる。


そして信じられないほど臆面なく”可愛い”と口にする。


着物の組み合わせを褒められたのだということは分かっていたけれど、経験値不足の乙女心は一気に大騒ぎを始めてしまう。


『知晃のやつ、口悪い癖に俺よりモテるねんで』


と言っていた西園寺の言葉にも納得だ。


甘く疼いた胸を押さえるのはもう何度目のことだろう。


仮初めの妻として、夫に胸をときめかせるのは正しいことなのだろうが、これはダメだ。


こうなる予感しかなかったから、踏み込まないようにしていたのに。


ここにお世話になっている間は小梅屋を手伝わせて欲しいと頭を下げた音々に、それなら店先に立つときに着る着物を好きなだけ選べと言った知晃は、遠慮して動けずにいる音々を姿見の前に立たせると次々と着物を着せかけて選別していった。


そのおかげで衣食住何不自由ない暮らしをさせて貰えている。


着物と帯を一通り宛がわれた音々の毎朝の楽しみは今日着る着物を選ぶことである。


「店閉めておまえも一緒に来るか?」


「え!?だ、駄目でしょう、私部外者ですし!」


この町のこともまだよく分かっていない自分が、地域振興について意見なんて述べられる訳もない。


「いや、俺の嫁って時点ですでに十分関係者だよ」


「そういうわけには・・・」


「一度ちゃんと嫁を紹介しとくと面倒ごとが減って楽なんだけどなぁ」


「うっ・・・」


三十路を過ぎても所帯を持とうとしない息子を心配した父親が送り付けてくるお見合いを捌くのに疲れた、という理由で新たな居場所を手に入れた音々の役目は、彼の自由を守る事。


行き場をなくした音々に家を提供する代わりに提案された偽装結婚は、いわゆる利害一致婚である。


だから、お互いの利害を守るために協力し合わなくてはならない。


必要な場面で妻の役割を果たすのが音々の仕事だ。


とはいえ西園寺も同行するような場所に、自分が行ってうまく立ち回れるとは思えない。


が、音々に妻役を依頼してくるほど窮していた知晃なので、音々にそこまでの振る舞いは求めていない可能性もある。


ぐるぐる回る思考の出口が見えないまま眉根を寄せて唇を引き結ぶ音々の頭を大きな手のひらが優しく撫でた。


「冗談だ。おまえを見世物にはしねぇよ」


「は、はい!」


その言葉にホッとしていいはずなのに、留守番を任されたことが急に寂しくも思えてくる。


彼と同居を始めてから、心が凪いだことは一度もない。


最初にこの店を見つけて店主の知晃を見たときに大きく跳ねた心臓は、勘違いなんかでは、無かった。


そして、それは同居を始めてから日増しに大きく膨らんで、胸に抱えきれない大きさになりつつある。


「なんだ、ちょっとは寂しいのか」


「え!?いえ!立派に留守を守ってみせますので!」


気の毒な常連客に情けを掛けて家に置いてくれた彼に、仮初めの妻以上の何かを望んではいけない。


お任せくださいと大慌てで胸を張って、意識を強引に仕事モードに切り替えた。


一人で百面相する新妻を見下ろした知晃が肩を揺らして笑う。


「・・・・・・・・・いやぁ、ほんといい嫁貰ったな、俺」


しみじみ呟いた知晃が、半歩近づいて顔を近づけてくる。


まだ何かあるのだろうかと上目遣いで見上げれば、視線の先で笑った彼がそっと額に唇を触れさせた。


「~~っ」


「いい子で留守番頼むな。あと、敵襲が来たらいつも通りよろしく」


言い含めるように告げられた一言に、こくこく頷くのが精一杯だった。


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