第13話 牡丹その1

「音々ちゃん仕事探してるんやって?」


店にふらりと顔を出した西園寺が、思い出したように言った。


結局派遣仕事は面接まで辿り着いたものの選考落ち。


そのあと応募した仕事もすべて一次選考で落ちてしまって未だに次の仕事は見つかっていない。


知晃の従兄の襲撃以降、より夫婦らしくともっともらしい言い訳を並べて、知晃が距離を詰めてくるようになった。


あそこまでのイチャイチャはさすがにやりすぎだと思うが、誰が見ても夫婦だと納得できる程度の距離感は保っておかなくてはならない。


店にやって来る年かさの常連客たちからは、今時珍しいくらい初々しい奥さんねと笑われるが、実際初心なのだからどうしようもない。


買い物に出かけて手を繋ぐところから始まって、西園寺と出かける彼を見送る時の軽いハグ。


最近では、当たり前のようにおやすみのキスが額に落ちてくる。


そのうちお返しを要求すると言われているが、せいぜい頑張って頬にキスが限界の音々だ。


こんな甘ったるい夫婦ごっこに蕩けて溺れてしまわないうちに、次の仕事を見つけなくてはならない。


二人の偽装結婚の唯一の共犯者である西園寺は、音々の窮状をよく理解してくれていた。


「あ、はい。そうなんです。この前応募したところもダメで・・・出来るだけ早く次の仕事を見つけたいんですけど・・・」


「事務経験ないんやっけ?」


「そうなんです・・・・・・やっぱり未経験っていうのが厳しいみたいで・・・・・・」


焦ってはいけないとわかっていても、募る一方の気持ちを思えば一刻も早くこの場所を離れるべきだと本能は訴えてくる。


家なき子が大家に恋をするなんて、ドラマの世界でしか成就しない設定だ。


「焦って探す必要ないだろ。家も仕事もちゃんとある」


音々に自宅の一部屋を明け渡し、店番という名の仕事も与えてくれた旦那様は、まだ不満があるのかと言外に告げてくる。


与えられた環境はこの上なく最高で、有り難いの一言に尽きるが。


「でもいつまでも居候ってわけには・・・・・・」


「まあ、知晃がいつその気になって本物の花嫁連れてくるか分からへんもんなぁ」


一時しのぎの仮初めの妻は、いつお役御免になるか分からない。


知晃のことだから、いきなり音々を放り出すような事はしないだろうが、音々の心境的に幸せいっぱいの知晃とその恋人の姿を間近で見て平然と過ごす覚悟なんてあるはずもない。


それなら喜んで路頭に迷いますと言いたいが、ネットカフェ生活の辛さを体験済みの音々としては、やっぱり落ち着いて眠れる環境が欲しい。


そのためにも仕事を探してお金を貯めなくてはならない。


「予定なしって言ってんだろ・・・それよりお前、暇つぶしに家来んのやめろ。瑠璃姫はどうした?」


音々が知晃の家で生活を始めてから各段に西園寺の来訪率が上がっているらしい。


来るたび地方や海外のお土産を差し入れしてくれるので音々としては有り難いのだが、長いすればするほど旦那様の低気圧が吹き荒れるのが難点だ。


「うちのおひぃさん、今日は図書館の司書さんとデートやねん。あ、音々ちゃん、本好きやったら図書館行きぃ。この辺では一番の蔵書量やし、暇つぶしには持ってこいやで」


「図書館あったんですね!行ってみたいです」


地元でもしょっちゅう図書館にお世話になっていたのだが、ここ最近のバタバタのせいで本を読もうという気にもならなかった。


伊坂家で暮らし始めてすぐに二人でこの辺りをぐるりとしたが、当初の予定ではひと月もたたないうちにここを去るつもりにしていたので、詳しい地元の説明は求めなかったのだ。


けれど、西園寺お墨付きの図書館なら、間違いないだろう。


久しぶりに本を読みたい気分になれた自分が少しだけ嬉しい。


毎日通帳残高を睨めっこしていたあの頃が嘘のようだ。


「うちが手え加えて立派な図書館作ったんよ。ほら、図書館ってなんかこうじめーっとしててく暗いイメージあるやん?それをなんとか払しょくしたいなあと思って。大人から子供まで楽しく本に触れられる場所になっとるから、ぜひ行ってみぃ」


よほど思い入れがあるらしい西園寺の熱弁にこくこく頷けば。


「お前が建てたわけじゃねぇだろが」


「ん?陣頭指揮とったんは俺やで?そのための顔役やん」


「・・・・・・・・・」


「あーなんなん。お嫁ちゃんの前でええかっこされるんが嫌なん?ほんま心狭いわぁお前。俺がかっこええんは昔からやん。でもほら、心配せんでももう瑠璃一筋やから。あ、音々ちゃんが可愛くないいう意味ちゃうで?どんな可愛い子が来てももう目に入らへんのよ。うちのおひぃさんが可愛ゆうて」


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