むすんで、ほどいて ~家なき娘と和服男子の仮初め結婚生活~

宇月朋花

第1話 鶴その1

「おーい、嫁ぇ」


家主兼雇用主兼偽装夫である伊吹知晃いさかちあきが4坪の小さなアンティーク着物店、小梅屋と母屋を繋ぐ短い渡り廊下の引き戸を開けて呼びかけてくる。


「っは、はーい!」


一瞬息を飲んで、田所音々たどころねねは二拍遅れて返事を返した。


壁際の小さなショーケースに並べられた帯留めと帯飾りの位置を確認して裏口に向き直る。


着る人を選びそうなベージュと茶色を混ぜ合わせた空五倍子色うつふしいろの長着をスマートに着こなした知晃は、手に羽織を持っている。


”黙って立っていればただの貴公子”と彼を揶揄したのは、知晃の唯一の友人である西園寺緒巳さいおんじおみで、ここに暮らしてひと月弱の間にただの貴公子ではないこともよくよく理解した音々である。


いや、勿論ただならぬ恩義は感じているのだが。


「俺もう出るからな。適当に店閉めて。どうせ客来ねぇよ」


この店は趣味の道楽だと豪語する小梅屋の店主は、店の開店時間も閉店時間も定休日も一切決めておらず、気が向いた時だけ店を開ける生活を送っていた。


音々がここにやって来るまでは。


片田舎の地方都市で、駅徒歩20分弱の辺鄙な場所にポツンと佇むその店は、HPも無ければSNSでの発信も行っていない。


集客とは無縁のごくごく小さな店だ。


音々が偶然この店を見つけたのは、二年前に姉とこの町のアートギャラリーにやって来たときのことだった。


昔から姉妹で大好きだった漫画家が出身地の美術館で個展を開くことを知り、初めてこの町を訪れた。


お洒落なカフェも雑貨屋もなにもない、いわゆるSNS映えとは無縁の田舎町で、本日最大の目的を無事に果たして、駅に戻りながらあちこち歩き回っていたときに偶然小梅屋に立ち寄ったことがきっかけで、そこから二年間の間に7回ほど一人で通って、アンティークやB級品の着物、帯や帯留めなどを購入してきた。


高校時代に文化祭で大正カフェをして以来、アンティーク着物が好きになった音々は、趣味でアンティーク着物を集めるようになった。


が、アンティークとはいえ着物を一式揃えるとなると結構なお金がかかる。


バイト代を貯めてはお気に入りのショップやオークションサイトで出来るだけ安くて可愛いアイテムを揃えてきたが、小梅屋に並べられている商品はどれもその半分から三分の二程度の値段で買うことが出来たので、すぐに一番のお気に入りの店になった。


店主の男性は店に入って来た客を一瞥していらっしゃい、と言った後は完全に放置。


あまりお目にかかれないレベルのイケメン店主なことに間違いないが、如何せん愛想が無い。


けれど、じっくり色んな着物を見ることが出来て、音々にとってはそれが居心地がよかった。


いつの頃からか小梅屋貯金が貯まるたびにお店に向かうのが楽しみになって、それはきっとこの先もずっと変わらないだろうと思っていたのだ。


そんな自分が、まさか小梅屋の店員になるなんて。


その上店主の仮初めの結婚相手に抜擢されるだなんて。


音々が彼の家で生活を始めてから、毎日のように小梅屋を開けて店先に出ているが、彼の言う通り客足はさっぱり。


時折近所の老人が帯締めや小物を買いに来たり、音々と同じくこの店のファンになったらしい着物好きの女性がやって来るがそれも極々まれである。


毎日店を開ける必要もないと知晃から言われているが、居候の身で家でゴロゴロしているわけにもいかないし、気が滅入るので敢えて毎日店に出るようにしていた。


「わかりました」


「ん、よろしくな」


「あ、旦那様!」


ここでお世話になり始めてから決めた呼び名を口にすれば、ひょいと眉を持ち上げた彼が首をかしげる。


最初こうして呼びかけた時にはパチパチ目を瞬かせてどもっていた彼もようやくこの呼び名に慣れてくれたらしい。


自分はあくまで仮初めの妻、その上行く当てのなかったところを拾って貰った恩義のある相手を気安く名前で呼ぶわけにはいかない。


それに、不用意な馴れ合いは、別れたあとに寂しくなるから。


だからこの呼び方は音々的には一番しっくり来ていた。


「なに、なんかあんの?」


このぶっきらぼうな物言いに最初はびくついていたけれど、怒っている訳でも不機嫌なわけでもないと理解してからは、むしろ裏表のない態度に信頼を感じるようになった。


超非常事態に陥って拾ってもらった手前、これでも一応女子の端くれだし万一のことが・・・とほんの少しだけ不安に思っていたのだが、知晃は店主だった時も仮初めの旦那様になった今も終始一貫して同じ態度を貫いている。


「今日夕方から雨予報でしたよ。傘を」


「車移動だから」


「あ、そうなんですね!よかった。おひとりですか?」


「ん、緒巳と。地域振興なんとかの集まりって言ってたな」


昔からこの辺り一帯を治めていた西園寺グループの顔役である西園寺緒巳は、結婚を機に地域医療貢献を掲げた西園寺メディカルセンターを設立して、母体の経営から手を引いている。


オメガバースの出現以降は、国内第一号の抑制剤を開発した企業として西園寺製薬と並んでその名前が知れ渡ることになったメディカルセンターの責任者である彼は、母体から手を引いて出来た時間を愛妻との新生活に費やしようとしていたらしいが、未だに断り切れない行政とのパイプ役を任されることも少なくないようだ。


学生時代の友人でもある知晃は、そんな緒巳の補佐役として同行を依頼されることがままある。


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