第19話 椿その1
「ほんとに大きくて綺麗な図書館ですね!」
「こんなに喜ぶならもっと早く連れて来てやれば良かったな」
「私高校時代は図書委員だったんですよ。いつも放課後は図書室に入り浸ってました」
「・・・・・・それはしっくり来る気もするな」
すでに音々に関する情報は頭の中に入っており、通っていた高校も分かっているのだが素知らぬ顔で答えてみせた。
平日の昼間の図書館は和やかな空気が流れている。
子供向けのプレイスペースからわずかに聴こえてくる絵本の読み聞かせの声と、子供たちの笑い声は、平穏そのもの。
彼女の素性が明らかになるまでは、基本的に家の中で過ごさせるつもりでいたのでこの地域についての詳細な説明をしてこなかった。
そして、彼女も一時しのぎの仮住まいのつもりだったので、深くは尋ねてこなかった。
西園寺に音々の身辺調査を依頼したのは、こんな風に気まぐれを起こして他人を懐に入れたのが初めてだったから。
数回店に来ただけの若い女性客に情けを掛けるほど優しくはないし、面倒なお見合い避けが必要ならそれこそ西園寺に依頼してもっと扱いやすい女性を用意して貰うことも出来た。
それをしなかったのは、やっぱり惹かれる何かがあったから。
振袖は買い取れないと言った時の彼女の落胆した表情に胸が傷んで、ここを出た後の音々の行く末がちらりと脳裏を過ったらもうその手を取らざるを得なくなっていた。
深く惹かれてしまう前に、彼女と伊坂家の間に何の因果もないことを確かめたかった。
そして、それが現実になった直後、予想外の方向から彼女の本音を聞くことが出来た。
音々が自分に対して抱いている感情は恩義だけではないのだと、従兄への告白で確信が持てた。
それならと、一足飛びに捕まえてしまえないのは、彼女が向けてくる眼差しがあまりにも真っ直ぐで純粋だから。
上手く誘導して駆け引きなんて出来ないところまで追いつめて頷かせてしまいたい気持ちと、何とも言えない淡い感情をしばらく味わいたい気持ち。
どっちつかずの思いを持て余して、結局手を出せずにいる。
手を握っても抱き寄せても真っ赤になって俯くレベルの彼女にとっては、おそらくこれくらいの距離感がちょうどよいのだろう。
これぞまさしく大人の余裕の見せ所である。
自分はさほど忍耐強いほうではないし、それなりに来るものを拒まずな20代を過ごして来た。
だから、叔父一家がふらふらしている甥っ子を見過ごせないと焦っているのだ。
けれどその自業自得のおかげで、彼女を家に招くことが出来た。
「あの・・・お姉ちゃんに・・・上手く話をしてくださってありがとうございました」
書架を見上げたまま音々が小さな声でお礼を口にした。
就職してからちっとも連絡を寄越さない妹を心配した姉がメッセージアプリから電話を架けてきたのは昨夜のこと。
就職予定だった会社が倒産してしまい困っていたところを、小梅屋の主人に拾われてどうにか社会人デビュー出来た、とかいつまんで説明した音々の表情は強張っていて、いまにもぼろが出そうな感じだった。
小梅屋の名前にきょとんとなった姉に、音々を押しのけて自己紹介を兼ねて挨拶をしたのは知晃で、知晃の顔を見た途端お店の記憶が甦ったらしい音々の姉は、訝しみながらも自分も行ったことのあるお店なら安心だから、妹をよろしくと頭を下げてくれた。
多少良心が痛まないでもないが、殆ど嘘は言っていない。
「納得して貰えてよかったよ。あとお前ほんと嘘下手だな」
「・・・っ!こ、こういう嘘が必要な状況になったことがほとんどないんですよ!」
「・・・無断外泊もアリバイ作りもできないタイプだな」
万一頼んでも自分で墓穴を掘るタイプだ。
「したことありませんっ」
「・・・・・・よかったよ。ああ、あとそうだ、万一この先俺と喧嘩したとしてもネカフェには家出すんなよ。もしするなら緒巳んとこ行け」
「ネットカフェって短期滞在なら結構快適なんですよ?個室ですしシャワールームもあるし」
「女ひとりで寝泊まりとかどう考えても危ないだろ」
「でも、私ベータですし、
心配いりませんよとあっけらかんと笑う彼女の危機管理能力の低さに愕然とする。
「お前がベータでもオメガでも俺が嫌なんだよ。家出したくなるような喧嘩するつもりもねぇけど・・・・・・ちゃんと覚えとけよ。もうネカフェは行くな」
自分がもう少し若くてもう少し余裕が無くて、もう少しガツガツしていたら・・・
隣の書架の本を物色する素振りを見せながら、横目で音々の赤い頬を盗み見る。
まあ今頃こうじゃなかっただろうな。
まったく靡いていない相手ならまだしも、その気のある相手を懐柔するのなんて訳ないし、押し方も引き方も心得ている。
恋愛未経験女子を翻弄して閉じ込めることなんて容易い。
のだけれど。
「お前の性格的に、お姉さんに隠れて男との同居は無理だな」
「し、しませんもん、そんなこと・・・」
「いや、してるだろ現に、いま俺と」
「~~~っ」
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